第36話


 隊長は、私から奪った飛刀を手にしたまま、その場に立ち尽くしていた。

 そこへ飛んできたのは、狗頭人の賞金稼ぎ、キャルブンの十文字槍だった。

 抜き放たれた飛刀が穂先だけを斬って落とすと、ただの棒きれとなった柄は乾いた音を闇の中に響かせて落ちた。

 誰が振るおうと、腕さえ確かなら、思いのままに目の前の相手の首を刎ねることができるのだ。

 だが、私に恐れはなかった。

 尋ねるだけでよかった。

「その先はどうする気だ」

 恥ずかしげにうつむく隊長に、炎の帝王は命じた。

「斬れ!」

 龍騎兵たちの目の前で、隊長は身じろぎひとつすることなく、ただ飛刀だけを見つめている。

 そこから目をそらしたモハレジュは、冷ややかに言い放った。

「勝負あった、ってことじゃないの?」

 追いついてきた山猫頭のアレアッシュワティが、いらだたしげに隊長を煽った。

「斬っちまいなよ」

 それでも隊長は動くことなく、ぼんやりと尋ねた。

「誰を?」

 さらにやってきた狼頭のヴィルッドが、いつになく声を荒らげて叱り飛ばした。

「目の前の相手だ!」

 だが、隊長は、まだ、虚ろな眼で答える。

「どちらを?」

 アッサラーが高らかに声を上げた。

「我が神の紋章を汚したる者を!」

 炎の帝王とは呼びたくなかったのだろう。

 それでも、隊長には誰のことか分かったようだった。

「その命は、あれにつながっている。もし、斬り捨てれば……」

 見つめる先には、鉄の宝玉がある。

 ただひとり、それをどう使うのか知っているのは炎の帝王だけだ。

 底が抜けた地の底から、風が吹き抜けていく。

 その先にある晴れ上がった空に向かって、すがるような叫び声が響き渡った。。

「我が神よ、お導きを!」

 途端に怒り出したのは、アッサラーだった。

 信仰を汚されたのがよほど許しがたいのか、半狂乱になって喚き散らす。

「その先に炎の神などいはしない!」

 いや、そもそも神などというものがいるとは思っていなかった。

 私だけではない。

 半人半獣の者どもワハシュはもとより、モハレジュも、龍騎兵たちも信じてはいなかっただろう。

 だが、天空からは、修行僧のアッサラーの固い信仰さえも挫くような託宣がつげられた。

「そうだ、炎の神など、最初からいはしないのだ」

 すると、炎の帝王が祈りを捧げていたのは、少なくとも炎の神ではないことになる。

 隊長は、呆然と空を眺める。

「まさか……こんなことが」

 山猫頭のアレアッシュワティはというと、唖然としていた。

「何だ、ありゃ」

 狼頭のヴィルッドが面白くもなさそうに答える。

「神様とかいうヤツらしいぜ」

 モハレジュはモハレジュで、呆れかえっていた。

「なんかまたややこしそうなものが」

 そこで、魂を抜かれたように棒立ちになっていたアッサラーが立ち直った。

「惑わされんぞ、貴様のような邪神には!」 

 だが、その邪神は何の奇跡も起こさなかった。

 炎の帝王からは、新たに助けを求める声が発せられる。

「なぜ、お答えにならないのです!」

 邪神は、こともなげに答えた。

「その宝玉が、お前のものではないからだ」

 単純な話だった。

 それだけに認められないのか、帝王が抗議する。

「皇子誕生のために、これをお与えになったのでは」

 モハレジュが顔をしかめたのは、そのために集められたハーレムの女だったからだろう。

 気にするな、とささやくと、私の胸にすがりついて震えだした。

 だが、邪神の声が揺さぶったのはモハレジュの心だけではなかった。

「その皇子が、ここにいる……お前の子ではないがな」

 敵も味方も、それが誰なのかと言わんばかりに互いの顔を眺める。

 やがて、炎の帝王は私を見つめる。

「まさか、こやつが?」 

 すると、邪神は楽しげに笑った。

「お前が殺した、先帝の子よ」

 

