第6話
モハレジュの言うままに、後をついていく。
やがて、路地の角をいくつ曲がったか分からなくなった頃だった。
しなやかな褐色の身体を持つ美しい少女は、古ぼけた家の扉を勝手に開けて、中に入った。
「都の隅には空き家が多くてね」
薄暗がりの中、窓から差し込む夕日に浮かび上がった椅子に華奢な肢体を投げ出す。
煌く瞳が、私を見つめていた。
家の中は、それほど広くない。
私が部屋の壁にもたれると、モハレジュは不敵に笑った。
「用心深いのね」
腹積もりを読まれていたのは驚きだった。
この距離なら、モハレジュの腕の長さで短剣を振るっても届くまいと思ったのだ。
だが、もともと、尋ねることは、ひとつしかない。
「城に潜り込む方法はないか」
「なくもないけど、忍び込んだら死ぬよ」
あてにはしていなかったが、この娘、そう言い切れるくらいには抜け道を知っているということだ。
だが、城への潜入は、思っていたよりも遥かに危険なものらしい。
さらに、モハレジュは危機もしないことをよく喋った。
「城の深いところからは、きれいな水が汲み上げられてる。街の表通りの噴水も、それ。」
「その水をたどっていけば……」
私の早合点は、不機嫌な声で遮られる。
「きれいな水の周りには人が集まるわ。当然、家がたくさん建つけど、この都で生きていくのは難しい。人が多い分、商売争いが激しくて、負けた者は財産を売り払って出ていくの」
「出て行くことはないと思うが」
聞いた事とはかかわりのないことで口を挟むと、モハレジュは夕日が差し込む窓を見やった。
「あの人たちのせいよ……街の端っこに棲む、獣の姿をした」
「不毛の荒野をさまようほうがマシということだな、いつ食い殺されるか分からないところで暮らすくらいなら」
相槌を打つと、モハレジュの話はますます、別の方向へそれていく。
「だから、この都の端っこには空き家が多いの、こういう」
とうとう、私はこらえきれなくなって尋ねた。
「その空き家と、城への抜け道は……」
モハレジュはそこで、傍らの壁を叩いた。
その隅から鈍い光が漏れてきたかと思うと、隠されていた扉が開いた。
水の音と共に流れ込んできた悪臭に私は思わず鼻を覆ったが、答えはそこにあった。
「あっちこっちでつなげられるわ、こんなふうに」
城からは、このような汚水も出るということだ。
それをたどるために、悪臭も忘れて外へ出ようとすると、モハレジュは止めた。
「いい的になるのよ、そこから入ってくるヤツは」
私は空き家の隠し扉を閉めた。
「銃を手に入れなくてはならんな」
「切り替えが早いのね」
モハレジュが何やら楽しげに答えると、裏路地から扉を開けて入ってきた者があった。
「隅に置けねえな、モハレジュ」
下卑た声で笑いはしたが、姿は見えない。
「アタシの好みじゃないから」
そう答える娘のまなざしを追うと、子どもくらいの大きさの人影がある。
身体をすっぽりと覆うマントのフードの奥から、長細い瞳をした金色の目が、私を見つめた。
「
そう言うなり、床を蹴って跳び上がった。
夕陽の光が薄らいだ暗がりのなかで宙返りを打つ。
フードの奥からネズミに似た尖った顔が、鋭い牙を持つ口を開いて飛んできた。
……ぎりぎりまで、待つ。
腰を落とすと、後ろの壁にぶつかりそうになった小さな頭が、再びくるりと回った。
そのまま落ちてきた小さな身体に、光るものがある。
……脳天を狙う気か。
身体を丸めて前へ転がると、背後でけたたましく笑う声がした。
「まあ、合格点といったところか、
そこでモハレジュは立ち上がった。
「行きましょうか、ファットル爺さん。お眼鏡に叶ったんなら」
モハレジュやネズミ顔の爺さんの後について行ったところに集う人々を見て、私は後悔した。
路地裏の家々からは、遠く離れた場所だった。
月明かりの下で車座になって待ち構えていたのは、兵士たちを路地裏で食い殺した
……もしかすると、ハメられた?
