第20話
モハレジュが務める見張り役は、長くは続かなかった。
気が付くと、私の足元に崩れ落ちて寝息を立てていたのだった。
そこへ、次から次へと狼頭や山猫頭、狗頭人やアッサラーが戻ってきたが、私とモハレジュの顔を交互に眺めては何か安心したようだった。
それが何なのかは、モハレジュが何を言いたかったのかというのと同じくらい、よく分からない。
もっとも、前の晩にほとんど寝ていない私にとっては、朝まで見張りを交代してくれる者が何人いるかということのほうが重要だった。
夜が明けてからのモハレジュは、もう私に付きまとうことはなかった。
口を真一文字に結んで、ひたすら歩き続ける
おかげで私も、炎天下の荒野で都に向かうことだけを考えることができた。
炎の皇帝からテニーンを奪い返すための戦いが近づいている。
だが、どうしたわけか、胸の中にぽっかり穴が開いたようなものを感じないではいられなかった。
いきり立つものがない妙な冷静さを抱えたまま、私は都への到着を翌日に控える夜を迎えていた。
都に最も近い村に、私たちは足音を忍ばせて入り込んだ。
下手に目立つと、炎の皇帝の手の者に捕まったり殺されたりするおそれがあるからだ。
飛刀を打った村を襲ってきたのを返り討ちにしたうえ、丸腰で逃がしてやった竜騎兵たちはもう、とっくに都へ着いていることだろう。
私たちに対する討伐隊に今まで出くわさなかったのが、不思議なくらいだった。
飛刀を打った村からついてきた若者たちは、ひそひそ囁き交わす。
「どうしたんだ? あいつら」
「静かにしろ、見張りが隠れてるかもしれん」
それでも、村で暮らしてきた者たちは違う。農具をしまっておくためらしい、手ごろな掘っ立て小屋をすぐに見つけた。
私たちはそこに身を隠して、お互いの顔が見えない暗闇の中で、囁き合いながら最後の作戦を立てる。
まず、私は詫びた。
「残念だが、全員が都に入ることはできない」
荒野の街道で賞金稼ぎをしてきた狗頭人が、ぼそりと答えた。
「もとから、そのつもりはない」
狼頭というと、むしろ申し訳なさそうだった。
「いざというときに力を貸せないとは」
威勢がいいのは、山猫頭だった。
「なに、外でひと暴れしてやるさ」
そこで衛兵たちが都の門を出たときが、私たちにとっての好機だった。
村の若者たちは、いかにも初めて都に来た田舎者という様子で慌てふためくだけでいい。
その隙に、私はアッサラーやモハレジュと共に裏通りへ身を潜めることができる。
あとはモハレジュが都の
ただし、これだけのことは、気力と体力が充分であったとしても困難を極める。
ましてや、炎天下の荒野を、かなりの無理をして越えてきた私たちは、口にこそ出さなくても疲れ切っていた。
夜明けと共に出発すれば、日暮れには都に着けるだろう。
だが、手元の水と食料は、もう僅かだった。
明日の出発のとき口にしなければ、もう歩くこともできまい。
あとは、炎天下の日中を耐え抜くしかないが、そのためには今夜、しっかり休息をとる必要がある。
そこで、モハレジュは狼頭と山猫頭に言った。
「アタシ、フラッドと大事な話があるから」
昨夜のことが思い出されて、私はうろたえた。
そんなものはない、と打ち消そうとしたが、
アッサラーは、飛刀を打った村の若者たちの案内で、別のねぐらを探しに行ってしまった。
私も他のところで寝ようと思ったが、モハレジュだけを残していくわけにはいかない。
戸惑っているところで、再び囁き声が聞こえた。
「本当に勝てると思ってるの?」
確かに、私としかできない話だった。
いつもは気丈に振る舞っていても、そこは年若い娘だ。最後の戦いを前にして、怖気づくのも無理はない。
だが、明日はモハレジュにもそれなりの役割がある。
「寝ろって言ったろう」
下手な理屈で話を長引かせるよりも、ひと言で切り捨てた方がいい。
