第23話


 私は、ものも言わずにモハレジュに向かって飛刀を薙ぎ払う。

 だが、その刃は振り抜かれないうちに止まっていた。

 スラハヴァーが、モハレジュをかばって間に飛び込んできたのだ。

 思わず知らず、腹の底から深いため息が漏れる。

「余計なことを……」

 亀の甲羅の向こうで、モハレジュは隠し武器にしていた短剣を自分の喉元に突きつけている。

 これを飛刀で斬って飛ばすつもりだったのだ。

 モハレジュは哀しそうに笑う。

「アタシの仕事は、その剣をフラッドから奪うこと。しくじったら……死ぬだけ」

 いかに飛刀を手にしているといえ、これを止めるのは至難の業だ。

 口を固く引き結んだスラハヴァーからそらした目を、モハレジュと合わせることしかできない。

 そこで、修行僧アッサラーの声が掛かった。

「もう、そのくらいでいいのではないか?」

 私に言ったのであれば、冗談ではない。放っておけば、モハレジュは命を断つだろう。

 スラハヴァーに言ったのであれば、いかにもまずい説得だった。何があろうと聞きはするまい。

 モハレジュに言ったのであれば、説き伏せるのはこれからだ。炎の帝王のために、ここまでしてきたのを諦めさせるのは並大抵のことではない。

 半人半獣の者どもワハシュの中に潜み、味方を増やして、飛刀が生まれるのを待って奪い取る……。

 そこで、私は奇妙なことに気付いた。

 飛刀を打てるのは、この世界で私ひとりだ。

 その私が都にやってくるのを、なぜ炎の帝王は知っていたのか。

 まるで、そのためにテニーンをさらったようではないか。

 だが、そこから先は考えているゆとりなどなかった。

 モハレジュの口から、思わぬ言葉が出たのだ。

「フラッドを裏切った。だから」

 あまりに単純な理屈に、唖然とするより他はなかった。

 普通なら冗談ですませるところだが、今にも短剣で喉をひと突きしようとしているモハレジュの眼差しは、ぞっとするほど真剣だった。

 だが、アッサラーは冷ややかに言い放つ。

「分からんな。命懸けで、炎の帝王の子を産むに足る女であることを明かそうとしておるのに?」

 モハレジュは、鼻で笑った。

「アタシが……? 勘違いしないで」

 そう言うなり、私をちらりと眺めてうつむく。

「アタシ、どこで生まれた誰の子だか分からない。気が付いたら、炎の帝王の城で下働きやってた。で、いつかはヤられるんだなって思ってた。女はみんなそうだったから」

 一瞬だけ、テニーンの姿が目に浮かんだ。

 男なら心惹かれずにはいられない、清い心と身体を持つ女をハーレムに入れた炎の帝王が、何もしないでいるわけがない。

 それが分かっていながらも、今はモハレジュに、命を断つ短剣をどうやって捨てさせるかということを考えないではいられなかった。

 アッサラーはというと、なおも容赦なく問い詰める。

「それで、みすみす言いなりになるつもりなのか? 今でも」

 目を伏せたまま、モハレジュは肩を震わせた。

「逆らえば、殺される。しくじっても……」

 そこで初めて見上げた私に、胸の奥からあふれるような想いが叩きつけられた。

「フラッドのせい! 全部フラッドのせい! アタシの邪魔をしたのも、逃げられないくらいなら死のうと思ったのごまかして、こんな言い訳させるのも……」

「死なせはしない」

 モハレジュの言葉を遮ると、その手から落ちた短剣が高らかな響きをたてた。

 それを、目の前にいるのをすっかり忘れていたスラハヴァーが、亀の甲羅を地面に滑らせてかすめ取る。

 私は言葉を継ごうと思ったが、ようやく息をついて萎んだ胸にモハレジュがしがみついてきたので、むせて咳きこんだ。

「だから……一緒に、戦ってほしい。償いを……したいの……なら」

 失笑が漏れるのが聞こえたほうを見やると、アッサラーが知らぬ顔で夜空を眺めている。

 

 その油断が、隙を生んだ。

「調子に乗らないでよね……」

 胸元で低い囁きが漏れたかと思うと、腹に拳の凄まじい一撃が叩きこまれた。

 よろめいて後ずさりながらも、飛刀だけは何とか取り落とさずに、鞘へと収める。

 その間にも、モハレジュは凄まじい勢いで罵詈雑言をまくしたてた。

「何? こんなに人集めといて何言わせてんの? 死ぬか生きるかの思いでフラッドについてきて、命捨てる覚悟であそこまで言ったのに、結局アレでしょ! どうせ助けにいくんでししょ! テニーンっていう女……それで一緒に戦ってくれ? 償いをしたいんなら? バカにすんじゃないわよ!」

