第9話

 次の日の朝、街の門が開くと、私は無人の大通りへと駆け込んだ。

 門番の兵士が、疑いの目で見ていることは何となく分かっていた。

 そこまでして人目を避けなければならなかったのには、わけがある。

 服を切り裂かれたモハレジュの胸が、朝の淡い光の中で露わになっていたのだ。

 まだ薄いから手で覆えば隠せないこともないが、もう一方の手はが私の腕を掴んでいた。

「こっち!」 

 そう言うなり、モハレジュに引っ張り込まれた場所があった。

 滅多なことではうろたえない私だが、ここがどういう場所か分かったときは言葉を失った。

「おい……」

 粗末なベッドが置いてあるだけの部屋に、天井近くにある明かり取りの窓から、ぼんやりと光が差し込んでいる。

 私がテニーンと初めて夜を明かしたのは、こんな宿屋だった。

 人知れず逢瀬を重ねる恋人たちが情事にふけるための……。

 薄暗がりの中で、モハレジュが怒りに燃える目で私を睨みつける。

「変なこと考えないで。タダでここに隠れて、裏口とか使わせてもらう代わりに、ときどき、こういう部屋の掃除やってるだけなんだから!」

 それでも、門番の兵士から見れば、私は年端も行かぬ娘を辱める、不届き極まりない破廉恥漢に見えたことだろう。


 さらにうっかりしていたことがあった。

 私たちは、ひと晩じゅう起きていたのだ。

 ベッドしかない部屋だから、眠たくなって寝そべる場所はモハレジュも同じである。

 気が付いたときには、私の身体を抱き枕にして安らかな息を立てていた。

 おい、と再び声をかけると、胸を抱えて跳ね起きる。

「なんかした? 私に……なんかした?」

 子どもには興味ない、と言ったのも聞かずに、私を責め立てるだけ責め立てたモハレジュは、夕暮れの光の差し込む安宿の部屋から駆けだしていった。

 

