第5話

 目の前の兵士たちは、思ったとおり道を空けた。

 だが、その後ろには、短剣を抜いた別の兵士が控えている。

 

 ……読み違えた?


 さっき槍から逃げた兵士たちが振り向けば、背中から刺される。

 それが分かっているのか、正面の兵士たちも槍を恐れている様子はなかった。

 

 ……仕方がない。

 

 私は、思い切って槍を投げ捨てた。

 もともと、拾った武器だから惜しくもない。

 代わりに引き抜いたのは、使い慣れた短刀だった。

 折れてしまった飛刀には及ばないが、間合いの長い武器を失ったときは、最も頼りになる。

 背中を刺されないように、路地に面した家の裏口を背に立つ。

 追手の兵士が、短剣を片手に目の前を埋め尽くした。


 ……多すぎたか。


 テニーンに鍛えられた剣や短刀がいかに速いとはいっても、一斉に斬りかかられたら受け流しようがない。

 だが私は、思い出を胸に抱きながら潔く死ぬために、はるばる都までやってきたわけではなかった。

 

 ……前がだめなら!


 後ろに蹴り上げた足で、裏口の扉を蹴破りにかかる。

 盗賊として、様々な隊商や貴族の護衛たちと渡り合ってきた私だ。

 そのくらいの体術は備わっている。


 ……つもりだったのに!


 渾身の力で蹴り上げた足は空振りに終わった。

 みっともないことに、短刀を片手に追手を睨み据えていた私は、前のめりに倒れ込んだ。

 取り囲んでいた方の兵士たちが呆然と息を呑んだのが、空気の緩みで分かる。

 その隙に、私の身体は足から、家の中へと引きずり込まれた。


「鼻血拭いて走って!」

 扉がバタンと閉まると、暗闇の中で私を担ぎ起こした者があった。

 言われた通り、鼻からどろりと垂れる生臭いものを拭って立ち上がる。

 そのときに、何の弾みか、大きくはないが確かにあると分かるくらいには柔らかい膨らみに、手が触れた。

「どこ触ってんのよ!」

 鋭い叫びと共に、私の頬に正確な平手打ちが飛んでくる。

 おかげで再び鼻血を拭わなくてはならなくなったが、それは暗闇の中に外の光が差し込んできたからだった。

 追手の兵士が、扉を開けたのだ。

 精悍に輝く瞳で私を見つめる若い娘が、背中をどやしつける。

「早く! まっすぐ走って!」

 狭い空き家を言われた通りに走り抜けると、そこは日の光の眩しい大通りだった。

 噴水の撒き散らす光の飛沫の中、後ろから駆け出してきた娘に手を引かれるまま、人混みの中を走り抜ける。

 あっという間に追手の兵士をまいて、私たちは雑踏の中に佇んでいた。

 きらめく瞳を私を見つめる娘は、美しい顔を軽蔑で歪めた。

「その程度の腕で敵中突破?」

 皮肉を言いながら、麻服から覗く肩と褐色の腕にまとわりつく長い黒髪を払いのける。

 その指は、細く、しなやかだった。

 もっとも、その様子に見とれる私ではない。

 敵中突破、という言葉がまず、引っかかった。

「いつから見ていた?」

「あの酒場から」

 そう言いながら歩いていくのは、道端の屋台だ。

 無言で指さしたのは、炭火で焙られた薄切り肉の塊だった。

 だが、私はきっぱりと言い切った。

「金は持っていない」

 それなのに、娘は焼き肉を差し出されるままに、悠然と貪り食っている。

 追手の兵士に見つかるのではないかと、こちらは気が気ではないのに……。


「いたぞ!」

 銃を背負って、手に手に短剣を持った兵士たちが私たちを取り囲んでいた。

 言わんことではない。

 さっきは、追跡を遅らせることができた。

 路地に置いた銃を拾ったうえで、家の裏口の扉をひとりひとり通り抜けていたら、とても間に合うものではない。

 だが、同じ手はもう使えない。

 兵士たちが銃で周りを威嚇して人を遠ざけ、私たちを取り囲んでしまえば終わりだ。

 警告の声が上がる。

風虎ふうこのフラッド! 武器を捨てろ!」

 その間に、兵士たちは火薬と弾丸を込めていたらしい。

 高々と掲げられた銃口から、凄まじい音が轟きわたる。

 周りに集まっていた見物人は蜘蛛の子を散らすように逃げ去り、屋台の奥では主が身体をすくめている。

 それでもこの娘は、知らん顔して焼き肉のお代わりを頬張っていた。

 威嚇の一発を撃たなかった兵士たちは、短剣を抜いて襲いかかってくる。

 最初の2、3人のは軽く受け流したが、横からも攻めかかられると、どうにもならない。

 

 ……しまった!


