第13話

 盗賊として山に立てこもっていた頃、テニーンからはこう教わった。


 ……偵察が戻らなければ、放った者は、脱走か、さらわれたか、殺されたかのいずれかしかないと考える。

 

 つまり、見つからないのがいちばんだということだ。

 見つかってしまったら、捕まえるしかない。

 遠くの山から昇る煙の偵察に来た兵士を帰すまいとして監禁していたのを、村人たちとモハレジュが交代で見張っていたのだ。

「信じられない……」

 そのひと言で、モハレジュは唇を噛んでうつむいた。

「ごめん」

 そういう意味ではなかった。

 半人半獣の者どもワハシュたちを顎で使う娘らしくない。

「間違いないと思っていた、モハレジュなら」

 実際、兵士からは知っている限りのことを聞き出してくれていた。

 私は、「炎の帝王」の軍勢がどの辺りにいるのか知りたかったのだ。 

 いずれにせよ、この村にも捜索の手が回る。

 軍勢が遠ければ遠いほど、時間が稼げる。

 その間に、十分な数の飛刀と鎧を鍛えるつもりだった。

 だが、逃げられたからには、もう猶予はない。

 私は、さっき言おうと腹を決めたことを再び口にしようと身構えた。

「共に……」


 そこで、村人の中から声が上がった。

「いや、これから先は、ひとりでやってくれんか」

 そう言われてしまっては、次の言葉がない。

 代わりに切り返したのは、モハレジュだった。

「このままでいいの? アンタたち!」

 怒る十数人の眼差しをひとりで受け止めて、まっすぐに立つ。

 朝日の中で、その姿は神々しいまでに輝いていた。

 モハレジュは、さらに村人へ語りかける。

「龍が斬れるかどうかは知らないけど、フラッドの刀と鎧があれば負けることはないよ。ここで戦わなかったら、負けたまま、地べたにはいつくばって生きることになるのに!」

 飛刀が飛刀としての意味を持つところは、けなされてしまっている。

 だが、これを打つために手を貸してくれた村人の思いは、充分に込められているはずだ。

 ひとりひとりが手にしてくれるなら、この世に龍がいなくとも、私は同じものをいくらでも打つつもりでいた。

 そんな気持ちを、モハレジュは言葉にしてくれたのだった。

 やがて、村人のひとりが答えた。

「それは、あんたらの戦いだ。ワシらの戦いじゃあない」

 モハレジュは、鼻で笑ったきり、そのまま口を閉ざした。

またひとりが答える。

「帝王は、永遠の炎ってのを持ってるらしいじゃねえか。なんでも、龍を封印するっていう……」

 モハレジュは呆れかえった顔で、こいつらどうする、と言わんばかりの皮肉な笑みを私に向ける。

 村人たちに戦う気がない以上、無理強いはできない。

 それでも、ひとつだけ言っておかなければならないことがあった。

 横たえた飛刀を前にかざして、村人たちに告げる。

「私の戦いのために、力を貸してくれたこと、感謝する」

 白状すれば、期待がまだ、どこかにあった。

 こう言えば、誰かひとりでも心を動かしてくれないかと思っていた。

 それを見透かしたかのように、村人の中から声がした。

「礼なんかいらねえ。鍛冶場の使い方が知りたかっただけだ……これで野良仕事の道具が作れる」

 行こう、と私はモハレジュを促した。

 朝の白い光の中で、褐色の肌をした娘は、再び村人たちを軽蔑の眼差しで一瞥すると、私の後について歩きだす。


「待て」

 白い光を背に浴びて、私の前に立ちはだかる者があった。

 モハレジュが苛立たしげに尋ねる。

「誰? まさか、帝王の……」

 返事はない。

 ただ、光の中の黒い影が語りかけて来るばかりだった。

「龍神の加護を受けたる者、並びに、その者の声に耳を傾けぬ愚か者どもよ」

 その声と物言いに、心当たりがあった。

「……アッサラー?」

 都へ向かう途中、私に勝負を挑んできた「炎の神」の武者修行僧だ。

そのときにを武器としていた短槍は、敗れたときに自分でへし折ってしまった。

 今は、代わりに肩ほどの長さの杖をついている。

 振り向けば、村人たちは顔を見合わせて、ひそひそ話すばかりで返事もしない。



 ……龍神が何だって?

 ……この鍛冶屋が、龍神のなんたら?

 ……愚か者って、オレたちのことか?