 半人半獣の者どもワハシュたちがたむろする、すっかり暗くなった裏路地の片隅で、私は銃を受け取ることができた。

 弾と火薬、それを込めるための細い鉄棒を一緒に持ってきたのは、あのネズミ爺さんだ。

「このために住んどったようなものだ、あの空き家は」

 その裏には、城からの汚れた水を流すための穴がある。

 入り組んだ路地の先にある、あの空き家へ案内された私は、奥の壁の前に立つ。

 小剣を腰に提げた私は、テニーンがやっていたように銃を背負って、隠し扉の外へ出た。

 鼻のもげるような臭気に顔をしかめると、からかう声が後ろから聞こえた。

「撃てるの? そんなんで」

 振り向くと、頼みもしないのについてきたモハレジュが、恩着せがましく微笑んでいた。


 モハレジュに渡されたボロ布で、口の辺りを覆面にしなくては息もできなかった。

 腰のあたりまで汚水に沈めて、暗い洞穴の中を手探りで、城の奥へと進んでいく。

 やがて、やっと足が乗る程度ではあるが、通路と思しきものが手に触れた。

 私と同じく覆面をしたモハレジュも、これに気付いたらしい。

「一応、ここにも見張りに来なくちゃいけないってことかな」

 くぐもった声で言ったところで、遠くにの明かりが見えた。

 それを手にした兵士は私たちに気付かなかったらしく、遠ざかっていく。

 通路へと這い上がって後をつけると、モハレジュも後からついてきた。

 だが、そんなことで城の奥へ忍び込めるはずもない。

 ランタンの明かりがぴたりと止まって、低いところへ下ろされた。

 モハレジュが囁く。

「気

 だが、そのときにはもう私の銃が、洞窟に響き渡らる轟音と共に火を噴いていた。

 テニーンと寸分違わぬ姿勢で撃ったつもりだったが、その弾は、洞窟の天井に当たって火花を散らしただけだった。

 膝をついて銃を構えた兵士の姿が一瞬、照らし出される。

 再び戻ってきた暗闇と共に、背後のモハレジュを抱えて通路に伏せる。

 銃の轟音の中、頭上で甲高い音を立てて風を切る弾丸が、洞穴のどこかで火花を放った。

 苛立たしげな声が、私を罵る。

「逃げてたら意味がないわ」 

 銃をひったくったモハレジュが、暗闇の中で器用に火薬と弾を込める。

 私は囁いた。

「いったん伏せろ」 

 カンテラの明かりの中で、向こうの兵士も同じことをしているはずだ。 

 たぶん、暗闇の中でこちらの銃が準備できているとは思っていないだろう。

 だが、モハレジュは銃声が轟くのにも構わず撃った。

 洞窟の残響の中、汚水がぼちゃんと音を立てると、慌てふためく兵士がカンテラを置いて逃げるのが見えた。

 モハレジュが、呆れたからとも安堵したからともつかない溜息を漏らした。

「アタシでもできることを」

 兵の銃を撃ち落とすだけの腕も度胸もなかった私も、溜息をつかないではいられなかった。


 ……テニーンが救い出せるのか? こんなことで。


 モハレジュのしなやかな手が、私の肩を軽く叩く。

「剣のほうが向いてるんじゃない?」

 そこには、軽蔑も慰めも感じられない。

 むしろ、励ましに近いものが感じられた。

 

 銃に弾を込めて城の奥へと急ぎはしたが、逃げた兵士が私たちを放っておくはずもない。

 たいして先には進まないうちに、何人にも増えてやってきた。

 カンテラが下ろされたところで、モハレジュが銃を構えた。

「殺すな」

 無茶な頼みだと分かってはいたが、囁かないではいられなかった。

「そんなこと言ってる場合?」

 そう言いながらも、モハレジュは器用に銃を撃ち落とす。

 だが、多勢に無勢とはこのことだった。

 いくつもの銃を向けられて、モハレジュは呆れ返った。

「こうなっても?」  

 だが、そこに非難の響きはない。

 私は小剣を手に、テニーンの言葉を思い出す。


 ……連続では撃てない。全員でも撃てない。


 下ろされた、いくつものカンテラが頼りだった。

 山賊として生き抜いてきた私の眼は、相手の指先の細かい動きも見逃しはしない。

 引き金が動く、その瞬間さえも。


 ……一斉に撃ってしまったら、弾を込めるまでに隙ができる。 

 ……何人かに分けて撃てば、一発あたりの弾は減る。


 最初の弾を撃つときを見極めて、間合いを詰めるのだ。

 そのくらいの脚は、テニーンに鍛えられている。

 

 ……見えた!

 

 銃を撃ってくると思っている兵士たちの意表を突いて、小剣で襲いかかるのは何でもなかった。

 持っているのが銃であろうと槍や剣であろうと、その指に斬りつけることができれば、落とし方は変わらない。

 ひとり残らず悲鳴を上げると、傷ついた手を押さえてうずくまる。

 そこを銃の台座で張り倒して昏倒させたモハレジュは、先へ進む私の背中で自慢げに囁いた。

「ほら、ね?」


 だが、すぐに私の歩みは止まった。

 真っ赤な光に包まれた人影が、銃を手に近づいてきたのだ。

 たったひとりだけだったが、私の身体には鳥肌が立った。

 モハレジュが、ものも言わずに銃を放つ。

 だが、恐れることもなく足を進める人影を、弾はかすめただけだった。

 低い声が、悠々と尋ねる。

「お前か? 風虎ふうこのフラッドとは」

 何の得にもならないことを答えるほど愚かではない。

 だが、続く言葉は、名乗らずとも人影の正体をほのめかしていた。

「……周りの者は止めたが、ひと目だけでも見ておきたかったのだ」

 モハレジュがつぶやく。

「まさか……こいつ」

 私も同じことを考えていた。

 人影が口にした最後のひと言が、それを確かなものにする。

「テニーンが待つ男を」

 

 小剣を低く構えて、私は突進した。

 一瞬で間を詰めて、その切っ先で心臓を貫けば終わりだ。

 テニーンが捧げられた、日照りの世界の恐るべき支配者の!

 「炎の皇帝」の!

 だが、凄まじい轟音と共に、小剣の刃は吹き飛ばされた。

 その衝撃で、私もモハレジュも、その手にした銃も吹き飛ばされた。

 汚水の中に転げ落ちて流されながら、私は考えていた。


 ……「龍殺しの銃」だ! あれを、どうやって?


 方法は、ひとつしかなかった。

 一振りで、相手の首を斬り飛ばす刀があればいい。

 私の失った、あの「飛刀」が。

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