 これも、あまりのことに返事のしようがなかった。

 代わりに、アッサラーが口を開く。

「聞いたことがある。一介の農民から、龍神への信仰と得体の知れない人望だけで成り上がった男がいたらしい」

 そこで語られたのは、先帝の物語だった。


 龍神の加護を信じて、ただひたすら畑を耕す男がいた。

 無口で、人づきあいもよくはなかったようである。

 だが、疑うことを知らなかった。

 だから、男の周りには、常に人がいた。

 返事がないのをいいことに、何かと悩みや不満をぶちまけてくることもあった。

 それらは家庭や仕事にとどまらず、いつしか天下国家の大事にまで及んでいた。

 やがて、男は動いた。

 自らのためでなく、周りに集う者たちのために、身体を張って働いた。

 いつしか、それは命をかけた戦いとなる。

 男は知恵と武勇に恵まれた多くの味方を集めるようになったが、それを誇ることはなかった。

 ただ、龍神の加護があってのことだと語り続けた。

 それを信じる民に支えられて、ついには国を統べる皇帝にまでなった。

 だが、そこまでだった。

 国を富ませ、兵の強化に努めることもしない。

 ぼんやりと生きる男の代わりに、国の内外の問題を全て解決する者が現れた。

 龍神の加護を信じ、人を疑うことを知らない男は、命と地位を奪われるまで、その野心に気付くことがなかったのだという。


 そんな話を聞かされても、呆然とするより他はない。

「私は……」

 何者であるのかを、言い表す言葉はなかった。

 代わりに、邪神が語る。

「側に仕える刀匠が救い出した、先帝の忘れ形見よ。覚えてはおるまいが……それで気付くことはないか? 己の性分に」

 それまで黙って私を見つめていたモハレジュが口を挟んだ。

「だから、銃が使えないのよ、フラッドは」

 アレアッシュワティは納得しなかった。

「前の王様の子供だからって、銃が使えないわけじゃ」

 ヴィルッドもうなずいた。

「もともと銃などなかった頃の王様だろう」

 だが、隊長は私にひざまずいて言い切った。

「銃で滅んだ龍神が、槍や刀しか使わせなかったのでしょう。それこそ龍神の加護です……これまでの非礼、お許しください。」

 私にだけは分かった。

 その龍神とは、テニーンに他ならない。

 すると、あの盗賊の街での出会いは運命だったのか、それとも私の居場所を探し当てたうえで仕組まれたものだったのか。

 どちらでもいい。

 テニーンは、飛刀と先帝の血筋を受け継いだ私に、全てを託したのだ。

 

 そして、今、炎の帝王と自ら称した男の側に着く者は、神であってもなくても、誰ひとりとしていない。

 それでも、この男は空しく抗った。

「だが、今は私が……」

 邪神は嘲笑った。

「そう、今でも、先帝と覇を争って敗れた大貴族の息子よ」

 男は目を剥いて、なおも邪神を罵り続ける。

「そうだ、わが父が敗れたのは力なきがゆえ。そのことを恨みはすまい……同じやり方で、勝って玉座を奪い返せば済むこと」

 邪神は、なおも男をからかいつづける。

「力に溺れて先帝を殺しても、その先がないのではな」

 男は、怒りに任せて喚き続ける。

「邪魔したのであろう……世継ぎの誕生を」

 そんな力はない、とあっさり告げた邪神に男は食ってかかる。

「皇子誕生の祈りを受けて、あの永遠の炎を与えたではないか」

 邪神の答えは、つれないものだった。

「女がおらねば子は生まれまい」

 男はなおも食い下がる。

「日照りで大地を荒らせば、水を手にした者が思うがままの力を振るえる。荒廃した国土から美女を献上させることもできる……そういうことだろう」

 血を吐くような問いへの返答は、思わせぶりなものだった。

「どういうつもりかは知らんが、よくぞ龍を滅ぼしてくれた」

 邪神に操られていたことを悟ったのか、男がその場に力なく膝をつく。

 アッサラーが冷ややかに言葉を継いだ。

「龍は水を司る……だから除かねばならなかったのだろう」

 それには、むしろ憐れみさえ感じられた。

 私も静かな気持ちで邪神に尋ねる。

「何のために、こんなことを?」

 目には見えなかったが、邪神が向き直って真正面から答えたような気がした。

「見ただろう。龍は全てを破壊する……次の始まりのために」

「利用したのか? 龍を……テニーンを」

 邪神は厳かな声で告げた。

「いちど栄えたものを滅ぼして、次に来るものに渡すだけのことだ。お前の父が築いたものも、こやつが築いたものも」


 そこでやにわに立ち上がったのは、邪神からも見放された男だった。

「ならば、お前には渡さん! 我が国を!」

 隊長に飛びかかって、飛刀を奪い取ろうとする。

 だが、それは私に捧げられた。

「我が主よ!」

 再び飛刀を手にした私は、底知れぬ正面の崖に吊り下げられた鉄の宝玉に向かって、渾身の力で跳躍した。

 炎の帝王と呼ばれていた男もまた、悲鳴を上げて闇の中に身体を躍らせる。

「やめろ!」

 その姿は、闇の底へと落ちていった。

 私は身体が落ちていく勢いに任せて、育ての父から受け継いだ技で鍛えた刃を振り下ろす。

 青空の向こうから、崖に囲まれた暗い空洞に響き渡る声で邪神が呻いた。

「愚かな」

 右へ左へ大きく切り裂かれた宝玉の隙間から光がこぼれたとき、あらゆるものが足場を失った。

 モハレジュも、半人半獣の者どもワハシュたちも、アッサラーも、竜騎兵たちも、その隊長も。

 闇の底へと真っ逆さまに落ちていくのを感じながら、私は叫んだ。

「テニーン!」

 自分の身はどうなろうと構わない。

 ただ、ここまでついてきてくれた人々を助けてほしい。

 そう願ったときだった。

 宝玉から炸裂したと思った光が、ふっと消えた。

 見上げると、真っ青な空から真っ逆さまに降ってきた龍が、大きな顎を閉じたところだった。

 宝玉を呑み込んだ龍は闇の中で身を翻すと、その場に浮かんでいた人々を背中へ器用にすくいあげて、凄まじい勢いで天へと昇っていく。

 途中で固い地面に降り落とされたかと思うと、まばゆい光が私たちの頭上で閃いた。

 あとに残った青空には、ひとひらの雲さえ残っていない。

 私は、すべてを託して消えた最後の龍の名を呼ぶ。

「テニーン……」

 その姿が消えた先を見上げると、とめどない涙があふれた。

 誰ひとり、言葉をかける者はいなかった。

 いつも私につきまとって離れないモハレジュさえも、ただ、その華奢な身体で寄り添うだけだ。

 ただ、どこからか聞こえる禍々しい声がある。 

「忘れるな……これで終わったわけではない」

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