第10話

 気が付くと、私はあの空き家の床で、裸に剥かれたまま横になっていた。 

 甲高い声が悪態をつく。

「目が覚めたんなら出ていけ、臭くてかなわん」

 戸が開けてあるらしく、眩しい光が差し込んでくる。

 目を細めると、同じように顔をしかめたネズミ爺さんが上から覗きこんでいた。

「あんなところから這い出して来て、家の裏から壁を叩かれてもな……臭さと汚さで城の連中が絶対に探らない入り口なのに、ここが目立って仕方がない」

 何が起こったのかと尋ねると、出て行けと言った割には丁寧な説明が返ってきた。

「炎の帝王が、自ら銃を撃ったんだな。あれの力は、火の力を強くする……ちょうど、かまどの火に、かまどで風を送ってやるようなものだ」

 だから、ただでさえ強力な「龍殺しの銃」の威力が増大したということなのだろう。

 だが、なぜ、このネズミ爺さんがそれを知っているのだろうか?

 尋ねる前に察しがついたのか、その小さな足が私を蹴り起こした。

「外で聞け!」

 立ち上がって駆け出すと、いきなり水をぶちまけられた。

「きれいに洗って! アンタを助け出すの、重いわ臭いわでたいへんだったんだから!」

 モハレジュだった。

 傍らでは、亀の身体をしたスラハヴァーが荷車に乗せた桶を引いている。 

 その中から小さな瓶に組んだ水を裸の私に浴びせ続けるモハレジュは、目を固く閉じた褐色の顔を真っ赤にして、私を罵り続けた。

「服は洗濯してあるから、後で取りに来て! あの宿屋でこの水、分けてもらうのに何日タダ働きしなくちゃいけないと思ってるのよ!」


 空き家の中にこもった悪臭は、なかなか抜けそうになかった。

 ネズミ爺さんは外に出てきて、しかめっ面のまま私を見上げた。

「どうする気だ? あの帝王を」

 答えないうちに、モハレジュが勝手に口を挟む。

「しょうがないわ、あんなに苦労して手に入れた銃が撃てないんじゃ」

 戦いに敗れて戻ってきた私を捕まえて、いずれも言いたい放題だ。 

 いや、無事に帰ってこられたからこそ、罵詈雑言を並べたてられるのかもしれない。

 そう考え直すと、次の手を考えようという気にもなる。

 とりあえず、モハレジュに黙っていてもらうために、私はきっぱりと答えた。

「必要な武器を手に入れて、斬る」

 呆れたような溜息と共に、再び悪態が連ねられそうになる。

「そんなことがアンタに……」

 小馬鹿にされた仕返しというわけではないが、自信を込めて言葉を遮ってやる。

「いや、できる。今までやってきたことだ」

 モハレジュは悔しそうに言い返してきた。

「そりゃ、あれだけ間合いを詰められるヤツは、そうそういないよ。だけど……」

 さらに私は、言い切ってみせた。

「弾丸を撃つ瞬間は見極められた」

 まさか、といわんばかりの顔に向かって断言する。

「だから、最初の一撃で必ず倒せば、必ず勝てる」

 モハレジュもネズミ爺さんも、呆然として私を見つめていた。

 大口を叩いたのに呆れたのだろう。

 ただひとり、話の中に入って来られなかったスラハヴァーが、ぼそりとつぶやいた。

「その格好で言われてもなあ……」 


 モハレジュは、それ以上、何も言わなかった。

 代わりに、さっきまで黙って聞いていたネズミ爺さんが口を開く。

「ただの人間ではないな……何者だ? 本当は」

 そう言われても、答えられるようなことはない。

 テニーンと共に盗賊となる前の生い立ちくらいだ。

「刀鍛冶の息子だよ」

 正直に答えはしたが、それでもなお問い詰められた。

「父親か? 母親か?」

 父のほうだ、と言うか言わないかのうちに、ネズミ爺さんはまた尋ねる。

「母親は?」

 記憶がない。

 私が乳離れするとすぐ、病で死んだのだと父は言った。

 それを告げると、ネズミ爺さんは重々しい口調で言った。

「一介の刀鍛冶の系図など、たどる術はあるまいよ」

 つまり、私は何者か分からないということだ。

 モハレジュは気の毒そうな顔つきで私を見たが、そんなことで心が傷つくような年齢でもない。

 だが、そこで思い出したことがあった。

 テニーンと共に山に籠って隊商を襲いはじめた頃、戦うのがいやになったことがある。

 自分は刀鍛冶なのか、盗賊なのかと考え込むようになったのだ。

 隠れ家から出ようともしない私に、テニーンは笑顔で言った。

 

 ……自分が何者なのかより、何をしているかが肝心なんじゃない? 


