第3話

 私を見るなり、その若者は言った。

「おぬし、修羅の匂いがするな」

マントのフードから覗く目の光や、引き締まった口元から、追い剥ぎの類でないことは見て取れる。

 確かに、賞金稼ぎを倒しはした。

 だが、それは2日も前のことだ。

 それから今まで、賞金稼ぎの残した槍を肩にかついで、私は「炎の帝王」のいる都を目指して歩き続けていたのだった。

 嗅ぎ分けたにせよ見抜いたにせよ、知られてごまかすこともない。

「命を狙われたのはこっちだ」

 確かに、結果として財布を奪い取ることになったが、強盗を働いたわけではない。

 襲ってきた賞金稼ぎを返り討ちに遭わせたら、たまたま大金を持っていたというだけのことだ。

 財布はもう、そいつが落とした水筒と同じく、空になっている。

 蓋が飛んでこぼれかかっている水を、地面に吸い込まれてしまう前にひと息で飲んでしまったのだから仕方がない。

 しかも、水を買うと法外に高いのだ。売る方も足元を見るから、値切るのも容易ではない。

 やむを得ず、都への街道の途中に点在する村の一つで、財布の中身を使い果たしてでも水を手に入れる必要があった。

 雨という天地の営みが昔話になってしまった今では、水はまさに命そのものとなっていた。

 だが、若者は聞かない。

「事の是非は問わぬ」 

 その頑固さに呆れながらも、私は短く切り返した。

「それなら、なおのこと……通してはくれないか?」

 私は賞金稼ぎを殺しはしたが、そんなことは珍しくもないことだ。

 「炎の帝王」が君臨するようになってから、照りつける太陽のもと、人の心は大地と同じくらい荒れ果てていた。

 もっとも、それをどうしようという気もない。

 ただ、「炎の帝王」に献上されたテニーンを奪い返したいだけだった。 

 「事の是非を問わぬ」と言うなら、構わないでくれれば済むことだ。

 だが、若者は身を翻す。

 マントの背中に描かれた紋章が、照りつける日差しの下で目に灼き付いた。


 ……クジャクの紋章? 太陽を背にした?


 紙一重で避けたものが、鼻先をかすめる。

 

 ……短槍!


 マントの紋章は、僧侶が信仰する信仰する神の紋章だ。

 つまり、この若者は、武術を極めようとする修行僧だということだ。

 そして、太陽にクジャクといえば……。

 答えは、若者が自ら告げてくれた。

「炎の神は強き者をよみするゆえ」  

 戦うしかないようだった。


 炎の神は、戦神いくさがみでもある。

 「炎の帝王」が崇めるのは、まさにこの神だった。

 これに仕える僧たちが幅を利かせるのは無理もないことだろう。

 この手の坊主は国中のあちこちをうろついては、強そうな相手に喧嘩を吹っ掛けて回っている。

 だが、相手をどんな目に遭わせようと咎められることはない。

 同じ理屈で、誰であろうと、売られた喧嘩であれば相手を殺してしまっても無罪放免となるのがこの国の掟となっていた。

 私も槍を構えて、念を押す。

「勝てばいいわけだな」

 若い修行僧はフードを跳ね上げると、短槍を抱え込むように身を屈めた。

「まず、無理であろう」

 口元に笑みを浮かべて私を挑発する、鼻筋の通った顔は頭上から降り注ぐ日差しのように眩しい。

 その手には、乗らない。

 こちらも挑発してやる。

「負けたら地獄に墜ちるっていうじゃないか」

 余裕の笑みが一瞬で失せる。

「それは己の欲に溺れたときだ!」

 まだまだ、若い。

 そんなことは、私も知っている。

 炎の神の他にも神々はあり、それぞれに仕える僧侶はいる。

 だが、この戦神を崇める坊主が大きな顔をして民草に良いことがあるとすれば、それは欲がないことだ。

 なにしろ、戦にせよ武術にせよ政治にせよ、強くなればなるほど神の加護が得られるというのが神の教えなのだから。


 僧は眼を怒らせて名乗った。

「我が名はアッサラー! 汝の名は!」

 自分で賞金首だと明かすわけにもいかないので、黙っているしかない。

 修行僧アッサラーに誤解されるのも無理はなかった。

 卑怯な、とつぶやくな否や、凄まじい速さの突きを繰り出してくる。

 だが、来ると分かっているものをかわすのはたやすい。

 

 ……はずだった。


 銃を使おうとしない私に、テニーンは刀や槍での戦いを徹底的に仕込んだ。

 おかげで、気配を頼りに、相手の刃や穂先を紙一重の差でかわせるまでになった。

 だが、今度ばかりは何かがおかしい。

 繰り出される短槍は見えるのに、更に長い槍では弾き飛ばせないのだ。

 間に合わないのではない。

 受け流し、払いのけたはずの穂先が目の前へ迫ってくるのだった。

 逃げるのが、やっとだ。

 短い槍を突いては繰り込み、突いては繰り込み、アッサラーが嘲笑う。

「どこを見ている!」

 愚かなことに、そこで蘇った記憶があった。

 

