第8話
裸の胸を抱えてすくみ上がるモハレジュを見下ろして、山猫頭のアレアッシュワティは、兵士たちを鼻で笑った。
「おい、お前ら殺すなって言ってくれる小娘……どうなってもいいのか?」
兵士たちを挑発して、襲いかかってくるところを血祭りにあげるつもりなのだ。
モハレジュをめぐって仲間割れをすることなく、囲みを突破しようというのだろう。
兵士たちは我に返ったように、再び小剣を構えた。
アレアッシュワティは、興奮を抑えた低い声でつぶやいた。
「そうこなくっちゃ」
だが、その目の前に立ちはだかった者がいた。
私だ。
炎の皇帝の城からテニーンを助け出すのに、頼れるのはこの少女しかいないのだった。
私が小剣をつきつけた先で、山猫頭は平然としている。
「やっぱり、そういうことか」
スラハヴァーが横から、恐る恐る尋ねてくる。
「……裏切んのか? 俺たちを」
「そうじゃない」
答えながらも見据えてやると、アレアッシュワティは憎々しげに鋭い歯を剥いた。
「信じらんねえ」
すると、私の後ろから、モハレジュの声が凛として響き渡った。
「話、聞いてやって。こいつらの」
それもひとつの手だろう。
ヴィルッドも、落ち着いた声で言った。
「今しかないぞ」
兵士たちが大人しくしているうちは、脱出の機会が残されている。
逆に、下手に開き直られたら、こちらは無用の危険を冒すことになる。
山猫の眼に睨まれて、兵士たちは震え上がった。腰を抜かしている者もいる。
とうとう、ひとりが泣き言を垂れた。
「よく分かった。あんたらは強い。このまま、見逃してくれ」
アレアッシュワティの返事は、ふーっという威嚇の声ひとつだけだった。
兵士たちの中から、諦めたような溜息だけが聞こえた。
「やりたくてやってるわけじゃない、こんなこと」
話を聞けば、彼らも貧しい境遇にあった。
「この街でやっていけるのは、要領よく金儲けしたヤツだけだ。金持ちは金持ち同士で張り合って、負けたら食うや食わずの身の上になる」
別のひとりが、その言葉を継いだ。
「怖いんだよ、ここで生きていくのが。ここでしか生きていけないのに……だから、こうやって兵隊やってるんじゃないか」
何を言っているのかよく分からないが、言いたいことは分かった。
この街は、この国中の富が集まってくる。それを求めて、人が集まってくる。
だが、その富はもともと富んでいる者が持ち、それを持たない者、いったん失った者はどこまでも貧しくなっていくしかない。
富から離れた貧しく、弱い者は、この街にしがみついている限り、その隅へと追いやられていく。
それが嫌なら、武器を手にするしかない。この街を出て荒野をさまようか、この街で兵士かならず者のどちらかになるかだ。
手足と頭を甲羅の中に引っ込めたスラハヴァーが、うずくまって考え込んだ。
「……そう言われるとなあ」
人の姿をしていないばかりに街の周辺へ追いやられ、汚水と悪臭にまみれて生きる
だが、山猫頭はそれだけに、兵士たちを許しはしなかった。
「でも、こいつらが生きるために、仲間がどれだけ殺された?」
冷たい朝の光が路地を満たしはじめると、もう山猫頭の目が光ることはない。
それでも、細くなった瞳は人間離れした獣の顔立ちを、いっそう禍々しいものにしていた。
その瞳が、口々に何やら同じことを言う兵士たちを見据えると、ひとりが声を振り絞った。
「もう、手出しはしない!」
狼頭のヴィルッドが、静かに尋ねる。
「命令されたら?」
別の兵士が答えた。
「街を……出ていく」
同じつぶやきが、路地にうずくまる兵士たちの間にざわざわと広がっていく。
私は、狼頭をちらりと見やった。
「ああ言ってるが」
答えはすぐさま返ってきた。
「信じてやろう」
「信じられない」
