第29話
太陽は中天に昇りつめていた。
真っ青な空が、真昼の暑さと「神の炎」の熱さとで揺らめいている。
誰もが全身から吹き出す汗で髪と服とを濡らしていた。
モハレジュの褐色の肌も、宝石のように輝いている。
だが、テニーンは涼しい顔をしていた。
そういえば、山賊として山中に潜んでいたときも、汗を流しているのを見たことがない。
私はといえば、さっきの戦いの疲れに加えて、暑さと、目に染みる汗のせいで、見えるもの全てがぼやけている。
戦えば負けるだろうし、戦わずに殺されるのが最も楽なやりかただ。
だが、テニーンを炎の皇帝から救い出すためについてきてくれた仲間たちのためにも、戦って勝たなければならない。
どんな手を使っても。
だから、私は炎の皇帝に向かって告げた。
「丸腰の相手は殺せない」
もともと私は刀鍛冶だ。
剣技を極めようとする武術家でも、人前での戦いを売り者にする剣闘士でもない。
ましてや、暗殺者でも処刑人でもない。
今までもやむを得ず飛刀を振るってきたが、それは竜をも屠るほどの剣があれば、いらぬ争いを減らすことができるからだ。
本当は、戦いたくもなければ殺したくもない。
それが本当の気持ちだった。
だが、今は時間稼ぎに過ぎない。
それでも、テニーンは気に入ったようだった。
再び微笑んで、私の目の前に割り込んでくる。
「お互いさまね」
これから命懸けの戦いをしなければならない相手とは、とても思えなかった。
まるで、これから武術の稽古をつけようとしているのかのようだった。
拳だろうが棒だろうが、何を使おうと決して敵いはしない。
だが、決して辛くはなかった。
徹底的にねじ伏せられ、叩きのめされても、その後は励ましと抱擁が待っている。
……もっと強くなって。
……他の誰でもない、私のために。
……いつか、倒してくれるのを待ってる。
だから、強くなれた。
笑顔をじっと見つめると、心の中のつぶやきが聞こえたかのようにテニーンは頷いた。
それが気に食わないのか、帝王は苛立たしげに答えた。
「放っておけば、お前は死ぬ。その女、お前を殺して余の子を……」
くどい。
こんな気ばかり若い老いぼれに、テニーンが汚されるなど我慢がならなかった。
手元に飛刀があったら、後先考えずに斬りかかっているところだ。
丸腰でよかった。ただ背中から撃ち殺されてもつまらない。
この命、捨てる覚悟はできているが、せめて一矢たりとも報いてやらねば気が済まない、
「言うな」
ただひと言だけ吐き捨てると、炎の帝王は余裕たっぷりに嘲笑った。
「目つきだけ見れば、余の配下にひとり欲しいくらいだ」
いつもの私なら、こんな他愛もない戯言は聞き流すところだ。
だが、このときばかりはこらえることができなかった。
……誰が!
感じたこともない衝動が、身体の奥から突き上げられてくる。
「誰が、お前などに」
そのとき、テニーンの配下のひとりが、ファットル爺さんにつきつけていた銃を下ろした。
差し出されたものを、テニーンが放ってよこす。
「その意気よ……これでどう?」
それは、ひと振りの刀だった。
鞘にも柄にも見覚えがあるが、刀身をすり替えてテニーンに渡したとも考えられる。
念のため引き抜こうと思ったが、思いとどまる。
テニーンが、殺してくれと言わんばかりの真剣な眼をしていたからだ。
……飛刀!
父から譲られたものは、竜をも屠る銃で打ち砕かれた。
父の教えのもとに私の手で打ったものはテニーンによって奪われ、その手で再び返された。
たぶん、私の手で命を断たせるために。
目をそらさずにはいられなかった。
飛刀からもテニーンからも顔を背ける。
「できない」
その私の頭を、馬の鼻でも撫でるように抱き寄せたのはモハレジュだった。
「それでいいよ……アタシの思ったとおりの男だったから。フラッドは。一緒に居られてよかった……ごめんね、ホントはアイツの女でなかったらよかったのに」
私も思わず、モハレジュを抱きしめそうになったが、そこは抑える。
ここはアイツ……炎の帝王にとっては処刑場だ。
私が死んでも皆、助かる約束になっているが、再び、炎の帝王に抗おうとすることはないだろう。
ならば、勝ってみせる。
今の私にとって、ここは闘技場なのだ。
テニーンはというと、モハレジュと張り合うかのように帝王にひざまずいた。
「武器を賜りたく」
いよいよ、対決のときがきたらしい。
帝王はものも言わずに、悠然と自らの銃を投げてよこした。
私もまた、飛刀を抜く。
すり替えられてはいなかった。
まっすぐに降り注ぐ太陽の光に、私が鍛えた刃が煌く。
そこで、帝王が呻くようにつぶやいた。。
「それは、もしや……」
おかしい。
炎の帝王は、モハレジュを使ってこれを手に入れようとしたはずだ。
しかも、テニーンが奪い取ったものを目にしていないはずがない。
「どういうことだ?」
モハレジュに尋ねてみて、答えが返ってこないうちに気付いた。
もしかすると、炎の帝王は、私が飛刀を打ったことを知らないのではないだろうか。
だが、その鍛冶場となった村を襲った竜騎兵たちは生かして都へ帰した。
飛刀のことが伝わっていないはずはない。
実際、モハレジュが盗み出した飛刀を手に入れるため、兵士たちがやってきたではないか。
……いや、待てよ?