 イヤになったら他のことをすればいいんだし。

 そう言い残して隊商を襲いに出るテニーンを、私は慌てて追いかけたものだ。

 今になって思えば、私はあれでよかったのだと思う。

 いかに刀鍛冶だと言い張ってみせたところで、槍や刀は暗殺や武者修行の道具でしかなくなっている。

 そんな時代に、世界でただ一振りの「飛刀」の力を試さないではいられなかったのだろう。


 もちろん、ネズミ爺さんが言いたいのは、そんなことではない。

「銃を相手に間合いを詰めるの、弾を撃つ瞬間を見切るのと……ワシらにもできんことを」

 忌々しそうな、しかし呆れたような口調だった。

 だが、もともとできたことではない。

「人から習ったものだ」

 隊商を襲撃するためだったのだが、人の力を超えているのは、そんな技を仕込んだテニーンのほうだろう。

 私に向かって銃を撃つことこそなかったが、そこらに落ちている小石を拾っては、凄まじい速さで弾いてきたものだ。

 それを全てかわして、喉元に木剣をつきつけるまで許してはもらえなかった。


 ……人が斬れないなら、こうやって銃を捨てさせるしかない。


 銃でも巧みに相手の急所を外して撃ち倒せるテニーンのことだ。

 死の恐怖を与えたり、指の関節を斬ったりして、相手の銃を捨てさせる方法も知り尽くしていた。

 こうして、「テニーンとフラッド」の名は、金さえ貰えば命は取らない「義賊」として知れ渡っていったのだった。


 それでも、ネズミ爺さんは言い張った。

「生まれつき持っている力がなければ、身に付くものではない」

 モハレジュをちらりと見やってみた。

 私よりも半人半獣の者どもワハシュとの付き合いが長いはずだ。

 だが、この娘は曖昧に笑ってみせただけだった。

 そこまでは知らないということだろう。

 もっとも、あの狼頭や山猫頭、そして都に来る途中で倒した賞金稼ぎの狗頭人はなかなかの腕前だった。

 ネズミ爺さんの言うことも、あながち強がりではないのかのもしれない。

 すると、私は何者なのか?

 つい、そんなことが気になりだしたところで、モハレジュが口を挟んできた。

「で、どうやって戦うの? あの、ものすごい銃と」

 肝心なのは、そっちのほうだった。

 銃に対する戦い方を教えてくれたテニーンの言葉を借りれば、こういうことになるだろう。


 ……自分が何者なのかより、これからどうするかが肝心なんじゃないの? 


 その通りだった。

 今、考えなければならないのは、私が誰の血を引いているかではないのだ。

 確かに、「飛刀」の鍛え方を教えてくれた父を敬わないわけではない。

 だが、その「飛刀」さえもないのでは、「炎の皇帝」からテニーンを奪い返すことなどできはしない。

 

 ……待てよ。


 私の頭の中に、閃いたことがあった。 

 モハレジュとネズミ爺さんを見据えて、こう言い切る。

「飛刀ができれば勝てる」 

 もっとも、モハレジュは怪訝そうに首を傾げる。

 そういえば、銃が龍を屠るようになった今、「飛刀」など知っている者がいようはずはなかった。

 ネズミ爺さんはというと、しばし考えた後、はたと手を打った。

「ああ、あの、龍も一撃で屠るという……」

 そこでモハレジュは、傍らに目を遣った。

「知ってる? ……あれ? スラハヴァー?」

 そこには、水瓶が乗った荷車しかない。

 どこ行ったのよ、と文句をぶつくさ垂れるモハレジュの前に、きれいに畳まれた私の服が差し出された。

 亀の身体のスラハヴァーだった。

「取ってきた……話、長くなりそうだったから」

 気が付けば、太陽は頭上にまで上り詰めている。

 空き家の中に鼻を突っ込んでいたネズミ爺さんが、私たちを差し招いた。

「中に入れ、暑いから。もう臭いも抜けておる」

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