聞かれもしないのに、間髪入れずに口を挟んできたのはもちろん、アレアッシュワティだ。
そう言ってくるだろうと思っていた私は、さらに呼吸の間を読んで動いた。
「信じないなら」
山猫頭の喉元に、小剣を向ける。
そこでヴィルッドが、兵士たちに告げた。
「行け……殺しはせん」
狭い路地で押し合いへし合いしながら、兵士たちは我がちにと逃げていく。
スラハヴァーが、そこでほっと息をついた。
「よかった……これで喧嘩しないですむ」
だが、その考えは甘かった。
私が兵士から小剣を奪うときに落とした、売人のナイフの刃のことを、私はすっかり忘れていた。
山猫頭は、それを爪先で器用に蹴り上げる。
のけぞってかわすと、冷たい刃が鼻先をかすめる。
それが涼やかな青空まで昇りつめれば、落ちていく先は、たぶん、兵士たちの群れの中だ。
私は小剣を斜めに振るって、折れたナイフの刃を叩き落とす。
その切っ先は山猫頭の目の前まで迫ったが、器用に身体を丸めてかわされた。
すくみ上がったのは、しゃがみ込んでいた銃の売人だ。
股ぐら辺りの地面には、その持ち物だったナイフの刃が突き立っていた。
転がるようにして逃げ出したところで、首筋に小剣をつきつけてやる。
「答えろ……なんで、あいつらを知っている」
兵士たちの逃げていった方に顎をしゃくってやる。
だが、売人はこの期に及んで口を閉ざした。
よほど、知られたくない関わりがあるのだろう。
アレアッシュワティが再び山猫の眼目を吊り上げたが、狼頭のヴィルッドと目が合うと、そっぽを向いた。
スラハヴァーが困ったような顔で、こっちを見る。
ここで売人に口を割らせれば、
とりあえず、ここは仕切り直しだ。
私は売人に小剣をつきつけたまま、できる限り穏やかな言葉を投げかけた。
「言いたくないことは言わなくていい。こっちもあいつらを恐れることはない……すっかりやる気をなくして、何をしてくる気もないだろうからな」
すると、売人は顔を引きつらせながら、空威張りしてみせた。
「街から一歩出て、ぐるっと回ってみろ」
言われるままに、私はモハレジュと街の周りを歩いてみた。
街から出てしまえば、再び入ることはできないからだ。
「そうなったら、野盗や賞金稼ぎになるしかないのよ」
モハレジュがそう言うのは、日の出に街の門が開くと兵士たちが大通りを見張り、夜は門が閉ざされてしまうからだ。
だが、外へ出られた私たちもたいへんな思いをした。
日が昇ると共に街の外へ出たのに、周りをようやく半分も回らないうちに、すっかり日が暮れてしまったのだ。
「離れないように」
そういう私に、モハレジュは不満げに言った。
「こっちのセリフよ」
すると、その背後の暗闇の中から囁く者があった。
「この肉、食わんか?」
モハレジュが縮み上がったところで、代わりに私が答えた。
「くれ……おい、腐ってるぞ」
だが、それっきりだった。
辺りには、誰の気配もないが、私は気づいていた。
「街を出ていくんだろう」
モハレジュが、憐れみを込めてつぶやく。
「目の敵にされたわけね、アタシたち」
私たちを捕らえろという命令を、兵士たちは拒んだのだろう。
私はモハレジュを促した。
「眠いだろうが、来た道を戻ろう。他の取引につき合うことはない」
街の外周のあちこちで、支給されたものの横流しが、貧しさに耐えかねた兵士たちによって行われているのだ。
「銃は?」
例外ではあるまい。
私は、確信をもって答えた。
「もう、届いていることだろう……秘密の取引も、これが最後というわけだ」
さっきのやりとりが、都を去る兵士たちからの合図だということは察しがついていた。
その義理堅さは、あの売人も同じだったといえる。
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