 ……そういえば、テニーンにもそんなことを言われたような。


 本物の槍で突いてくるのを死に物狂いでかわしているときだ。

 

 ……槍の動きを追うので精一杯だったな。


 飛んでくる穂先から目が逸れた、と気付いたそのとき、重い手ごたえがあった。 

 そこで気付いたのは、短槍を受け流されたアッサラーの胴体が、がら空きだということだ。

 すかさず槍を繰り出せば、短い槍の穂先に弾かれる。

 それが再び飛んでくるのを、私は見ていなかった。

 敢えて、目を閉じる。

 アッサラーの怒号が聞こえた。

「バカにするな!」

 そのときには、もう目を開いた私に、槍で足を払われている。

 もっとも、それしきのことで倒れるようでは、炎の神、戦神の修行僧ではない。

 後ろへ軽くトンボを切って舞い降りたところで、私にも考える余裕ができた。


 ……肌に感じるのと、目に見える速さが違う?


 それが分かれば、いかに神速の槍といえども恐れるに足りない。

 アッサラーの繰り出す短槍は、私の槍に阻まれて、もう届くことはなかった。

 

 修行僧が、悔しげに呻いた。

「龍神の加護を受けておるな」

 負け惜しみもいいところだ。

 正直に答えてやる。

「拝んだこともない」

 盗賊という仕事柄、襲う相手がどんな連中かは知っておく必要がある。

 だから、貴族や豪商、僧侶の紋章は欠かせない手がかりだった。

 しかし、龍神の紋章というのは見たことがない。

 私が知っているのは、この国のあちこちで放浪中に見た、泉の跡に立っている祠ぐらいだ。

 いや、神などというものがいて、拝めば困ったことを何とかしてくれるのならば、こんな日照りは続かないはずだ。

 もっとも、信じる者には、そこまで考えが及ばない。

 アッサラーは目を剥いて、低く唸った。

「炎を崇める者には分かる……」

 そこで呪文でも唱えるかのように聞えてきたのは、たぶん僧侶にしかわからない、この世界の成り立ちだった。

「……世界は、その安定を巡って神々が争うことによって動くもの。すべてをあるがままに受け入れるように説く、善の神と称するものがあるが、我らはそれを拒んで闘う。闘う者の力と力が互いに相争うことで、世界はどこか一方に傾くことを免れているのだ。龍神は、それを打ち壊しては、その後に新しいものが生まれてくるためと言い繕う……」

 いつまで続くか分からない話を聞かせるくらいなら、ここを通してほしいものだ。

 そんな話が面倒になって、私はひと言で斬って捨てた。

「お前が弱いだけだ」

 アッサラーは怒らなかった。

 ただ、静かに笑っただけだった。

「ならば、試してみようではないか」


 私にも、油断があった。

 再び迫った神速の槍に、武器は失われた。

 あの長話が、これを狙った罠だったとすると、この修行僧もなかなかの策士だ。

 槍を弾き飛ばされた私は、とっさに懐の短刀を抜き放つ。


 ……槍を弾いて、懐へ飛び込む!


 だが、短槍は修行僧の手から投げ捨てられた。

 間合いが狂ったところで、アッサラーの姿が消える。

 気が付くと、目の前にいた。

 懐に飛び込まれた私は腹に拳を打ち込まれ、身体を折ったところで短刀をもぎ落とされ、高々と投げ飛ばされる。


 ……しまった! 本当の武器は、これか!

 

 それでも、頭から落ちるようなことはしない。

 背中を丸めて地面に転がった私を片手で抑え込んだアッサラーは、揃えた指で喉を突きにかかる。

 破れかぶれでその腕を掴み、寝そべったまま、苦し紛れに足を蹴り上げる。

 戦神の修行僧アッサラーは、もといた場所に、もんどりうって背中から落ちた。

 

 ……その辺りには、確か。


 私からもぎ落とした短刀があったはずだ。

 素手のままで慌てて立ち上がると、それはすでにアッサラーの手にある。 

 立場は逆転し、修行僧は私との間合いを詰めてきた。

 突き出された短刀が、喉元へと迫る。

 

 ……見くびるな!


 アッサラーの腕は思いのほか、ゆっくりと伸びてきた。

 腕を抱え込んだまま、くるりと振り向くと、その勢いで身体を背負って放り投げる。

 炎の神の修行僧は、無残にも地面へ大の字に叩きつけられた。

 無念そうに見上げる顔に向かって、告げてやる。

「自分の拳を信じなかったお前の負けだ」 

 アッサラーは、目を背けながら答えた。

「殺すがいい……もはや炎の神の加護はない」

 聞き入れるつもりはなかった。

 私は盗賊ではあって、殺人鬼ではない。

 相手の命を奪わなければならないようなときは、限られている。

「後ろから襲ってくるならな」

 そう言い残すと、長いほうの槍を拾って肩に担ぐ。

 井戸を探すためにしばらく歩いてから振り向くと、短槍をへし折るアッサラーの姿が見えた。

 まっすぐな目で僕を見つめて、尋ねる。

「いま一度聞こう。おぬしの名は?」

 僕の答えは、言葉にしても変わらなかった。

「名乗るつもりはない」 

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