第21話
夜明けまで、私は掘っ立て小屋の中にうずくまったまま、まんじりともせずに過ごした。
微かな期待が、どこかにあったのだ。
これが何かの間違いで、モハレジュが飛刀を手に戻ってくるのではないか。
だが、掘っ立て小屋の戸を開けて、あの褐色の肌をした華奢な少女の姿が現れることはなかった。
ただ、その戸の隙間から、冷たい光が細く差し込みはじめただけだった。
飛刀を打った村を出たときに比べて随分軽くなった荷物を手に、戸を開けて外へ出る。
辺りは朝霧が立ち込めていて、見渡す限り白く染まっていた。
その向こうに、ぼんやりと人影が現れる。
「モハレジュ……」
いや、それにしては背が高く、体格がいい。
朝の草刈りに起きた村人かもしれなかった。
いや、都に帰りついた龍騎兵たちのご注進によって放たれた、暗殺者でないとは言い切れない。
飛刀はおろか、得物のひとつも携えていない今、できるのは逃げることだけだ。
朝靄に紛れて駆け出そうとしたところで、聞き覚えのある声が掛かった。
「そっちにいるんじゃないのか? モハレジュは」
狼頭のヴィルッドだった。
語るに落ちることはこのことだが、隠して益のあることではない。
私は素直に、事実だけを伝えることにした。
「いない。飛刀もない」
そこでヴィルッドは狼の頭で吠えた。本物の狼が群れを呼び集めるときのような、遠い遠い呼び声だった。
私は慌てた。
「待ってくれ、ここの村人が……」
だが、遠吠えは止まない。私は朝日が昇り始めた頃の、まばゆいばかりの霧の向こうに目を凝らした。
やがて、ひとつ、ふたつと人影が浮かぶ。
村人に見られたとすれば、心配なのは、炎の帝王の息がかかっていることだ。
龍騎兵たちの知らせはとっくに都に届いているはずだから、刺客が放たれたり、私を殺すように命令が下ったりしていてもおかしくはない。
だが、そこで現れたのは
まず、真っ先に私が告げたのは、その飛刀の消失と、モハレジュの失踪を告げると、誰の顔にも同様の動揺が見られた。
モハレジュのしわざだと考えるのがいちばん早いのだが、それを避けているのが見て取れる。
そのいらだちからか、アレアッシュワティが山猫頭の顔の毛を逆立てて尋ねた。
「なぜだ? 何があった? お前、何をしていた?」
答えるわけにはいかなかった。
本当のことを言えばモハレジュから目を離した言い訳になる。
さらに、それをモハレジュを頭目のように慕う
狼頭が山猫頭を、低い声で押しとどめる。
「まず、都へ向かうことだ」
狗頭人のキャルブンも頷く。
「水も食料もないことだしな」
修行僧のアッサラーが、先を急ぐように歩きだす。
「その先は、炎の神に仕える僧をお忘れあるな」
背中のマントには、太陽とクジャクの紋章が施されている。
都で命をつなぐのに、不自由することはないだろう。
だが、そこに素朴な疑問をぶつける者たちがいた。
「で、都で何をするんだ? 勝てるのか? 炎の帝王に」
頼みの綱となるのは、龍を屠る銃を凌ぐ飛刀だけだ。
その飛刀を打った村の若者たちは、山猫の細い眼をしたアレアッシュワティの共に不信のまなざしを私に向けている。
返事に迷うことはなかった。
「勝てなくても戦う」
こんなふうに自信を持って答えると、テニーンは満足げに微笑したものだ。
アレアッシュワティは、アッサラーよりも先を歩きだす。
若者たちは顔を見合わせていたが、ひとり、またひとりと後に続いた。
ヴィルッドが、狼の顎を大きく広げて私を急きたてた。
「旗印が先に立て」
狗頭人の賞金稼ぎキャルブンは、晴れていく霧の向こうを見渡しながら言った。
「追ってくる者が何人いようと、この手で仕留めてみせよう」
村を出て、日が高くなるまで歩いても、追手がかかることはなかった。
いささか拍子抜けはしたが、日暮れには都の門にたどりつくことができた。
そこから、私はアッサラーや若者たちと足を踏み入れた。