城への潜入を手助けするという口実で私を呼び出し、仲間の復讐を果たそうとしているのではないだろうか。
命を狙われかかったとはいえ、私は狗頭人の賞金稼ぎと戦って生き恥を晒させている。
そう思うと、闇の中で光る無数の目に、足が止まった。
私を見つめる
「これか? モハレジュの言ってたのは」
「何の用だ?
「腕は立つって聞いたんだけどな」
中には、私を疑う者もいる。
「俺たちを売る気じゃねえだろうな」
人のものではない、しかし人に限りなく似た、いびつな姿の者どもがひとり、またひとりと立ち上がる。
背の高い者もいれば、低い者もいる。
太っている者もいれば、痩せている者もいる。
ただ、そのすべてについて言えるのは、身体の右と左、上と下のどちらかが異様に大きかったり、小さかったりするのだ。
……やはり、仕返しか?
殴りつけてきた拳だけがやたらと大きい、猿のように萎んだ身体の男の腕を掴んでねじ倒す。
とどめを刺すつもりなどなかったが、反撃もされなかった。
……そうでもないとすると?
ちょこちょこと走ってきたのが、ずんぐりとした脚を目の前でいきなり蹴り上げる。
紙一重でかわしたのが鼻先をかすめたところで、その下から鞭のような尾が襲いかかってきた。
とっさに掴んで背負い投げをかけると、空中でくるくると回って着地した。
……腕を試している?
そこで目の前に現れた身体は骨と皮ばかりに痩せ細っていた。
トカゲに似た頭だけが、不自然に大きい。
その顎がばっくりと開いたところで、私は皮の薄い喉元を抉るように掴んだ。
じたばたするのを放してやったところで、あの声がけたたましく笑った。
「もう充分だろう、手を貸してやれ」
ネズミ頭のファットル爺さんだった。
その傍らには、私を紹介したモハレジュの端正な姿がある。
「疑り深いのは許してあげて。何にもしていないのに、こんなところに追いやられてるんだから」
テニーンから聞いたとおりだった。
常に住みかを追われる、
彼らは彼らであるが故に、人目を避けて闇に隠れるか、賞金稼ぎとして荒野をさまようしかない。
だが、そこまで言わなかったにもかかわらず、モハレジュは轟々たる非難を浴びる羽目になった。
「いつまでもこんなんじゃいねえ!」
「まだ、銃には勝てねえだけだ!」
そこで、モハレジュは得たりとばかりに手を打った。
「それよ! 今まで不思議だったの、その銃を何で手に入れないのか」
たちまち、月下に集った異形の者たちは黙り込んだ。
その光の下で褐色の肌を艶やかに照らされた娘は、さらに挑発する。
「難しいことじゃないんじゃない? 知らないでもないんでしょう、そういうヤバいもの扱ってる連中」
その場にひしめき合う、
答えを誰もが知っていることは、それで察しがついた。
だが、それを口にする度胸が、彼らには備わっていないらしい。
私は、異形の者たちに背中を向けた。
「当てにして悪かった」
自分で何とかするしかない。
兵士たちの銃が、城の中から流れていることまでは分かったのだから。
歩き出そうとしたところで、モハレジュに止められた。
「どこへ、どうやって戻る気? こんな腰抜けたちにでも、道案内してもらわなかったら兵隊どもに見つかっちゃうよ」
私と
だが、言われてみればその通りだった。
私が立ち止まると、背後から声をかける者がいた。
「待て……確かにできるぜ、俺たちなら。都のどん底に生きてるもんに、潜りこめんところなんぞあるものかよ」
振り向いてみると、ずんぐりとした身体の、頭に角の生えた男が、もたもた歩いて現れた。
たちまち、その男の背中に野次が飛ぶ。
「やめとけ、スラハヴァー!」
「お前じゃダメだ!」
さらに、追いすがってきた何人かが足がらみを食らわした。
そのスラハヴァーという男は後ろに倒れると、亀のようにじたばたして、なかなか立ち上がれない。
いや、実際、その身体は亀だった。
亀の甲羅の上に、ぶかぶかの服を羽織っていたのだった。
立ち上がることも、角のせいで頭を引っ込めることもできない。
そこで駆け寄ってきたのは、
甲羅から覗く手や腕を掴んで助け起こしながら、異口同音に声をかける。
「しょうがねえなあ……一緒に行こうぜ」
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