第31話

 見せしめの用を成さなくなった処刑場から、この城内の者も、街中の者も、見物人は姿を消していた。

 だが、それは鼻先も見えなくなるほどの凄まじい雨のせいばかりではない。

 その中に紛れてなだれ込んできた者たちの姿が、おぼろげながら見えてきたのだ。

 先頭を切るのは、剣をかざした軽武装の戦士たちだった。

 見覚えがある。

 あれは確か、飛刀を打った村を襲った龍騎兵たちだ。

 その飛刀で私は銃をことごとく真っ二つにしたうえで、丸腰で都へ帰したのだが、今まで、どこで何をしていたのだろうか。

 こちらへ近づいてくるにつれて、どうにか声も聞こえてくる。

「手向かうな! おぬしらに我らは倒せん!」

 龍騎兵たちの隊長だったかと思う。 

 立ち向かっていくのは、処刑場の見張りに当たっていた兵士たちだろう。

 裏切者が、と叫んで銃を向ける兵士も数限りなくいた。

 その目の前で、龍騎兵の隊長は悠然と告げる。

「手向かうな。殺したくはない」

 引き金に指がかかるが、弾が撃ち出されることはない。

 兵士たちがそれに気づく前に、重い雨に濡れた銃は次々に叩き落とされた。

 ようやく抜いた剣も、受け流されるばかりで隊長には届かない。

 それでも数に物を言わせれば、隙を狙える者はいる。

「手こずらせやがって!」

 そう言いながら振り下ろした剣は、横から突き出された槍に叩き落とされた。

「多勢に無勢でかかるのは兵法にかなっていよう。だが、せめて己の技の未熟さを悟ってからにするがよい」

 修行僧アッサラーだった。

 武器を失い、説教までされた兵士は今だ衰えることもない雨足に紛れて逃げ去る。

 中には逃げようとしないで、やけを起こして手当たり次第に切りかかる。

 その先には、モハレジュがいた。

 しまったと思って駆け寄ったが、飛刀でも間に合わない。

 だが、その刃は柄を残して根元から折れた。

 雨のカーテンの向こうにぼんやりと佇むのは、この世ならぬ者の影だった。

 人間の数倍もある胴体に、大きな角の生えた頭。

 半人半獣の者どもワハシュだ。

 しかも、そんな姿をしているのは、ただひとりしかいない。

 モハレジュが叫んだ。

「スラハヴァー!」

 呼んだその名は、届くことはなかった。

 代わりに、兵士たちが悲鳴を上げる。

「化物だ! 悪魔が出た!」

 鈍重な亀の甲や邪魔なだけの角は、土砂降りの雨の中では凶悪で禍々しく見えるらしい。

 さっきまで振り回されていた剣を取り落とした兵士たちは、ほうほうの体で闘技場から逃げていった。

 半人半獣の者どもワハシュの中でもひときわ不格好なスラハヴァーが、角の下の眉をひくつかせる。

「助けにきたぜ!」

 自信たっぷりに告げたところで、混戦の中、ぬかるむ地面に小さくうずくまっていたネズミ頭の老人が立ち上がった。

「遅い」

 ファットル爺さんが不満げにぼやいたのも無理はない。

 逃げる兵士は、ほんのわずかな数に過ぎない。

 私たちは、いつの間にか剣を手にした兵士たちに包囲されていた。

 スラハヴァーもよく働いたが、見かけの恐ろしさやコケオドシでどうこうできるほど、炎の帝王の兵は甘くないということだ。

 だから、爺さんには、代わりに謝ることにする。

「もう、思い残すことはありません。命に代えても、逃がします」

 だが、亀の甲羅の後ろから襲いかかる兵士は、いかに飛刀を振るっても斬りようがない。

 首をひと薙ぎされかかるところを押しのけようとしたが、その前に、剣は泥の中に突き刺さっていた。

 山猫頭のアレアッシュワティが私を面白くもなさそうに横目で見ながら、倒れた兵士に鎌状の槍をつきつける。

「忘れないでくれ、俺を」

 殺すなよ、と釘を刺すのは、偃月刀を振り回して、兵士たちを追い散らす狼頭のヴィルッドだ。

 狗頭人のキャルブンは無言で十文字槍を操って、兵士たちゅを突き伏せている。

 飛刀を手に立ち尽くすしかない私だったが 突然、目の前に現れた兵士が3人、剣を振り上げた。

 そこで、山猫頭と狼頭と狗頭人が叫ぶ。

「使え!」

 何のことだか分からないうちに、兵士たちは風を切る矢の音に身をすくめた。

 その隙に、飛刀で武器を全て斬り飛ばすそこで声をかけてきたのはファットル爺さんだった。

「本当の敵を見失うな」 