荒野の彼方に沈みかかった夕日に、白いレンガで築かれた家々の壁が輝いている。
大通りには、どこまでも並ぶ噴水が、金色の飛沫を照り返していた。
何もかも、私が初めて都にやってきたときと同じだ。
だが、ひとつだけ違うことがある。
初めて来たときにはいなかった兵士が、どこからか銃を手にして現れたのだ。
振り向くと、門の外に立つ
「おい……」
私は思わず、声を立てそうになった。
そこで、アッサラーが代わりに返事をした。
私がお尋ね者だからだろう。
「宜しくありませんなあ、炎の神の僧侶に、そのような口の利き方をしては」
若者たちはと見れば、知らん顔をしている。
並んだ兵士たちの背中の向こうから、キャルブンの静かな声が聞こえた。
「言われずとも分かっている」
アレアッシュワティの、吐き捨てるような声も聞こえた。
「黙って下ろせ、その銃。ここからは動かねえからな」
ただ、兵士たちの頭の間から見えたものもある。
先に行け、とでも言うように、ヴィルッドの狼頭がゆっくりと頷いてみせる様子だった。
裏通りへの道を思い出しながら、家々の路地から路地へとそれとなく歩く。
次第に薄暗くなっていくのに怯えたのか、若者たちが心配そうに囁き合っていた。
「道、狭くないか?」
「出られるのか、ここ……」
「どっか引きずり込まれて、殺されるんじゃ……」
そんなことはない、と、一番後ろを歩くアッサラーがなだめているそばから、私たちの前に立ちはだかった者があった。
路地を塞がんばかりの巨体に、若者たちの悲鳴が上がる。
それにおよそ似つかわしくない、間延びした声が私を呼んだ。
「フラッド……モハレジュは?」
見れば、それは亀の甲羅を背負った、角のある
「事情は後だ。私たちも探している。心当たりはないか?」
うーん、と考え込んでいたスラハヴァーは、それこそ亀のように、のそのそと後ずさる。
どうやら、路地が狭すぎて向きを変えられないらしい。
薄闇に閉ざされていく路地に、間延びしたスラハヴァーの声だけが微かに響き渡った。
「モハレジュのねぐらは、いくつもあるんだ。教えてはいても、ひとりひとりに別々だから、ほとんどは分からない」
身を隠す場所は、数えきれないほどあるうえに、今度は私の前から姿をくらましている。
路地と路地の隙間や空き家、悪臭ふんぷんたる下水溝。
藁にもすがる思いで、後ろ歩きのスラハヴァーに案内されるまま、その心当たりを探したが、見つかるはずもなかった。
「ごめん……知ってるのはもう、これっきり」
路地はすっかり暗くなって、自分の眼鼻の在処も分からなくなってくる。
異郷の若者たちは疲れ切り、私もいささか希望を失いかけていた。
修行僧のアッサラーだけが、平然としている」
「流れる水には必ず行方があるもの」
そんな気楽な言葉を聞くと、つい、心の中のテニーンに問いかけたくなる。
……どうしたらいい?
山中に潜んでいるとき、こんなことを聞いても、こんな答えしか返ってこなかった。
……自分のことは、自分で考えなさい。
やむを得ず、私たちがいったん、モハレジュの捜索を打ち切ろうとしたときだった。
目の前がいっぺんに開けた気配があった。
月の出ない闇夜の中に、ひとつ、ふたつと灯る明かりがある。
それが
かつて、モハレジュに導かれるままに連れてこられた、あの月下の広場だということを思い出す。
あのときは、剥き出しの警戒心と敵意に晒されたが、私の傍らにモハレジュがいない今はどうだろうか。
松明が灯って、背の低い、ネズミ頭の老人が現れる。
覚えている限りの、あの甲高さとはうって変わった低い、くぐもった声で告げる。
「勘違いしてもらっては困る。モハレジュがいたからこそ、飛刀を打つのにも力を貸したのだ。そのどちらも手元にないとは……どういうことかの?」
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