第2話「来訪者」

手紙はこう続いている


「いや、君たちからすれば夢なのだろう。正しく言うならば“紬”にとって、これは夢ではなく、紬の精神世界だ。自然に目が覚めることはない。この世界から出る方法は“紬の本当の望みを叶えること”ただそれだけだ。手紙で干渉をすることは難しい。また機会があれば何らかの手段で連絡する。どうにか彼女の望みを叶え、この世界を終わらせてほしい」


手紙はここまでだ。一体誰が書いたんだ?出られないっていうなら当分はこの世界で暮らしていくしかないのか。しかし紬は昔から本当に伝えたいことを我慢する癖があったからな。一筋縄じゃ行かなそうだ。


仕方ない、紬と遊びながら本当の望みとやらを聞き出すとするか。昔のままの紬と別れるのも名残惜しいが、俺は現実で意識を失った紬の安否を確かめなくてはならない。最後に、約束した通り一回だけ遊んでやるか。


「紬ー、シャボン玉楽しいかー?俺も混ぜてくれよ」


「うん、いいよ!」


紬に駆け寄った俺は彼女が差し出したもう一つのシャボン玉を吹くための棒を受け取る。


「いいか、紬。ただ強く息を吹くだけじゃ大きなシャボン玉はできないんだ。吹き方にコツがあってだな」


昔教えてやった通りにシャボン玉の楽しみ方を伝え、暗くなるまで遊んだ。


「そろそろ飯にするか」


「ごはんー!今日のごはんは何だろー?」


「ハンバーグにでもするか、好きだったろ?」


「ハンバーグ―!!」


施設にいたときは、お祝いの席といえば姉さんの手作りのハンバーグを食べるのがうちの恒例だった。紬をはじめ、施設のみんなが姉さんのハンバーグを心待ちにしていた。

作り方は一通り姉さんから聞いている。紬もすっかりくたびれているみたいだし、紬の願いとやらは飯を食って寝て、また明日にでも聞けばいいさ。


夕食を済ませると紬はベッドに行こうとするが、遊びまくって俺も紬も全身汗だくだ。精神世界なのにこの辺は妙にリアルだな。


「紬―、寝る前に風呂入っとけよー。そのまま寝たら汚いだろ?」


「はーい、ねむたいけどがんばる!」


よしよしいい子だ。昔から紬は聞き分けの良いほうだったからな、こういったことはしっかりしている。


「じゃ、パパも早くいっしょにおふろ行こう!おっふろ、おっふろ!おっふーろー!ふんふふん」


鼻歌交じりに上機嫌な紬だが、そうだった。紬は一人で風呂に入れなかったんだった。なんだかお化けが怖いとかなんとか。


施設にいたころは女の子は基本的に姉さんが入れていた。だが幼い子に限っては姉さんが忙しいときは俺も入れたことがあるし、まだ紬は7、8歳だ。仕方あるまい、一緒に入るか。


そういえば紬の3つ上で仲の良かった英麻と紬を、姉さんに頼まれて風呂に入れてやろうとしたとき、英麻に凄く拒否られたなー。そのすぐ1月前まで入れていたのに、10歳の誕生日を迎えた途端にだもんな。あれは結構心にきた。紬にもいつかそういう時がくるんだろうな。あ、いや現実の紬はもう12歳だし一緒に風呂に入ることはそもそもないか。杞憂だった。


