第22話
ファットル爺さんの眼差しと息遣いに、飛刀を打った村から来た
アッサラーはといえば、そこは修行僧といったところだろうか、ここでも平然と佇んでいる。
その目が、ちらりと私を見た。
どうする、とでも言うかのように。
テニーンのいうとおり、ここは自分で考えるしかなかったが、返事に不思議と迷いはなかった。
「ご覧のとおりです。モハレジュも飛刀も、この都で見つかると私は信じています。両方ともどうにかするためには、再び、お力を借りなければなりません」
考えようによっては、かなり図々しい申し出だった。
それをほとんどひと息で言い切った私を、若者たちは怯え切った目で、アッサラーは半ばあきれ顔で見つめている。
暗闇の中に、しばしの間、張りつめた沈黙が続いた。
いつ、
もともと何の関係もないアッサラーや、遠くから連れてきた
あの甲高い声で、ファットル爺さんが笑いだした。
「よかろう。実を言えばもう、目星はついておる。モハレジュは飛刀を抱えて、そこから抜け出すときを待っているのだろうよ」
私は呆然とした。
モハレジュを探していることは、スラハヴァーにしか話していない。
それをなぜ、ファットル爺さんたちが知っているのだろうか。
すると、あの一言をアッサラーが再び口にした。
「流れる水には必ず行方があるもの」
その意味することが分かったのか、ファットル爺さんはさもおかしそうに、高らかに笑った。
「確かに流れる水のような娘よ、あのモハレジュは」
アッサラーは大きく頷くと、付け加えた。
「口にした言葉も、流れる水のようなもの。形はないが、その場に応じてさまざまな形を取りながら、遠くまで届いて人の心を癒やす」
そこで恥ずかしそうに現れたのは、スラハヴァーだった。
私もようやく察しが付く。
モハレジュを探していたとき、微かではあっても路地に響き渡っていたスラハヴァーの声は、
ファットル爺さんは語る。
「モハレジュは用心深くてな。自分の隠れ家をワシらに教えるときも、ひとりにひとつずつしか教えんのだ。だが、この都がいくら大きいとはいっても、人が潜める空き家や部屋は、この裏通りに面した吹きだまりに限られておる。すべての
その真夜中にはもう、私たちはモハレジュの隠れ家と思しき場所にたどりついていた。
空き家の2階の部屋に踏み込む前に、何人もの
「モハレジュが誰にも教えていない場所は、もうここしかない」
ドアを開けようとすると、内側からカギがかかっている。
体当たりを仕掛けたが、扉が頑丈で、無理に叩きつければ肩を傷めかねない。
そこでファットル爺さんが、階段の下に向かって叫んだ。
「スラハヴァー!」
階段を横向きに、亀の甲羅がえっちらおっちら上がってくる。
スラハヴァーは照れ臭そうにつぶやいた。
「こんなんでよければ」
はやくやれ、とネズミ顔の爺さんに急かされて、凄まじい勢いで硬い身体を叩きつける。
軽々と吹き飛んだ扉の奥へと踏み込むと、そこはもぬけの殻だった。
窓は堅く締められて、開けられた形跡がない。
アッサラーが耳元で囁いた。
「静かに外へ出ろ」
足音を殺して階段を下りると、若者たちがアッサラーと共に騒ぐのが聞こえた。
「どこだ!」
「いないぞ爺さん!」
「デタラメぬかしやがって!」
建物の外へ出ると、目の前にひらりと舞い降りた人影があった。
「モハレジュ……」
名を呼ぶか呼ばないうちに、鼻先を冷たい風がかすめた。
闇夜の裏通りに、澄んだ声が響き渡る。
「流石ね、風虎のフラッド……飛刀をかわすなんて」
テニーンに鍛えられた私でなかったら、さっきの一撃で首はきれいに切り落とされていただろう。
月のない夜に、気配だけで飛刀をここまで操れる剣技には舌を巻いた。
しかし、残念ながら、そこまでだ。
私はモハレジュをまっすぐ見据えた。
「もう、よせ……お前に飛刀は扱えない」
闇夜でも、激昂したのが荒い呼吸で分かった。
それでも怒りを抑えながら、静かに言い放つ。
「バカにしないで」
頭上から迫る大振りの一撃を、私は身体を捌いてかわした。
思った通りだった。
飛刀は龍殺しの銃までも一撃で両断できるが、決して軽くなるわけではない。
モハレジュの華奢な腕で振り回すのは、とても無理だ。
だが、私は敢えて告げた。
「ならば、斬ってみるがいい、私を」
テニーンも同じやり方で私を鍛えたものだ。
とても扱えないような重さや長さの武器を与えては、それをかわしてみせるのだ。
私は絶対に当たることない武器を全力で振り回して、扱いを覚えていったものだ。
次々に繰り出される飛刀をかわしながら、前へ前へとじりじり進む。
追いこまれて焦ったのか、モハレジュは狙いを変えたようだった。
小剣の刀身が切り飛ばされる。
だが、それこそが私の狙いだった
残った柄を投げ捨てて、がら空きの胸元に飛びつく。
胸の薄い、華奢な柔らかい身体を抱きすくめると、地面を転がった。
耳元に、熱い吐息が漏れる。
「フラッド……」
飛刀が、からりと音を立てて落ちたかと思うと、モハレジュが指を立てて私の背中にしがみついた。
どれほど抱き合っていただろうか、空き家からぞれぞろ出てくる人々の足音が聞こえた。
アッサラーが足止めを解いたのだと察した私は、モハレジュを促して共に身体を起こした。
飛刀を拾い上げると、モハレジュが返した鞘に収める。
その間に、私たちの周りは
亀の甲羅を背負って頭には角の生えたスラハヴァーが、おずおずと口を開いた。
「どういうことなんだ? モハレジュ……こんなことするなんて」
物怖じする様子もない声が、きっぱりと答える。
「炎の帝王の命令よ……私は、ハーレムの女なの」
再び灯されたファットル爺さんの松明が、その辺りに立ち尽くしていた全ての者の顔を映し出す。
この華奢な身体をした、小柄で無邪気な娘が「炎の帝王」の慰みものであったとは、どうしても信じられなかったのだろう。
だが、私の身体には、その思いに加えて、奇妙な怒りがみなぎっていた。
テニーンをさらっていった男がモハレジュまで弄んでいたのかと思うと、今すぐにでも飛刀を手に城の中へ殴り込みをかけそうになる。
それを抑えたのは、ファットル爺さんの問いかけだった。
「何をするつもりじゃ……あやつは? おまえのような小娘にまで」
単なるスケベ野郎だったってことさ、と
モハレジュが、今まで見せたことのないような形相で、かつての仲間たちを睨み据えた。
「そんな安っぽくないよ、アタシは」
さっきは怒りにかられていた私だったが、その怒りに嘘はないという気がしていた。
ふと、思いついたことがある。
「ハーレムを、戦う女たちで固める……?」
テニーンの体術、モハレジュの身軽さと情報収集……そうしたことのできる女たちを身の回りに置けば、ハーレムという最も無防備な場所で命を狙われることはない。
だが、それは逆に、自分の命を危険にさらすことになりはしないのだろうか。
その答えは、モハレジュが自ら語ってくれた。
「炎の帝王は、本当に強い女を探してるのよ……自分を凌ぐ子を残すために」
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