知らない世界で目覚めたらパパになったんだが
苦労人-kurouto-
第1話「パパと娘と不思議なおうち」
今日は見舞いの日だ。病院に到着した俺は受付に向かう。
テレビでは連日、「世界中で突如現れたエスパー」とかいう怪しい特集が組まれている。
世の中よっぽど娯楽に飢えているんだろう。
娯楽といえば、俺も今日はあの子の誕生日だから、奮発してドールハウスを買ってきた。
もう12歳になるはずだが、正直この年頃の女の子が何を欲しがるかわからないし、俺の記憶の中ではまだ幼い少女なのだ。おもちゃ屋の店員に勧められるまま買ってしまった。
今年大学を卒業し働き始めたばかりの俺の給料だけじゃ厳しかったが、あの子のためにと施設のみんなも少しずつカンパをしてくれ、何とか一番人気のものを買うことができた。
長い入院生活でずいぶん退屈しているだろうからきっと喜ぶに違いない。
受付を済ませてエレベーターに乗り、あの子の病室のあるフロアに到着して少し奥に進むと、東谷 紬(あずまや つむぎ)という名前の書かれたプレートが見えた。
「入るぞ」
ノックをして部屋に入ると、寝息が聞こえてきた。
最後に会ったのは4年前の3月、俺が都内の大学に進学するために上京して以来だ。
あの時はギャンギャン泣いてたな。随分と久しぶりに会う訳だが、あの頃に比べて身体はデカくなったが、それ以外は全然変わっていない。
俺が引っ越してすぐに持病が悪化して都内の大学病院に入院したと聞いたときは慌てて駆け付けたが、しばらく昏睡状態で会えない日が続き、やがて自身の忙しさもあって今日まで会えずじまいだった。
去年ようやく昏睡状態から覚め、すっかり良くなったそうだ。ベッドからはあまり出られないが、看護師さんともよく遊んでいるらしい。
今日は今まで会いにこれなかったお詫びも込みで誕生日祝いをしに来たのだ。
沖縄の施設にいる他のみんなも明日には到着するそうだ。みんなの顔を見たらもっと元気になるだろうな。
今は熟睡しているようだし起きるまで売店にでも寄って暇を潰すか。
病室を出ようとすると、突然紬の呼吸が荒くなった。すごい量の汗をかいている。
「一体何が起こったんだ!?」
俺は急いでナースコールのボタンを押し、看護師の到着を待つことしかできなかった。
しばらくして看護師数名を引き連れて医者がやってきた。先生は苦しむ紬の様子を見るとすぐに手術室へ運ぶように指示をした。
「先生、紬は大丈夫なんですか!?」
長時間の手術を終えて手術室から出てきた先生に紬の状態を聞くとこう答えた。
「東谷さんの状態は正直言って芳しくありません。ひとまず一命はとりとめましたが現在も意識がなく、このままでは去年までのような昏睡状態が続き、再び目覚めても後遺症が残るかもしれません」
そんな、紬はずっと病院で過ごしていて、やっとみんなに会って誕生日を祝ってもらえるはずだったのに、こんなことってありかよ……!
「東谷さんの病についてはご存じですか?この病気はあまり症例がなく、最近になってようやく患部を切除し、薬を処方することで延命はできるようになってきた謎の奇病です。完治はせず、初期症状もなく、じわじわと体を蝕んでいく。ほとんどの場合が重症化から1年以内に亡くなります。一命をとりとめてもほぼすべての患者が昏睡状態になり、いつ目を覚ますかはわかりません。東谷さんは重症化してから昏睡状態になり覚醒した稀有な例でしたが、まさかこんなことになるとは……」
紬がそんな病気になっていたなんて姉さんは言っていなかった!
確かに昔から体が弱くて、外では長時間は遊べないし様々な薬を服用していたが。
くそ、一体どうすればいいんだ。無力感に苛まれながら、紬の部屋の前でひたすら無事を祈っていた俺は、いつの間にか眠ってしまっていた。
――頬に優しい風を浴びて目が覚める。あれ、いつの間に眠っていたんだ?今何時だ?いやそんなことより紬はどうなった!?