 とうとう、短刀を弾き飛ばされて狼狽することになる。

 そこで、目の前に短剣の切っ先が飛んできた。

 払いのけようとして、思い出す。


 ……あの短刀!


 最後の武器も失っていたことに気付いて慌てたときだった。

 手の中に収まっていたナイフが、辛うじて短剣をあさっての方向へ向けていた。

 屋台の主が焼き肉を切り取るのに使っていたものだ。

 唖然としていると、あの娘が後ろから呼ぶ声がした。

「一歩下がって! フラッド!」

 言われるままに後ずさると、鼻先に倒れ込んできたものがある。

 屋台のテントだった。

 数名の兵士が下敷きになったところで、再び娘が私の手を引いて走りだす。

 また、人混みの中を駆け抜けることになったが、この身軽な娘からすると、どうも私は足手まといになるようだった。

「まどろっこしいわね! 自分でついてきて!」

 そう言って手を離すなり、娘は大通りに面した家の塀にひらりと飛び乗った。

 たちまちのうちに、暗い路地へと姿を消す。

 私が後を追うと、随分と先を走っていた。

 だが、後ろからは兵士たちの声が聞こえる。

「あそこだ!」

 すると、娘は横道へと駆け込む。

 そこへ私も逃げ込んだが、兵士たちはまだ叫び交わしていた。

「先回りだ!」

「路地という路地を洗え!」

 娘は、曲がり角から曲がり角へと消える。

 追ってくる兵士もいたが、娘に従って裏路地から裏路地へと逃げているうちに、背後からの足音も聞こえなくなった。

 そして、どれほど逃げ回ったろうか。

 気が付くと、薄暗い路地でひとり佇む娘の後ろ姿が見えた。

 とりあえず、礼ぐらいは言っておかなければならないだろう。

「おかげで、助かった。でも、どうして私を……」

 その言葉は、傍らの路地から聞こえてくる声で遮られた。

「そこまでだ! フラッド!」

 娘の立っている辺りの横道からも、兵士たちが現れる。

「残念だったな。行き止まりだ」

 その手が、娘の華奢な身体に伸びる。

 私はとっさに、まだ手に持っていた屋台のナイフを投げた。

 肩から血を流す兵士は怯んだが、こちらも身を守る武器を失った。

 横から腕を掴まれて捩じ上げられかかったが、テニーンから習った体術で返り討ちにする。

 その兵士は路地に転がしてやったが、他の連中がこっちを恐れる様子はない。

 ひとりが、嘲笑混じりに言った。

「袋のネズミってやつだな」

 逃げ道がないのは、私にも分かっていた。

 テニーンを炎の皇帝から救いだすどころか、何の関わりもない娘まで巻き込んでしまったのが悔やまれてならない。

 だが、その娘は平然と言い放った。

「同じ言葉、そっくりそのまま返してあげるわ」

 そのときだった。

 兵士たちがやってきた路地の奥で、いくつもの悲鳴が上がった。

 見れば、薄暗がりのなかに転がる身体のそばには、人のものではない影が佇んでいる。

 それが何者であるかは、続いて響き渡った絶叫の聞こえるほうに目をやれば分かった。

 兵士たちに襲いかかっている者たちは、全身を深い毛で覆われていたり、鋭い牙や爪を持っていたりと、ありふれた人間の姿をしてはいなかったのだ。

 ちょうど、私に倒された賞金稼ぎの狗頭人くとうじんのように。

 やがて、兵士たちは無残な姿を晒して路地に転がった。

 その姿を見下ろした娘は、冷ややかに言い捨てた。

「炎の力で、何もかも思い通りになるなんて思わないことね」

 とても、屋台の焼き肉をドサクサ紛れに食い逃げしたのと同じ娘とは思えない。

 その姿を呆然と見つめている私に澄んだ目を向けた娘は、こう告げた。

「アタシの名前はモハレジュ。力を貸してほしかったら、相談に乗るけど……ついてくる?」

 だが、娘の瞳は、私が応じないはずがないと言わんばかりに輝いていた。

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