はじめまして

 なぜ彼女は死ぬのだろう? 彼女の行動、雰囲気からして、自殺という可能性は低いと思う。病気だとしても死ぬ当日くらいは流石に病室にいるだろう。まあ病気のことは詳しくないのでよくわからないが、病気の可能性も低いだろう。そうなると可能性として一番高いのは、交通事故などの不慮の事故だ。

 彼女と別れて、いや、無理矢理逃げて、駅の改札に入ろうとしていた。しかし、一度その近くのトイレに入った。僕は今、少し罪悪感を持っている。あんなに優しく接してくれた彼女に、理由はあれども冷たく接してしまった。彼女からしたら、僕は最低な人間だ。

 そして、どういうわけか彼女の後を気づかれないようについていくことにした。心のどこかで、今日死んでしまう彼女を助けたい、という思いがあるのかもしれない。もし途中でそのストーカー行為がバレたとしても、謝ろうと思っていたとでも説明すればいいだろう。ただ、気持ち悪がられるのは変わりないかもしれないが。

 彼女の家が自分と同じ方面だということはさっきの話でわかった。僕はトイレから出て改札に入り、いつもと同じホームに行った。ちょうど電車が到着したタイミングだった。一番人が多い号車の前に、彼女は立っていた。僕は電車の中に知ってる人がいるのが嫌なので、いつも人が少なめな号車に乗る。もちろん今日もそうする。電車に乗り込もうとする彼女にバレないように背後を通って、人が少なめな号車に乗ることに成功した。そのあとすぐに電車は出発した。

 いつもと同じ、電車からの風景。いつも聴いている、駅名のアナウンス。この電車は出かける時にもよく使うのだ。高校の最寄駅から二駅目のところでいつも僕は電車を降りる。しかし今日はその一駅先の駅で降りる。ただそれだけのことなのに、なぜか緊張する。あまり自分の家の最寄り駅以降の駅は使用したことがない。

 十二分くらいで到着し、電車を降りた。そしてホームにいる人を見ると彼女も降りていた。寄り道で他の駅にでも行っていたらどうしようかと思ったが、とりあえずその予想は外れてくれたらしいのでひとまず安堵した。

 彼女が家に帰るまでついていってみることにした。なるべくバレたくないので出来るだけ遠くから着いていった。今の目的は彼女が危険そうな時に助けるってだけだ。先程のことを謝ることが目的ではない。いつかバレるのではないかと不安だったが、案外、人は背後を見ないのだと気付かされた。

 彼女が通ってるこの道はやけに人通りが少ない。だから、通り魔でも起こるのだろうか。

 しかし僕は考えた。もし彼女が危険な時に本当に助けられるのか? 間に合わずに見殺しになるのではないか? それだったら見ないほうがいいのではないか? 得体の知れぬ恐怖が僕の全身をゆっくりと襲った。今まで、その日に死ぬ人を助けようとした経験がない。

 それでも、心のどこかで、彼女に死んでほしくない気持ちがあった。その感情が、僕を突き動かした。まるで操り人形のように、彼女のほうへ一直線に走っていった。

 彼女はすぐに僕に気がついた。足跡が大きかったのだろう。ゆっくりと僕のほうを見てくる。彼女の近くに着いて、僕は目をそらす。目をそらすときは、決まって少し左のほうを見る。

「……どうしたの?」

 そう言われて僕は言葉に詰まった。彼女の声はさっきよりも冷たいように感じる。そして、もし急に「君は死ぬ」と伝えても信じるわけがないだろう。

「さっきは……ごめん」

 咄嗟に出てきた言葉だったが、久しぶりに感情を込めた謝罪をした気がする。教師やたいして仲がよくない奴らに対する謝罪とは、発言したときの重みがまったく違った。

「いいよ。まさか、わざわざ謝りに来るなんて。びっくりしたよ。こちらこそごめん」

 彼女の声はまたいつも通りの温かいものになった。まさか彼女側からも謝罪の言葉が出てくるなんて。彼女が謝る理由なんて一つもないのに。てっきり気持ち悪がられると思っていた。

