第4話

 乾いた大地を渡ってきた風が、槍をかついで都へと向かう私の横面に土埃を吹きつける。

 だが、フードを低く引き下げなければならないのは、そのせいではない。

 隣を行く馬の背中から、声をかける者があるからだ。

「なに、都まではもう少しの辛抱だ、気張んなせえ、用心棒の旦那」

 それは、かつて私が相棒のテニーンと共に山中でよく襲っていたような、幌馬車を引き連れた裕福な商人だった。

 顔を隠さねばならないほどの賞金首、「風虎ふうこのフラッド」が、黙って隊商の護衛などをしなければならないのには、わけがある。

 私の正体はおろか、そんな事情など知る由もない商人は、調子よく礼を言う。

「それにしても、食いもんと水さえもらえればいいとは……なに、困ったときはお互い様だ」

 あの賞金稼ぎが槍と共に残した金は、十何日も歩きつづけたせいで、ほとんど底をついていた。

 私もその際、賞金首として狙われた口だから返事をしないようにしていたが、この商人はよくしゃべった。

「街道の盗賊は多いとは聞いていたんだが……」

 むしろ、私が金と水と食料を奪うために狙ったのはそちらだった。

 そこでたまたま助けられた商人は、ため息をつく。

「高い金で雇ったのが逃げて、頼りになる旦那がタダで働いてくれるとは……」

 そんなやりとりの合間に遠くを眺めると、銃を担いだ兵士たちが荒野を馬で行き来しているのが見えた。

 テニーンが連れ去られた、炎の皇帝の都は近い。

 商人がつぶやいた。

「先の帝のときは、まだ雨も降って、こんな心配もせんで済んだんですがねえ」

 そこで聞かされたのは、炎の帝が立つまでの経緯だった。

「先の帝は成り上がりの百姓男でね。それが気に食わない高貴なお方の若様に殺されたって話ですな」

 山の中で刀を売って育った私は、父からそんな話を聞かされたこともなかった。

 商人は、馬上の兵士たちを眺めながら囁いた。

「それが今の炎の帝で、先の帝の忘れ形見を、ああやって血眼でさがしてるとか……」


 都の手前にやってくると、すれ違う隊商も増える。

 商人が高らかに声を上げる。

「日照りとはいえ、さすがにこの都は水の源、人が集まりますな……街道は水の道、とはよく言ったものだ」

 井戸のある町や村を結んで作られた街道には、地下にある水の道が現れているといえなくもない。

 その道が果てたところには、銃を手にした兵士がこちらを見据えている。

 私たちは、それを持っていないことを確かめた上で、都の大通りに足を踏み入れることを許された。

 まず、目の前に現れたのは、人、人、人の波だ。

 だが、何よりも目を引いたのは、その大通りの真ん中で惜しげもなく噴き上がる水柱だった。

 商人だけでなく、続く幌馬車の中からも歓声が上がる。

 馬上から投げかけられたのは、私へのねぎらいの言葉だった。

「よくぞここまで! えらい難儀をさせましたなあ!」

 私にしてみれば、フードの奥に隠した顔を最後まで見せずに済んでよかったというだけのことだ。

 ……命懸けなのは、ここから先だ。


 屋台や露店が立ち並び、人のひしめき合う大通りの向こうには、その熱気にぼんやりと霞む、背の高い城が見える。

 テニーンが捧げられた炎の皇帝がいるのは、そこだった。

 どんな手をつかっても、この中に忍び込まなくてはならない。

 だが、あちこちの道端には、銃を担いで立つ兵士たちが警戒の目を光らせていた。

 私は、商人に頭を軽く下げただけで、その場を離れようとする。


 ……目立ってはいけない。

 