 私としては、モハレジュが借りを感じないように、正直な気持ちを告げたつもりだった。

 だが、それが受け入れられないというのなら、無理強いするつもりはない。

 それは、飛刀を打った村からついてきた、今でも困ったような顔を見合わせている若者たちも同じことだった。

 アッサラーが手にした松明に照らし出された、半人半獣の者どもワハシュを見渡して問いかける。

「聞いてのとおりだ。私は、炎の帝王にさらわれた、愛する人を救い出すために戦っている。頼りになるのは、龍をも屠る銃をも切り捨てる、この飛刀だけだ。一緒に城へ攻め込んでくれとは言わない。忍び込むのに、手を貸してほしい。それができないというのなら、せめて、見逃してくれればいい」

 共に戦おうと声高に叫べないのが、実に情けない。だが、これが虐げられた半人半獣の者どもワハシュのためでないのも本当のことだ。

 都の城壁の外にいる、狼頭や山猫頭、狗頭人のように、自ら戦う気になってくれない限り、私は再び、ひとりで炎の帝王の城に忍び込むつもりだった。

 だが、そこで吐き捨てるような声が聞こえた。

「笑わせんな……」

 それは、スラハヴァーのものだった。

「ひとりでいい格好すんな。俺はやるぜ……なあ」

 半人半獣の者どもワハシュたちのまなざしが、一斉にモハレジュへと注がれる。

 呆れたような深いため息と共に、答えが返ってきた。

「いい格好してんのはアンタでしょ……自分で起きられないくせに」

 亀の甲羅を起こせないでじたばたしているスラハヴァーに、あちこちからどっと笑い声が上がった。

 

 それがまずかったらしい。

 いたぞ、の声が、あちこちの路地から聞こえた。

 半人半獣の者どもワハシュは、すぐさま何が起こったのかを察したらしく、ひそひそと囁き交わす。

 それを叱り飛ばしたのはモハレジュだった。

「逃げな! 炎の帝王の兵隊だ! アタシが呼んだんだ、飛刀を渡すために……!」

 そう言いながらも、遠い暗闇の中にひとつ、ふたつと浮かび上がる松明の炎に向かって歩きだす。

 銃を構えた兵士たちが現れて、モハレジュに尋ねた。

「手に入れたか?」

 飛刀の名は知らないらしい。

モハレジュはうなずいた。

「ついてきて……その代わり」

 半人半獣の者どもワハシュ、スラハヴァー、村の若者たち、アッサラー……そして私を見渡す。

 兵士たちは面倒臭そうに頷いた。

 だが、別の路地から悲鳴が上がる。

「何だこいつら!」

「助けて!」

「食われる!」

 たちまち、兵士たちは半分をモハレジュと共に残して、声のする方向へと散った。

 叫び交わす声が遠ざかっていく。

「どこだ!」

「見当たらんぞ!」

「向こうかもしれん!」

 その間にも、モハレジュは兵士たちの先に立って歩きだす。

「どうするの? 向こうにあるんだけど」

 それが何なのかは言わなくてもよかった。

 半人半獣の者どもワハシュに襲われている善良な人々の救出は別動隊に任される。

 路地の暗闇の中にその姿が消えたところで、ネズミ頭のファットル爺さんが私を促した。

「モハレジュは、自分が仕掛けたことの後始末をした。あとは、お前さん次第だな」

 あの下水溝を通って、再び炎の帝王の城に忍び込むなら今だった。

 だが、モハレジュはどうするのだろうか。

 飛刀が見つからなければ、裏切ったことがバレてしまう。そうなれば、ただでは済むまい。

 思わず二の足を踏んだところで、思わぬ出来事が迷いを断ってくれた。

 さっき半人半獣の者どもワハシュ退治に向かった兵士たちが、もう戻ってきたのだ。

 囮になった若者たちは、背中から銃をつきつけられて悲鳴を上げる。

「本当に食われるところだったんだ! 信じてくれ」

 もちろん、兵士たちは信じない。それどころか、モハレジュも他の兵士たちもいないのを見ると、口々に叫んだ。

「ハメられた!」

「ケダモノどもが!」

「このガキども!」

 その間に、一気に間合いを詰める。

 兵士たちも気づいたが、この手にあるのが探し求める飛刀だとまでは考えが及ばないらしい。

 いつ背中から撃たれるかとびくびくしている若者たちに向けられていた銃口が、一斉に私へと向けられた。

 狙い通りだ。

 半人半獣の者どもワハシュたちと共に鍛えた技で、地面に沿って低く飛び込む。

 私を見失ってうろたえる兵士たちの前で立ち上がると、縦横無尽、思うがままに飛刀を振るう。

 たちまちのうちに、兵士たちの銃は片端から真っ二つに叩き切られた。

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