第11話

 再び、あの飛刀を打つ。 

 そう決めた私はマントのフードを目深に下ろして、頭の上から照りつける真昼の太陽を避けながら、荒野を歩いていた。

 身を守る武器は、ナイフしかない。

 少しでも多くの食料と水を持つためだ。

 だが、ひとりではなかった。

「わざわざ街から出てきて」

 同じ格好で隠されたモハレジュの顔も見ないで、私は言った。

「無理について来なくてもよかったんだが」

 テニーンを「炎の皇帝」から救い出すのに、他人を巻き込む気はない。

 そこへ、頼みもしないのについてきたのが、モハレジュだったというわけだ。

「こんなに遠くに来なくちゃいけないの?」

 そう言うのは、街から持ち出した水と食料が心もとないからだ。

 それだけではない。

 金槌から金床から、持てる限りの鍛冶道具まで手に入れてもらっていた。

 いささか負い目を感じながら、やむにやまれぬ事情を答える。

「砂鉄と、水と、薪と、炉を作る土が必要だ」

 そこで取り出したのは、紐の先に石を括りつけて作ったおもりだ。

モハレジュが珍しそうに、私の手元を覗き込む。

「何? それ」

 信じはしないだろうと思いながらも、私は大真面目に答えた。

「砂鉄の出る川を教えてくれる」


 だが、父からこれを教わったときと違って、乾いた荒野に川など流れているはずがない。

 あるとすれば、地下に流れ込む前の、険しい山々だ。

 そこにたどり着くためには、地面の下にある水の流れを感じ取らなければならない。

 見つめた錘が動くのを待ちながら、ただ歩きつづける。

 モハレジュは聞こえよがしにつぶやいた。

「ムダだと思うけどな」

「いや、間違いない」

 そう答えたのは、錘の先が確かに動いたからだ。

 これひとつとは限らないが、さかのぼれば、どこかで湧き出した水が川となって流れているかもしれない。

 陽炎の向こうで遠く揺れる小さな山脈を眺めると、耳元で冷ややかな声がした。

「どんだけかかると思ってるのよ」

 構わず私が歩きだすと、モハレジュは私のよこにぴったり寄り添ったまま、無言で足を速めた。


 水脈があれば、井戸があり、村もある。

 そのひとつに立ち寄ったところで、勝手についてきたモハレジュは、やはり無断で姿を消す。

 好きにしろ、とぼやきながら井戸を探して歩いていると、白く光る昼の小道の向こうからやって来る者があった。

 背中から、重心が覗いている。

「炎の皇帝」の兵士であることの証だ。

 隠れる場所などない。

 フードの下の顔を伏せて、マントで隠したナイフを握りしめる。

 

 ……気づかれない。


 何事もなくすれ違ったと思ったところで、兵士は矢庭に振り向いた。

 思わず向き直って身構えたところで、背後から型を叩く者がある。


 ……挟まれた?