だが、モハレジュは聞かなかった。
しなやかな指で掴んだ私の手を引き寄せた先には、柔らかい感触があった。
掌が吸い付いた先にある固いものが、指の間で転がる。
おい、と言おうとするところを甘い唇で塞いだかと思うと、耳元を微かな息が撫でた。
「お願い……今夜が最後だから」
「お前は逃げていい」
もとより、命懸けの戦いにつきあわせるつもりはない。
だが、それもモハレジュは聞かなかった。
「一緒にいたい」
私に議論を吹っ掛けている間に服を脱ぎ捨てたらしく、小柄な裸身が私の身体をまたぐようにして膝の上に乗るのが分かった。
細い腕と華奢な身体が、むしゃぶりついてくる。
引き剥がそうとしてもがくと、息を弾ませながら、かすれ声が私の運命を告げた。
「明日、死ぬんだよ。フラッドは」
暑い吐息と共に、モハレジュは暗闇の中で素肌を押し付けてくる。
だが、その身体も宣告も受け入れるわけにはいかなかった。
滑らかな両の肩を掴んで、私から引き剥がす。
「私の心には、テニーンしかいない」
闇の中で私を見つめているはずの目を見返して、私はきっぱりと告げた。
モハレジュは、頼れる仲間だ。これまでついてきてくれたことにも、感謝している。
だが、その気持ちは伝わらなかった。
「目の前にはアタシがいる」
まっすぐな思いをぶつけられて、心が痛んだ。
ここは、精一杯の気持ちを、できる限りの言葉を尽くして告げるしかない。
「お前には、私の背中を預けられる……それでは足りないか」
冷たい沈黙が、モハレジュとの間をよぎった。
やがて、思いを身体の中に押し込めようとするかのようなくぐもった声がした。
「フラッドは、足りるの?」
「充分だ」
私は、きっぱりと答えた。
背中を預けられる仲間がいることほど、心強いことはない。
そのひとりがモハレジュだったのだが、そういう話ではなかったらしい。
吐息交じりのかすれた声が、私の耳の奥を撫でた。
「……これでも?」
どこから回ってきたのかわからない、細やかに動く指が私の身体を一瞬だけ撫でた。
背筋を、ぞくっとするものが走る。
「おい、何を……」
そこで、闇の中にも関わらず、目の前が真っ白になった。
足もとから頭のてっぺんまで、身体の中を貫くような衝撃が私を突き動かす。
気が付くと、裸のモハレジュを組み敷いていた。
吹き出す汗に耐え切れず、自ら服を脱ぎ捨てる。
それでもまだ我慢できずに肌を重ねると、ひんやりとした感触が熱さを鎮めてくれた。
更に、床の冷たさを求めて、モハレジュを抱いたまま転げ回る。
嬉しそうな嬌声が、私の名を呼んだ。
「好きだよ……フラッド!」
だが、そのとき目に浮かんだものがある。
それは、あの山中で、哀しく微笑んで何者かに奪い去られるテニーンの姿だった。
私は、バネで弾かれたように跳ね起きると、掘っ立て小屋の外に裸のまま飛び出した。
どれほど走ったろうか。
夜風が、汗に濡れた身体と頭を冷やしてくれる。
ふと見上げると、夜空の星が、伝説の龍のように長く連なっているのが見えた。
そこで思い出したのは、モハレジュのことだ。
激情に駆られて組み敷いたのを思いとどまりはしたが、あんなことが軽々しくできるものではない。
……傷つけてしまったのではないか?
私は、掘っ立て小屋へと戻ることにした。
裸を晒しているだけでなく、そこに至るまでのやましさもあって、そそくさと小刻みに歩く。
掘っ立て小屋の戸を開けて、中に滑り込んだ。
「モハレジュ……?」
返事がない。
暗がりの中で姿が見えないので、狭い小屋の中を手探りする。
冷たく滑らかな素肌に触れたとしても、構わなかった。
もう、先ほどの劣情はなかったが、それがあったとしても同じことだった。
モハレジュの姿は、忽然と消えていた。
飛刀と共に。
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