慌てて身体を起こし周囲を見渡すと、そこは病院の廊下ではなく、辺り一面に草原が広がっていた。
一体ここはどこなんだ?俺は状況が呑み込めずにいた。
「まだ、夢の中か?その割には意識がはっきりしているな。明晰夢ってやつか」
はっきりとした意識のまま、頬を叩いたり大声を出したりしてみるも一向に起きる気配がない。
「困ったな、夢ってどうやったら覚めるんだ?」
起き方が分からず戸惑っていた俺は、ひとまず周囲を散策してみることにした。
すると小高い丘になっているところに一軒家がぽつんと立っているのが見えた。
「ひとまずはあそこを目指すか。くそ、紬がどうなったか早く確かめたいのに何だってんだ」
なかなか目が覚めない状況に苛立ちを覚えながら、丘の上にある立派な赤いレンガ造りの家を目指す。
中に入ると埃一つなく、手入れの行き届いている様子がうかがえる。
「あの、すみませーん、誰かいますかー?」
既に中に入ってしまっているが念のため住人がいないか声をかける。夢の中だから必要ないだろうが。
案の定返事はなく、中を見て回ることにした。
中は結構広く、2階建てで部屋がたくさんあった。キッチンも広くて寝室にもキングサイズのベッドが置いてある。風呂トイレも結構広めだぞ。なかなかいい家じゃないか。現実でも定年後はこんな立派な家で草原に囲まれて穏やかに余生を過ごしたいものだ。
一通り部屋を見て回り、残る部屋はあと一つだ。
そこは2階の階段を上ってすぐにある部屋だ。ここは敢えて最後まで中を見なかった。なぜなら、この家には誰もいないようだが、誰かの気配を感じるのだ。
だがここまできてこの部屋だけ確かめないのもなんだか気持ち悪い。
呼吸を整え、恐る恐るドアを開けた。
そこは子供部屋だった。それも、まだ幼い女の子のためのような意匠が施されている。
学習机とベッドがあり、ベッドの掛布団が少し膨らんでいる。呼吸のようなリズムでその膨らみは上下している。どうやら誰かが眠っているようだ。
ふむふむ、誰かが寝……って、この家には誰もいないはず。しかし確かにこの部屋から誰かの気配は感じていた。
正直かなり怖いがどうせ夢だ。何がいても死にはしないだろうと自分に言い聞かせ、腹を括って思い切って布団をめくってみた。
――――そこにいたのは幼い少女だった。
しかもとても見覚えがあるぞ。
そう、眠っている少女は、紬だった。
「なんだ、脅かしやがって。起きろよー、紬」
体を揺すって紬を起こそうとするが一向に起きない。夢の中で熟睡して起きないとは。もしかして紬の夢の中でもまた違う誰かが眠っていて――と無限に続いているのではないか、とか、そういえば昔も姉さんに頼まれて、こうやって朝の弱い紬を起こしていたな。なんてくだらないことを考えていると、熟睡モードだった紬が少しだけ体をよじり、薄目を開けてこう言った。
「お兄ちゃん、だあれ?」
なんだ、まだ寝ぼけているのか。いや、というより4年も会っていなかったのだ。俺の顔なんて忘れてしまったのだろう。
「紬、俺だよ。沖縄の施設の家人寿(やーにんじゅ)で昔よく遊んでやったろ?施設長の北村 真奈夏(まなか)の弟の湊斗(みなと)。覚えてないか?」
名前を名乗っても紬は不思議そうに首を傾げる。あんなに可愛がっていたのに全く覚えられていないとは、夢の中とはいえ正直くるものがあるな。そこでふと違和感に気づく。
なんか、幼くないか?そう、紬とは4年前の3月、紬がまだ7歳の時に別れて今日で12歳のはずだ。なのに別れた当時と同じくらい幼く見える。夢だと一番印象の強い姿で現れるものなのか、と一人で納得して再度紬に話しかける。どうせ目が覚めるまで何もできないんだ。現実で果たせなかった感動の再会を、夢の中で先に迎えるとするか。
「紬は一人で何をしてたんだ?」
「むぎってわたしのなまえ?なんでおうちにいるんだろう、わかんないや」
そういえば紬は自分の名前がちゃんと言えず、一人称が“むぎ”だったな。ほんとに懐かしい。
「お兄ちゃんはなんでわたしのなまえをしっているの?もしかしてほんとのお兄ちゃん?」
「いや、お兄ちゃんでは――」
「じゃあパパだ!だってむぎとおんなじおうちにいるのにお兄ちゃんじゃないならパパだよね。じゃなかったら――もしかして“ふしんしゃ”さん!?」
紬が急に涙を浮かべながらカタカタと震えだす。ま、まずい。このままだと不審者扱いされて紬に怖い思いをさせてしまう。
「そ、そうそうパパだよ!俺は紬のパパ!」
「そっかぁ、よかった、やっぱりパパなんだ。でもなんでむぎはパパのことを覚えてないんだろう?」
とっさについた嘘を信じてくれたのは嬉しいが、そんなんじゃお兄ちゃ――パパは心配だよ紬。
記憶のことはまあ夢だしこの際いいか。
「まだ寝ぼけてるんだろ。どうだ紬、パパと下で一緒に遊ばないか?」
「ほんと!?遊ぶ遊ぶ!!」
そういうと紬はパジャマから着替えだした。小さいころから紬のことは見ているが現実だともう12歳だ。気を使って俺はそっと部屋から出る。
「着替えたら降りておいで。1階のリビングにいるから」
夢の中とはいえ紬とまた一緒に遊べるなんて楽しみだな。これじゃどっちが子供なんだか。なんて自嘲をしつつキッチンの冷蔵庫に飲み物を取りに行くと、ジュースや酒、お茶など様々な飲み物や、それだけでなく食材なんかも豊富に入っている。遊び終わっても夢から覚めなかったら、後で飯でも作ってやるか。
コーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、紬のためにコップにジュースを注いでリビングに向かうと、もう紬が今か今かといった表情で待っていた。
「パパー、なにしてあそぶの?」
そうだな、紬はどんな遊びが好きだったかな。家を見て回った時も特に遊べるものもなかったし、身一つでできる遊びにしようか。
とりあえず遊びを考える間のつなぎとして肩車をしてやると、突然チャイムが鳴った。
まだ他に人がいるのか?もしかして姉さんだったりして。
はーい、と玄関に向けて声を発し、紬を肩に乗せたまま玄関のドアを開けると、そこには誰もいなかった。しかしその代わりに、真っ赤なリボンで結ばれた黒い大きな箱が玄関先に置かれていた。
「何が入ってるんだ?」
ここまで何事もなかったので、無警戒で箱を開けた。
パーン!
……ビックリ箱だった。くそ、急になんだよ。
まぁ、紬が驚いた俺を見て楽しそうに笑っているからいいか。
箱の中をよく見ると手紙が一通と、シャボン玉のセットが入っていた。そうだ、紬はよく施設の庭で他のこどもたちと一緒にシャボン玉で遊んでたな。液がなくなると洗濯洗剤を薄めたものを補充させられていたっけ。
「わ、シャボン玉!」
紬が目を輝かすので肩から下ろしてシャボン玉セットを渡してやると、外に駆けだして行った。
その後姿を見送りながら同封されていた手紙を読むと、中にはこう書かれていた。
「これは夢ではない」
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