 マント越しの肘打ちを決めようとしたところで、華奢な両の腕が首に絡みついてきた。

 私の目の前には、水でいっぱいの革の水筒が、両手の指先にぶら下がっている。

「待った?」

 モハレジュの囁きが漏れ聞こえたのか、兵士は舌打ちひとつ残して歩み去っていった。


 村を出たところで、ようやくモハレジュは、その腕から私を解き放った。

 それまで息を殺していたのが、大きな息をつくなり、分かり切ったことをもったいぶって尋ねてきた。

「あれ、炎の帝王の……?」

 答えてやることは、ひとつしかない。

「逃げろ」

 こんな小娘がくるところではないのだ。

 だが、 モハレジュは意地悪く答えた。

「フラッドは? いい鉱山は、炎の皇帝が押さえてるんだけど」

 実を言うと、そこまで考えが及ばなかった。

 テニーンがこの場にいたら、拳骨で一発、頭をどやしつけられていたところだ。


 ……何でこんなことに気付かないの? いい年して。


 「炎の帝王」に連れ去られたのを奪い返すことしか、頭になかったのだから言い訳も利かない。

 きまりの悪さに、大人げないと思いながらもつい毒づいてしまった。

「イヤなら帰れ」

 するとモハレジュは、頬をすり寄せながら、甘えたような声で囁きかけてきた。

「今さらひとりで帰れない」


「炎の帝王」の息がかかっていない山を探すしかない。

 井戸のある村のひとつひとつで、砂鉄のある川についての噂をしてみる。

 だが、都から離れて山脈に近づくほど、村の人々は疑り深く、口も堅くなっていった。

 こういうときになると、モハレジュは頼りになる。

 何だかんだで、少しずつではあるが、水と食料だけは間違いなく手に入れてくるのだ。

 それを恩に着せようとするかのように、村をひとつ出る度に冷やかしたものだ。

「まだ探す気?」

 錘で地下の水の流れを確かめている私には、耳障りでしかない。

「気が散る!」

 つい、苛立ちのあまり怒鳴ってしまったのは、そうそう見つかるものではないからだ。

 だが、モハレジュは、こともなげに言い放った。

「アタシがやろうか?」

「カンのないヤツにはできん」

 素人に見つけられた日には、刀鍛冶はみな廃業しなくてはならない。 

 だが、モハレジュはまぜっかえす。

「素人のほうが当たることもあるもんよ」

 そんなことを言いながら、いつの間にか錘をかすめ取って指先から垂らしている。

「だから勝手に触るな!」

 私の非難など耳に入らないかのように、モハレジュは遠くにぼんやりと見える青い稜線を指差した。

「あっち」

「そんな、あてにならんもの」

 突っぱねてやると、鼻で笑って返された。

「じゃあ、自分で見つけられる?」

 できないことはないが、今、見つけられない私は何を言えた立場でもない。

「おまえにカンがあることを祈る」


 モハレジュが指した山にようやくたどりついたところで、私の耳は微かな水の音を捉えていた。

 あれじゃない? と囁かれた先にあるのは、山肌から湧き出す清らかな流れだった。

「まさか……」

 呆然としているところへ、モハレジュが可愛らしい足を水で濡らしにかかった。

「気持ちいい!」

 私は慌てた。

「だから川を荒らすな! ……え?」

 モハレジュの狼藉へのいら立ちが、その足元への驚きに変わった。

 ふわりと舞い上がった黒い濁りが、静かに流れ去って消える。

 それが何なのか、モハレジュも気づいたようだった。

「これが、砂鉄?」

 だが、これだけでは足りなかった。

「この水でいいとは限らない……よい刀を鍛えるには、それなりの水がなくては」

 うんざりしたような顔で、モハレジュはぼやいた。

「どうやって見分けるの?」

「冷たさ、手触り、味……」

 数え上げたところで、モハレジュは足元に流れる水を口に含んだ。

 水筒はもう、空になっていたのだった。


 それがいけなかった。

 水と薪、炉にする土を探し当てるために、何日も野宿すると腹を決めたその夜に、モハレジュが苦しみはじめたのだ。

「熱い……」

 地面に力なく横たわった身体を抱き起そうとしたところで、辺りからかき集めてきた枯れ枝を燃やした焚火の明かりに輝くものが見えた。

「ひどい汗だ……」

 身体を拭いてやろうと思ったところで、はたと手が止まる。

 こんなんだが、一応は女だ。

 だが、モハレジュは薄い胸をのけぞらせて呻いた。

「……いいから、脱がせて」

 すまん、とつぶやいて前をはだけ、褐色の肌から目をそらしながら、べっとりと濡れた全身を拭いてやる。

 どこをどう触ったのか、ときどき微かな喘ぎ声が聞こえたが、もう気にしてはいられなかった。

 微かな声が漏れたからだ。

「水……」

 モハレジュに私の服をかぶせた私は、水筒を手に、山の中の闇へと駆け込んだ。

 どれほど走っただろうか。

 血で足がべたついてくるのがわかったが、そんなことは構わない。

 闇の中へと叫ぶ。

「どこだ……水は! 教えてくれ! テニーン!」

 すると、どこからか、水の音が聞こえてきた。

 闇の中で探し当てた流れをすくって、口に当てる。

 全身が、すっと軽くなった。

 すぐさま、水の流れに水筒を沈める。


 水を飲ませると、モハレジュの熱は引いていった。

 だが、そこで思い出したのはテニーンの言葉だ。


 ……今度は、身体が冷えてくる。


 私は、次第に炎が鎮まっていく焚火の傍で、モハレジュの身体を抱き寄せた。

 自分の肌で、温めるより他はない。

 盗賊として立てこもっていた、あの山の中でテニーンがそうしてくれたように。

 白々と夜が明けて濃い霧がたちこめてくると、モハレジュが目を覚ました。

「……何とも思ってないからね」

 自分の姿には気付いていたらしい。

「……すまなかった」

 慌てるところへ、モハレジュがすがりついてきた。

「離れないで。寒い」

 私は、その細い身体を強く抱きしめた。

「大丈夫。日が昇る」

 胸元から、微かな声が聞こえてきた。

「じゃあ……見ないで」

 東の空を見つめて朝日を待つことにする。

 やがて霧が晴れてくると、眩しい光が見え隠れするようになった。

 何かが差し込む日を遮っているのだ。

 あ、とつぶやいたのはモハレジュに、私は答えてやった。

「松の木だ……砂鉄を溶かすにはちょうどいい炭になる」

 まるで、テニーンが守ってくれているかのようだった。

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