「君って、病気とかしてない?」

 僕は唐突に質問した。

「え…特にしてないけど……」

「何か辛いこととかある?」

「いや特にないよ」

 僕みたいなまだそこまで親しくない関係性のやつに辛いことなんてそもそも打ち明けないだろう。しかし、そんなことを考える冷静さすらも失っていた。

「……じゃあ自殺とかしようとしてる?」

 その質問をした途端、僕はしてはいけない質問をしてしまったと自覚した。こんな質問をするのはいくらなんでも怪しい。

「……自殺? するわけないじゃん。どうしたの? そんなこと聞いて」

 彼女は無理矢理作り出したような笑顔をしていた。僕を不審がっているのを感じ取れる。僕はしびれを切らした。もう、彼女にどう思われてもいい。こんなに優しい人に死んでほしくない。

「君が今日死んでしまうから聞いているんだよ」

 ついに言ってしまった。今まで家族以外誰にも能力に関することは言った事がないのに。僕の体温はいつもより明らかに高くなっていた。今の状態ならきっと学校を休める。

 彼女は呆然としていた。まるで目の前で雷でも落ちたかのように。頭の中で、言われた言葉を反芻しているようだ。

「……どういうこと? 私が今日死ぬ? 仮にそうだとしてもなんで君はそんなことわかるの」

 僕はもともと閉じていた口をさらに固めた。やっぱり能力のことは言いたくない。彼女はもう自分と普通には接してくれないのではないかと思ったからだ。

 彼女に死ぬことだけでも伝えれば、もしかしたら未来が変わるかもしれない、なんて思った矢先に、彼女の家に向かう方向の交差点で、今までに聞いたことがないくらい大きな衝撃音がした。僕らはそれまでの会話の内容を忘れて、その音がした方向に顔を向けた。僕の視界には、ボロボロになった2台の車がある。トラックと軽自動車だ。中にいる人がどうなっているのは分からない。

 その様子を見たまま僕らは唖然とした。しばらく何も言えなかった。周りに野次馬が集まってきてようやく、先ほどまで彼女と話して内容を思い出した。

「……死ぬってもしかしたらあれのこと?」

 彼女はまだ事故が起きた方向を見て話している。だから僕とは目を合わそうとはしていない。

「……多分そう」 

 すると彼女は、僕のほうを向いて手で顔を隠しはじめた。少し震えていると思ったら、すすり泣きの声が聞こえてきた。僕はどうしたらいいか分からなかった。僕みたいなやつが、女の子が泣いているときの対処法なんて持ち合わせているわけがなかった。とりあえず、周りに人がいる状況では、泣かしたと思われたらまずいので、人が少ないところに彼女を連れて逃げた。

 彼女が落ち着くまで、僕は待った。しばらくして、彼女はずっと隠されていた顔から手をどけた。

 そして彼女が出てきた言葉は、「ありがとう」だった。

「志乃くんがもし言いに来てくれなかったら、私、死んでたんだよね」

 彼女は、今にも涙が溢れそうな目を開けた。僕はその顔を無意識に見つめた。すると今日であった「死の日付」が徐々に消えていくのが見えた。ゆっくりと文字が薄くなっていく。それは、僕の人生ではじめてのことだった。はじめて「死の日付」がない人の顔を直接見た。テレビや写真で見るのとは、迫力がまったく違う。今まで僕が話していた相手は西園寺さんではなかったのかもしれない。あれは僕だけが見える西園寺さんのふりを装った何かだったのかもしれない。僕は彼女の顔をずっと見つめていた。