 すぐにでも、道を行き来する人の群れに紛れ込もうとしたのだが、そこで商人に大声で呼び止められた。

「まあ、そう言わずに!」

 有無を言わせず、昼間からの一杯につきあわせようとする。

 拒んで目立つのを恐れた私が連れて行かれたのは、やはり昼間から賑わう、大きな酒場だった。

「どうです、旦那! こんなところで!」

 私は隅の席に座ろうとしたのだが、この商人はそれを許してくれない。

「何をそんな、遠慮なく! さあ、こちらへ!」

 私を酒場の真ん中のいちばん目立つ席に座らせて、いちばん高い酒と料理を振る舞う。

「旦那! ここは頭から日の照りつける街道じゃありませんぜ! どうかお顔を!」

 頭から浴びるほど酒を飲み、どんどん上機嫌になっていった商人は、私のフードに手をかけると、一気に引き剥がした。

 目の前が急に明るくなる。

 真っ先に見えたのは、壁に貼られた人相書きだった。


  風虎ふうこのフラッド 

  賞金 金貨30枚

  生死を問わず 


 たちまちのうちに、私の周りには人相の悪い連中が集まってきた。 

「どこかで見たようなお顔ですなあ」

 その目は私ではなく、人相書きの張り紙を見ている。

 都に来ればこうなることくらい、分かっていた。

 だから、余裕たっぷりに答えてやる。

「こんなところへのこのこやって来るはずがないでしょう……賞金首が」

 このくらいの言い訳は、予め用意してある。

 だが、私はやはり取り囲まれたままだった。

 商人も、酔いがすっかり醒めた様子で、私の顔をしげしげと見つめている。

 やがて、人相の悪い連中のひとりが叫んだ。

「間違いない! お尋ね者のフラッド……風虎のフラッドだ!」

 これも、予想していたことだった。

 店に入ったときから、逃げ道の見当はもうつけてある。

 私は酒と料理の並んだテーブルに跳び上がると、槍を振るってひと回りする。

 商人も、人相の悪い男たちも、一斉に怯んでのけぞった。

 その隙にテーブルから飛び降りた私は、酒場のいちばん近い出口から外へ駆け出した。


 槍を抱えて大通りに出ると、たちまちのうちに銃で武装した兵士たちが私を取り囲んだ。

「動くな! 動けば撃つ!」

 空に向けられた銃が火を噴いた。

 轟きわたる音の凄まじさに、辺りにいた人々は逃げ惑う。

 だが、私はそこで察していた。


 ……龍の鱗を撃ち抜くほどの威力はない。


 見る限りでは、たいした銃ではないようだ。

 そんなものを支給されている兵士など、恐れることはない。

 私は頭上で構えた槍を、さっきのように振り回してみせた。

 それだけのことにすくみ上がった兵士たちは、火薬も弾丸も取り出すことができない。

 その隙に、私は逃げだした。


 ……我に返って火薬と弾丸を銃口から詰めるまでは、もうしばらくかかるだろう。


 もちろん、大通りで慌てふためく人が多くて、そうそう逃げられるものではない。

 ちょっと走るだけで、悲鳴を上げて大通りを行き来する人が、目の前を横切ったり、前や後ろからぶつかってきたりするのだ。

 その度に足止めを食わされた私はあたふたしたものだが、それも計算の上だった。

 私は、邪魔になるはずの人々の間に、自ら飛び込んでいく。


 ……あの兵士たちに、撃てるわけがない。


 私の足を止めようとして撃てば、何の罪もない人々に弾丸が当たる。

 いくら銃を持っているとはいっても、実は気の小さい兵士たちを、私はある意味では信じていた。

 だから、怯えたり恐れたりすることなどなく、落ち着いて逃げ方を考えることもできたのだった。

 狭い路地へ逃げ込むと、兵士たちの声が聞こえる。

「追え! 追い詰めろ!」

 確かに、路地はせいぜい2人か3人が並んで通れる程度の幅しかない。

 大勢の兵士たちが私を追いかけるには、いささか狭すぎる。

 しかも、銃はここでも撃つことができない。

 下手に撃てば、跳弾が味方に当たるおそれがある。

 脇道へ飛び込めば、逃げ切れるだろう。


 ……一本道でない限り。


 だが、脇道はなかなか見つからなかった。

 そのうち、私の目の前にも、銃を持った兵士たちが現れる。

 

 ……挟まれた。


 だが、それは覚悟していたことだった。

 兵士たちは路地に銃を置くと、腰の短剣を抜き放つ。

 振り向くと、後ろの兵士たちも同じ武器を手にしていた。


 ……短い武器でも、数が揃うと厄介だ。


 私は槍を構えて突進した。

 もちろん、狭い路地では振り回せない。

 できるのは、思い切って正面突破を図ることだけだ。


 ……背後の兵士たちが襲いかかってくる前に!

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