第28話

 激しい戦いの後で息が上がり、胸の奥は割れ鐘のように鳴っている。

 だが、私は声を低めて返した。

「次は、どんな男だ?」

 どれほど屈強な相手が現れても、戦い抜くつもりだった。

 どんな武器を手にしていようと、どんな技を使ってこようと、負けるわけにはいかない。

 テニーンを救い出すまでは。

 炎の皇帝はというと、面白くもないといった口調で答える。

「追いこまれている者は、いらんことを聞くものだ」

 疲れているのは、見抜かれていた。

 さらに頑丈で腕の立つ男が無傷で現れたら、どうなるか分からない。

 そこで気付いたのは、炎の帝王の腰には頑丈そうな造りの刀が提げられ、その手には銃が握られていることだった。

 モハレジュが囁く。

「ごめん、あのとき……誘い込んだの、アタシなんだ」

 案内されるまま、あの下水溝に忍び込んだ私を撃った、あの強力な銃だ。

 逃げられない城の中で、衛兵に仕留めさせる算段だったのだろう。

 炎の帝王が自ら出てきたのに気付いたときには、モハレジュも面食らったことだろう。

 私は笑いながら答えてやった。

「ご苦労なことだな、罠にはめたり助けたり」

 小剣で挑んだ私と共に、銃の衝撃で吹き飛ばされたように見えたが、あれは絶対に勝てない相手から助け出してくれたのだ。

 モハレジュは、なおも小さくなる。

「結局、何もできなかった」

 全ては、炎の帝王の掌の上にあった。

 従う者も逆らう者も見守る中で、これを使って自ら私を仕留めれば、背こうと思う者はいなくなるだろう。

 それならば、どうやって戦うか。

 気を失いそうな疲れの中で知恵を絞る。

 だが、炎の皇帝は手を下すつもりなどなかったらしい。

 華奢な影がその傍らに立ったかと思うと、高く昇った陽を背にして舞い上がる。

 その姿を見上げた私は、息を呑んだ。

「まさか……」

 昔話の天女を思わせる薄布が翻る。

 目の前に音もなく降り立ったのは、肌も露わな美しい女だった

 薄い布一枚を身体に巻き付けただけの、ほとんど裸の身体。

 その上に乱れる黒髪に、白い肌が映える。

 私は、その女を知っていた。

「テニーン……」

 炎の帝王は、遠目にも分かる苦笑と共につぶやいた。

「余の子を産むためには、お前を消さねばならんのだと」

 あの山中で見たものを思い出す。


 ……朝起きてみるとテニーンの姿がない、

   探し歩いてみると、眩しい光に包まれた山奥の泉で沐浴するテニーンがいた。

   木々の向こうに垣間見た美しい裸身に、私は身震いさえ感じたものだ。


 だが、今、背筋を走ったのは別の冷たさだった。

 人前に惜しげもなくさらされた、胸から腰、脚の艶めかしさに身体が凍りつく。

 苛立たしげなモハレジュの呻きが聞こえた。

「あの女……」

 嫉妬と怨念のこもった声がそれが聞こえて満足したかのように、テニーンは陶然と微笑む。

 私たちの様子を眺めながら、炎の帝王は処刑場に言い渡した。

「女を殺さねば、民百姓の命はない」

 人も獣も形を問わず、捕らわれた者たちの頭に銃がつきつけられる。

 アッサラーもファットル爺さんも縛られたまま、出会って初めて顔を見合わせた。

 人間アディの修行僧と半人半獣の者どもワハシュの元締め。

 この都で、これほど違う者たちが、ここまで等しい立場になったのが命の終わるときだというのは皮肉なことだった。

 だが、縛られていないモハレジュは強がる。

「そう言われると、命が惜しくなくなるんだけど」

 もちろん、誰ひとりとして死なせるつもりはない。

 そこで、私は炎の帝王に尋ねた。

「私が殺されたら?」

 もともと、私の命と引き換えに、捕らわれた者たちを解放するという話だったはずだ。

 私との取引とはつじつまの合わない駆け引きを持ちかけるあたり、テニーンの勝利をあてにした悪ふざけでしかない。

 そこは分かっているのか、炎の帝王は仕方なさそうに悠々と答えた。

「民百姓は許してやろう」

 だが、それはどちらかが死ねばよいということになる。