炎の帝王が、飛刀そのものを知っていて、それを探していたとしたら?
その命令を受けていた兵士たちが、モハレジュが持ち出したものを手に入れようとしたのだとしたら>
私の考えていることに気付いたのか、モハレジュが自慢げに薄い胸を張った。
「ひとり残らず倒したから」
それならば、銃を手にして屋根の上に現れたのも納得できる。
だが、いくら腕が立つといっても、ひとりでそんなことができるとも思えない。
「どうやって?」
尋ねてみたが、モハレジュは言いにくそうに口ごもるばかりだった。
それ以上は聞き出せない。
炎の帝王は、愕然として私を見つめていた。
「それは……」
明らかに、己を失ってうろたえていた。
この隙を逃すべきではない。
飛刀を手に、辺りの様子をうかがう。
少しでも機会があれば、テニーンと仲間たちを連れて逃げ出すつもりでいた。
だが、兵士たちは銃を我々に突きつけたまま、身じろぎひとつしない。
主が錯乱したくらいで、課された使命を忘れたりはしないようだった。
やがて、我に返った炎の帝王は、あの落ち着いた声で尋ねた。
「竜をも屠るという飛刀……なぜ、お前たちが持っている?」
ここで怯んでは、脱出などおぼつかない。
私は誇りを持って言い放った。
「父から学んで、私が鍛えたものだ」
このひと言で、何も恐ろしくはなくなった。
私の仲間たちの目に、喜びの色が浮かぶ。
だが、このひと言は炎の帝王を逆上させるにも充分だったらしい。
「撃て!」
炎の帝王の命令に応じてテニーンが銃の引き金に指をかける前に、私は穏やかに問いかけた。
あの山の中で、何かあるとむきになる私をテニーンがよくたしなめたように。
「銃で刀に向かうのは卑怯じゃないか」
得たりとばかりに満足げな顔をしたテニーンが、肩をすくめてみせた。
「そのとおりね」
銃は無造作に投げ出された。
見るからに美しくも精巧に仕立てられ、おそらくは最高の威力を持つのだろうということは察しがつく。
それは、炎の帝王の権威と誇りそのものであったのだろう。
苛立ちに任せた怒りの声が、処刑場に響き渡る。
「その男を殺して、余の子を産むのではないのか!」
およそ玉座に相応しいとは思えない取り乱しようだった。
ハーレムの主を諫めるに、テニーンが冷然と答える。
「代わりの武器を賜りたく」
すぐさま、柄も鞘も立派な拵えの剣が、中天に昇りつめたまばゆい太陽の光を浴びて宙に躍った。
それをはっしと受け止めたテニーンを、炎の帝王が叱咤する。
「使うがよい! 神より賜りし永遠の炎が鍛えた剣ぞ!」
金糸銀糸で飾り立てられた鞘は惜しげもなく投げ捨てられる。
抜き放たれた刀身が禍々しいまでの妖気を放っているのは、ひと目でわかった。
だが、それをかわしている間はない。
斬りつけてくるテニーンは、本気だった。
ようやくのことで抜き放った飛刀で受け止める。
普通の剣なら、これで真っ二つにできるところだが、目の前にまで迫ったテニーンは、不敵な笑みと共に囁いた。
「飛刀では斬れないわ」
炎の帝王が言ったことは、ハッタリではなかったということだ。
テニーンの技もさることながら、その手にある剣も鍛えに鍛えられた業物だった。
手が痺れて、飛刀を取り落としそうになる。
それをこらたところで、テニーンは更に剣を振るう。
「これを鍛えたのは、この世にはない炎よ」
降伏を求めてきたのは、せめてもの情けだっただろうか。
とうとう、私はその場で膝を突いた。
立ち上がれなくなるほど、疲れきって力が抜けていたのだった。
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