「なんか志乃くんと目が合ったのはじめてかもしれない」

 彼女は頬を赤らめていた。

「……はじめまして」

 僕は変なことを言ってしまった。でもなぜか、本当に彼女とははじめて会ったような感じがしたんだ。

「はじめまして!」

 彼女は僕と同じ言葉を、美しい笑顔で返してくれた。夕陽がなぜかいつもよりひどく熱く感じられた。


 次の日の帰り道。また彼女と会った。正確に言えば彼女がわざわざ話すために着いてきた。

 今まで僕は人のことを、自分が異常であることを示す鏡のようなものとしてしか見ていなかった。というより、見ようとすらしていなかった。

 でも、彼女だけが唯一、テレビやスマホ越しで見る人たちと同じく、僕の能力を感じさせない人になった。

「昨日、なんで私が死ぬって分かったの?」

 彼女がしてきたその質問に、僕は答えたくなかった。もし僕が本当のことを話したら、彼女は僕のことをどう思うのだろう。

「言いたくないことなの?」 

 思案する僕の様子を見て、彼女は言った。彼女の歩幅は少し小さくなっていったような気がした。

「……うん」

 僕はとても弱々しい声で言った。しかしその一言には、彼女なら僕のことを認めてくれるのではないかというほんのわずかな期待が含まれていたのかもしれない。

「……でも、教えるよ」

 彼女は話が長くなりそうなのを察したらしく、学校から少し離れたところにある、小さな公園に僕は連れて行かれた。

 薄汚い滑り台と、ブランコがある小さな公園。その隅にある木のベンチに二人で腰掛けた。座り心地は最高に悪い。

「人がいつ死ぬのか見えるんだ」

 僕は覚悟を決めてそう言った。彼女にどう思われるかが怖くてまた顔を見ることができなくなってしまった。

「本当に?」

「うん」

「中二病とかじゃない?」

「わざわざ二人きりになってまで中二病の説明しないでしょ…」

「どんなふうに見えるの?」

「顔の上に浮かび上がって見えるんだ。あんまり想像つかないと思うけど……」

「それって本当に正しいの?」

「おじいちゃんが死んだとき、同じ日付だったからね。正確だと思う」

 彼女は淡々と僕の話を聞いていた。恐る恐る僕は彼女のほうを見た。なぜだろう。幼稚園ぐらいの頃、両親にこの話をしたら今までに見たことのないほど冷たい目をしていたのに、彼女はあたたかい目をしている。僕は長い間見つめすぎていたらしい。彼女に「どうしたの?」と言われて気がついた。

「……なんとも思わないの?」

「なにが?」

「僕の能力のこと。どう考えてもこんなやつ異常でしょ」

「私は素敵だと思うけどな。そんな漫画みたいな能力が自分にあるなんて想像がつかないからさ。志乃くんはその能力嫌いなの?」

「うん。いらないよこんな能力」

「だからいつも目線を逸らしていたの?」

「……うん」

 やっぱり、目線をそらす行為は、人には変に思われてる。

「でも私とは今日から急に目を合わせるようになったよね。何かあったの?」

「君だけ文字が消えたんだ。昨日、事故を防いだあの瞬間に」

「そういうことか、他にも文字がない人はいるの?」

「はじめて見たよ。多分、君は本当に昨日死ぬはずだったんだと思う。でも僕が変えちゃったから、日付が消えたんじゃないかな」

「それって要は、人が死ぬ日付を変えられるのは、この世界で志乃くんだけっていうことじゃない?」

 僕はそれを聞いてなんとも言えない気持ちになった。多分、少し嬉しかったんだと思う。でも、能力を嫌う気持ちのほうがまだ大きかった。

「昨日は本当にありがとう。志乃くんがもし来なかったら私は普通に死んでたんだろうな」

「……こちらこそ、ありがとう。君は能力のことを気にせずに話せる唯一の人になったよ」

 少し大袈裟なことを言ってしまったかもしれない。案の定彼女は、あははと笑っていた。そしてこう言った。

「唯一の人って、なんか告白みたいだね」

「いや、そんなつもりじゃ……」

 僕は恥ずかしかった。恋愛経験なんてないからそういうのはよくわからない。

 本屋に寄ると嘘をついて、彼女とは別れた。

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