 こんな男の子供を産むために、テニーンはその身とその手を汚そうというのだろうか。

 私は、目の前のあられもない格好から目をそらしたいのをこらえながら尋ねた。

「正気か?」

 テニーンは、真顔で答えた。

「正気よ」

 答えはひとつしかない。

 私を信じて命を賭けた人々を裏切ることはできなかった。

 テニーンを殺さず、ついてきてくれた人々を守る方法は、ひとつしかない。

 フレイルを足元に投げ捨てると、テニーンは片方の眉を吊り上げて私を睨みつけた。

「がっかりさせないで」

 たとえ軽蔑されても、これはやむを得ない。

 仲間たちの許しを乞うために、私に向けられた顔を見渡す。

 だが、テニーンは再び口を挟んだ。

「いちいち顔色うかがわないの」

 子どもを叱る母親のような物言いに、モハレジュが白い歯を?いて逆らってみせる。

 だが、それを除いては、人の顔にも獣の顔にも険しさはなかった。

 テニーンが微笑む。

「いい人たちね。覚悟は決まった?」

 テニーンと闘わなくて済む理由は、どこにもない。

 それでも私は、膝を突いて答えた。

「できない。誰も殺せない」

 すると、それまで静まりかえっていた周りが急に騒がしくなった。

 いつもは素直な村の若者たちが、ドラ声を張り上げてわめきたてる。

「そりゃあねえぞ! 何のために、ここまで来たんだ? 俺たちは」

 ファットル爺さんは呆れたように忍び笑いを漏らしたが、名前も知らない半人半獣の者どもワハシュたちのひとりが咆えた。

「ガキの頃からケダモノ呼ばわりされてよ、殴られ蹴られで仕返しに暴れてきたよ。そんなことしか思いつかなかった。でも、お前は違う。何か違う。だから信じてたんだぜ、俺たちじゃとても考えるつかねえような、何かをよ」

 あまり賢そうに見えない顔で考え考え訴えるのに、うまく返す言葉がなかった。

 とっさに口をついて出たのは、ただ許しを乞うばかりの、正直な気持ちだった。

「すまない……他の誰のためでもない、テニーンひとりのために戦ってきた、だから」

 背負わされた多くのものは重すぎる、と言って通じるかどうか迷っていると、昨日まで当たり前の暮らしを送ってきたに違いない都の人が、縛られた身体をもぞもぞ動かしながら、照れ臭そうに言った。

「お前のように生きてみたかった」

 ようやくのことで、笑ってたしなめることができる。

「これは私だけの道です。だれも後には続けません」

 アッサラーは黙ったまま目をそらすだけだったが、モハレジュは私に寄り添うと、耳元で囁きかけた。

「それでも……信じてるからね。これで終わりじゃないって」

 これで終わりなのだ、とはどうしても言えなかった。

 自らのハーレムにいた女が私に心を寄せるのを見るのは面白くないのか、炎の帝王は口元を歪めて嘲笑った。

「決められない者は弱い……だから負けたのだ、前の王は」

 その瞬間、全身を駆け巡る不思議な感覚が沸き起こったのに私は戸惑った。

 前の王、という言葉が、妙に引っかかった。


 ……なぜ、この言葉で震えた? 


 それ以上、考えることはできなかった。

 処刑場を見下ろす高台の上に、天を衝くかと思うほどの炎が燃え上がったのだ。

 だが、驚きはない。

 あるのは、得体の知れない怒りだけだった。


 ……遠い昔、どこかで見た覚えがある。

 ……何か、かけがえのないものが、この炎によって奪われたような気もする。

 ……いや、この炎と闘うために生きてきたのではないか、私は?


 そんな思いが頭の中を駆け巡る中、珍しいことに、テニーンもまた息を呑んでいた。

「あれは、確か……」

 出会ってこのかた、こんな様子は見たことがない。

 処刑される者も見物する者も、ただ茫然とするばかりだった。

 それを見渡しながら、炎の帝王が誇らしげに告げる。

「余を見守る、神の炎よ」

 だが、ようやくのことで口を開いたアッサラーは、目を固く閉じたまま、首を何度も横に振りながら呻いた。

「知らぬ、かような炎は……」

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