風呂に浸かりながらアヒルのおもちゃで遊ぶ紬と久々にたくさん話した。本当は見舞いに行って、現実の紬と話したかったことを。


紬を風呂に入れたあと、子供部屋まで見送る途中、紬はなんだかもじもじしていた。すると紬が口を開いた。


「パパ、きょうパパといっしょにねちゃダメ……?」

「なんだ、変な歩き方をしてると思ったらそんなことか。もちろんいいよ」


「へんな歩きかたじゃないもん!」


一瞬頬を膨らませた紬だったが、寝室のキングサイズのベッドを見てパっと顔が輝く。


「ふかふかだー!」


ベッドに飛び込み、ぼふんぼふんと飛び跳ねる。


「こらこら、行儀が悪いぞ」


注意をすると大人しく布団に入った。


「おやすみなさいパパ」


「ああ、おやすみ紬」


紬を寝かしつけ、俺も一緒に、深い眠りについた。


それから数日が経った。いや、数日間何も考えずに紬との親子生活を謳歌していたわけじゃないぞ。

毎朝紬と遊ぶ前に何がしたいか、何が欲しいかを聞いている。


しかし何を叶えてやっても一向に夢から覚める気配はない。当初の目論見だと多少は昔のように本音を聞くのに時間がかかっても、そのうち話してくれるだろうと思っていた。だがむしろこっちの世界の紬は欲に忠実というか、毎朝あれがしたい、これがしたいと甘えてくる。もちろん可能な限りで応えているがどれも手応えがない。紬の本当の望みってのは何なんだ?もしこのまま一生目覚められなかったらと思うと心が折れそうだ。


他にもいくつか分かったことがある。この世界にも時間や気候の概念はある。

今は西暦2032年の6月。最近は大雨の日も多い。どうやら現実の日本と同じく梅雨の時期のようだ。年月は現実とリンクしているみたいだな。

そして毎朝必ず、チャイムと共に初日と同様に赤いリボンで装飾された黒いプレゼントが玄関に置かれる。

中身は紬と遊べるようなおもちゃや、ちょうどその日必要になるであろう道具などが入っている。

他には、この世界にもテレビやインターネットはある。テレビは相変わらずエスパーやら突如流行った奇病の話が多いが、基本的に平和なニュースや通常通りにバラエティ番組などが流れている。

この世界から目覚めたときに浦島太郎状態になる心配はなさそうだ。しかしこちらから何らかの手段で外界と接触しようとすると、インターネットなら通信エラー、電話に至っては繋がらない。


そしてこの家の周囲だが、しばらくは草原が続いており、少し行くと池や川、森などもある。外には動物や虫などの生き物も普通にいる。しかしある程度進むと先には進めない。見えない壁のようなものがあり、道を塞いでいるのだ。


幸い電気と水道は通っていて部屋には暖炉まである。外の倉庫にはいつもよく燃えそうな薪がある。薪は水をかけても次の日には元通り。食料も次の日にはキッチンにある大型の冷蔵庫に補充されていて、しかも中身は俺か紬のどちらかが食べたいな、と思うものがちょうど入っている。


なんという贅沢空間だ。一生ここで暮らしたい。都会の喧騒から離れ、紬と一緒にずっとこのまま――


いかんいかん、現実には俺たちは昏睡状態なんだ。それに紬の容体のこともある。何とかしてこの世界から脱出しなくては。それに向こうの世界で紬に何かあったら俺たちはどうなる?そしてこっちの世界でもし死んだりしたら。考えるだけで寒気がする。


ちなみに軽度な怪我は応急処置をしておけば数日で治る。キャッチボールをしていてコケた紬が実証してくれた。しかし重大な怪我や病気はどうなるのか分からない。ここには病院もないぞ。などなど心配の尽きない俺をよそに、紬は毎日楽しそうにしている。


ともあれこれからも紬との親子の関係性を続けていき、やがて紬のほうから本当の願いを話してもらう日を待つしかあるまい。それまではこの親子ごっこを楽しむとしよう。


「紬、今日は何したい?外は大雨だから家の中でできることな」


「むぎねー。トランプがしたい!」


「よし、じゃあトランプタワーでも作るか」


「やったー!」


しばらく遊び、コツをつかんだ俺たちは、遂に8段タワーの完成目前まで来た。あと少し、あとは順番的に紬がてっぺんの二枚を置くだけだ。大丈夫、紬は器用な子だしここまで大きなミスはしていない。落ち着いて集中すればきっと完成するだろう。


そして紬がカードを上に乗せ、手を離した瞬間――


ピンポーン!


突然玄関のチャイムが鳴り、急な音に驚いた紬はタワーを崩してしまった。


「がーん!」


紬は半泣きでカードを拾い集め始めた。


そう、何事もトライ&エラーだ。一度の失敗で挫けてはいけない。


「次また頑張ればいいさ」


紬にフォローをして、玄関に向かう。

まぁこの世界に俺達以外に人はいない。またどうせ誰もいない玄関に、プレゼントの箱が置いてあるだけだろう。

するともう一度チャイムが鳴った。なんだ、2回鳴ることもあるのか。


はいはい今出ますよーとドアを開けた。


そこには俺と同年代くらいの女性が立っていた。


「へ?」

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