 それは、長旅のせいか、身にまとうものが袖から裾から、ずいぶんとくたびれたものだったせいだろう。

 だが、アッサラーは構うことなく、持って回った口調で話を続ける。

「共に戦わねば、いずれも滅ぶことになろう。互い信じあうことなく、相争う間に。炎の使いが群れをなして迫っておる」

 こういう物言いをする者が、私とテニーンが潜む山中で投降をよびかけてくることがたまにあった。

 放っておいても構わなかったのだが、テニーンはこういう言葉にも詳しかった。

 なんでも、王侯貴族や僧侶の儀式では神々に語りかけたり、力を授けてもらったりするために、こういう言葉が交わされるものらしい。

 モハレジュが小首をかしげて、小声で囁いた。

「何て?」

 テニーンに教わったことを思い出しながらまとめてみると、だいたい、こういうことを言っているようだった。

「炎の帝王の軍勢が迫っている……力を合わせなけば、命はない」

 そう告げると、モハレジュは村人たちに向き直った。

「一緒に戦わないと、死ぬよ。兵隊どもがもう、そこまで来てる」

 村人たちがざわめき始めた。


 ……無理だ。

 ……武器がない。

 ……いや、そんなこと言って、刀を作らせようとしてるんじゃないのか?


 そこで、モハレジュが遠くの空を指差した。

「あれ……」

 そこには、細い煙が何本も上がっている。

 テニーンと共に潜んでいた山から、よく眺めたものだ。

「炎の帝王の兵士たちが使う狼煙だ」

 モハレジュがつぶやいた。

「逃げた兵士の仲間がこの辺りにいたら……」

 私は、打ったばかりの飛刀を見つめた。

「すぐ集まってくる。銃を持った龍騎兵が」

 銃で龍たちを屠ったことで、騎兵たちはその名を冠するようになったのだと、私はテニーンに教わった。

 山中では馬を駆ることができないので、攻撃されても撃退することができた。

 だが、平地で思うままに疾走されたら、飛刀でどこまで防げるか見当もつかない。

 アッサラーが、杖を構える。

「おぬしなら聞こえよう……蹄の遥かな轟きが」

 やはり、この男の言うことは分かりづらい。

 龍騎兵たちがこの村へ向かっているということだ。

 それを音で感じ取る術まではテニーンも教えてはくれなかったが、私は腹を括った。

 狼煙がどうのこうのと、この疑い深い村人たちに説くのは諦める。

「ここから離れろ。できるだけ遠くへ」

 血の気の多そうなのがひとりふたり残ってはいたが、モハレジュが追い払う。

「アンタたちが要らないって言ったんだからね、武器」

 龍騎兵たちと戦える武器は、私の飛刀とモハレジュのナイフとアッサラーの杖だけだ。

 目の前から誰もいなくなるのに、それほど長くはかからなかった。 


 ここは、地下の水脈をたどるような街道の果てにあるような村だ。

 襲ってくる龍騎兵たちが、行儀よく並んで馬を歩ませてくるはずがない。

 ようやく日が昇った頃、近づいてくる土煙が見えた。

 私は低くつぶやいた。

「伏せろ」

 地面に身体を投げ出した私たちの頭があった辺りで、銃の弾が続けて空を切る音がした。

 息を殺している、モハレジュとアッサラーに告げる。

「家の陰へ」

 地面すれすれに走ると、頭の上を弾がかすめていく。

 近くの家の裏に飛び込んだが、モハレジュはついてこなかった。

 アッサラーも、どこかへ姿を隠したことだろう。

 その耳が早くに捉えていたらしい蹄の轟きは、間もなく私にも聞こえてきた。

 服の袖を割いて、飛刀に刻んだ古代の文字を隠すように巻き、柄の代わりにして祈る。

 だが、それは鍛冶を守る「鋼の主」へのものではない。

「テニーン……こんなことで死にはしない、私は」

 すぐ近くまでやってきた龍騎兵たちは、馬を駆るのをやめたらしい。

 その歩みは、村の気配を探るように、静かなものになった。

 村人たちに呼びかける声は、居丈高ではあるが、どことなく張りつめた気持ちを感じさせる。

「恐れ多くも陛下の兵をさらい、御山を荒らした者を差し出せ! さもなくば、老人、女子供といえども命はない!」

 帝王の兵が探し出せなかった砂鉄の川を見つけ出したのは私だが、兵をさらったのは村人だ。

 だが、ここはお尋ね者の私が、両方の罪をかぶって村を逃げ出すのが手っ取り早い。 

 いずれは飛刀を手に都へ戻る算段をしなければならないが、まずは兵たちを全て追い払うことだ。


 身を隠す家の向こうに馬の蹄の音が聞こえたところで、背にした壁をわざと叩く。

 こちらへぐるりと回ってきたところで、目の前に現れた馬の轡を飛刀で斬ってやる。

 馬はきょとんとして立ち止まったが、その手綱を握っていた龍騎兵は、その弾みでよろけて落ちた。

 立ち上がろうとしたところで鉄兜の紐を斬ってやると、呆然とした顔が現れた。

「貴様は……」

 みなまで言わせない。

 剥き出しになった頭に飛びついて、首を裸締めにする。

 気を失ったところで、銃を飛刀で叩き切った。

 奪った鎧を着こんで、馬にまたがる。

「手綱はないが……」

 乗りこなす術は、テニーンから教わっていた。

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