 はっと気づいて辺りを見渡したが、降りしきる雨と乱戦の中、その姿はどこにもない。

 その図体のせいで、やはりすることのなくなったスラハヴァーがため息をついた。

「そう言いながら真っ先に逃げるんだもんな」

 あっち、とモハレジュが指差す。

 その先を見ると、私の味方をしたばかりに捕えられた市民や、クロスボウを放り出した村の若者たちを先導して、ネズミ頭の老人が闘技場の外へと姿を消すところだった。

私は飛刀を振りかざして、並み居る兵士たちを見渡す。

 その威力は、テニーンとの戦いを見ていた者たちなら分かるはずだ。

 案の定、竜騎兵たちや半人半獣の者どもワハシュと戦っていた兵士たちは後ずさった。

 これでいい。


 ……人は勝ち戦や、逆に負けると分かっている戦いで、敢えて命を賭けたりしないものよ。


 そう教えてくれたテニーンは、龍となって飛び去って行ってしまった。

 この雨は、その本来の姿で降らせたものだろうか。

 ひとり、またひとりと剣を捨てて逃げ去るのが見える。

 やがて、処刑場だった闘技場を守っていた兵士は、ひとり残らずいなくなった。

「もういい、テニーン」 

 まだ晴れることのない厚い雨雲を見上げてつぶやいても、その上を駆け巡る龍に聞こえるはずもない。

 最期の龍は命が尽きるまで、何十年も日照りが続いて乾ききった大地を潤すべく、雨を降らせ続けることだろう。

 そのために、テニーンは私の前に現れたのだろう。

 炎の帝王に力を封じられた、最後の龍として。

 つまり、私の役割は終わったのだ。

 闘技場を立ち去ろうとすると、後ろから肩を掴む者がいた。

「まだ終わってはいない」

 主を裏切っておきながら、やはり名乗りもしない龍騎兵の隊長だった。

 その手を振りほどいて、きっぱりと告げる。

「もう、私には関わりのないことだ」

 だが、隊長は聞かない。

「帝王は逃げた」

 私の周りを、竜騎兵と半人半獣の者どもワハシュが取り囲む。

 それでも、私はもう戦う気がなかった。

「追う理由がない」

 あまり好ましいことではなかったが、飛刀を突きつけると半人半獣の者どもワハシュたちが道を空けた。

 その中には、山猫頭のアレアッシュワティも狼頭のヴィルッドも、狗頭人キャルブンも、そして角を生やした亀の身体のスラハヴァーもいる。

 黙って私を見送ってくれるばかりか、呼び止める隊長を遮りさえした。

 アレアッシュワティは、やはり不機嫌そうだった。

「行かせてやれ。奪い返す女はもういない」 

 ヴィルッドも、静かに告げた。

「あとは俺たちの戦いだ」

 スラハヴァーは余計なことを言う。

「さっきみたいに兵隊追っ払ってもらえないのはもったいないけど」

 そこでアッサラーが口を挟んだ。

「炎の神は戦神だ。だが、真の戦神は、戦う理由のない者に、無益な争いを強いることなどない」

 最後に聞こえたのは、モハレジュの声だった。

「アタシも止めないよ。アタシはアタシを自分で奪い返す。あいつから」

 私の足が止まった。

 龍となったテニーンが降らせる雨は、いつか終わる。

 だが、そのテニーンが連れていかれた炎の帝王のハーレムは、まだ残っているのだ。

 そこで再び、名乗らぬ隊長は私に告げた。

「帝王の灯を永遠のものにする力だという。その力があれば、炎はいつでも蘇るらしい」

 テニーンやモハレジュのような思いをさせられる女は、これからも現れるということだ。

 身体が勝手に振り向くと、考えるよりも先に、言葉が口をついて出ていた。

「帝王はどこに?」

 隊長が答えた。

「闘技場の奥へ。恐らくは、力の源は、ここから遠くはないところにあるのでしょう」

「案内してくれ」

 叩きつける雨の中を、さっきとは反対側へと歩きはじめる。

 だが、隊長の答えは、その熱い気持ちとは裏腹に、素っ気ないものだった。

「奥からどちらの方向へ行ったのかは分かりますが、どうやって行けばいいのかまでは分かりかねます」

 探り当てるしかないということだ。

 力の源が何であれ、それで再び日照りが大地を覆いつくすことだろう。

 その前に、炎の帝王を見つけ出し、新たに力を手に入れるのを阻止しなくてはならないのだった。

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