第2話

 私の目の前に、ぎらぎらと照りつける日差しを照り返す槍の穂が片手で突き出される。

 マントのフードを目深に下ろした男は、くぐもった声で私に告げた。

「欲しければ、腕ずくで奪い取ってみるがいい」

 そういうなり、もう片手でちらつかせた皮の水筒を腰に戻す。

 やれやれ、だ。

 この暑いのに、わざわざ決闘などを吹っ掛けてくるのは、おおかた武芸者だろう。

 日照りが続く中、こういうのがめっきり増えた。

 作物も取れず、働き口もないから、腕っぷしで名を上げて、どこかの金持ちか貴族、高官の用心棒に雇ってもらおうというのだ。

 そういう連中が住む街は城壁で囲まれており、銃は持ち込めない。

 限られた兵士だけが銃を持って、それが外から入って来ないよう、城門で見張っているからだ。

 しかし、そういう武器に縁のない武芸者が、勝負を挑んでおいて名乗りもしないのは妙な話だった。

 それでも私は仕方なく、腰の刀を引き抜いた。

 こんなことになったのには、実にくだらないわけがある。


 ほんの少し前のことだった。

「水を……分けてくれませんか」

 疲れをこらえて、か細い声で私は頼んだ。

 乾ききってはいるが、砂塵を吹き付ける風さえもない炎天下の道を、フード付きのマントを羽織ってどれほど歩いただろうか。

 私はようやくのことで見つけた小さな村を歩き回り、たどりついた井戸の前で頭を下げていたのだった。

 その番人と思しき男は、傍らにある小屋の長い庇の下で、真っ白に古ぼけた椅子にもたれて私を眺めている。

 全身を覆うローブのフードの奥には、疑り深そうな、そしてこすっからい目がギラギラと光っていた。

 面倒臭そうな声が、ぼそぼそと聞こえてくる。

「タダじゃないよ」 

 そんなことは分かっている。

 この国に雨が降らなくなって、どのくらい経っただろうか。

 あちこちで当たり前に流れていた川も、そこで土地を耕して作物を育てていた人の顎も干上がった。

 地下水脈をうまく掘り当てられた人々だけがその災禍を免れ、食べるもの、飲むものの値段はそれが得られる土地の持ち主次第ということになった。

 この井戸の番人も、おそらくはこの村の周り持ちのひとりだろう。

 通りかかった旅人から巻き上げた金は村で山分けだろうから、一戸あたりの分け前から逆算すると、結構な額になるはずだ。

「いくらですか?」

 テニーンと暮らしていたときは、たまたま山の麓で井戸を掘り当てることができたから、水には不自由しなかった。

 せいぜい、水の入った重い瓶をつるした天秤棒をふたりで かついで登るのが面倒だったくらいだ。

 もっとも、10年経っても出会ったときと全く変わらないテニーンは、平然としたものだったが。

 それはともかく。

 こんなわけで、私には水の世間相場が分からない。

 それを知ってか知らずか、男は両手を大きく開いて言った。

「これだけ」

 金貨10枚、という意味だ。

 吹っ掛けられたものだった。

 

 いくら命を助けられ、自由の身となったからといって、それで笑っているほど私は愚かではない。

 テニーンが去った後、しばらく呆然とはしていたが、私はすぐさま自分の馬にまたがっていた。

 着の身着のまま、短刀ひと振りだけでテニーンを追う旅を始めたのだ。

 もっとも、道中で自分の馬を手放すことくらいは覚悟していた。

 まだ、身を守るに足る武器も買ってはいない。

 日照りの下で旅をするのに、フード付きのマントと食料を買いこむためだ。

 しかし、これでは馬の代価の残りが、水のために消えてしまう。

「1枚」

 いくら水が高いといっても、このくらいが相場だろう。

 だが、男は言った。

「9枚」

 このくらいは予想していた。

 思い切って、譲れるだけ譲る。

「3枚」

 だが、向こうは涼しい顔をしている。

 いかにも、当然という顔で返してくる。

「7枚」

 話にならない。

 これより余計に払ったら、テニーンを見つけ出す前に、私が飢えて死んでしまう。

 フードの奥から男を睨みつけると、後ろから声をかける者がいた。

「5枚」

 井戸の番人は、黙って首を振る。

 すると、槍を担いでやってきた者は、私を押しのけて言った。

「10枚」

 井戸のつるべがするすると落ちて、金貨と引き換えに革袋へと収まる。


 村の外れまで水筒を追って歩いたところで、私は相談を持ち掛けた。

「金貨3枚分、その水を分けてはもらえないだろうか」

 悪い取引ではないはずだった。

 本当なら、水筒3本分の値段なのだから。

 だが、返ってきたのは、さっきと大して変わらない答えだった。

「6枚」

 倍額とは吹っ掛けたものだ。

 私としては、値切るしかない。

「4枚」

 だが、その返事は、言葉ではなく槍の穂先だったというわけである。

 まともに考えれば、たかが水のために命懸けで戦うのはバカバカしい。

 だが、今は時代そのものがまともではなかった。

 水に命が掛かっているのだった。

 相手が腰だめに槍を構えたので、私も懐から抜いた短刀の切っ先を突き出す。

 互いに間合いを取りながら、じりじりと半円を描いて位置を入れ換える。

 まともに戦ったら圧倒的に不利だというのに、いつもの調子で私は余計なことを考えていた。

 

 ……金貨10枚をポンと払えるということは、懐に相当の余裕があるということだ。


 井戸水のために死ぬか生きるのかの思いをしている身としては、この呑気さが何とも腹立たしい。

 そう思ったとき、相手が口を開いた。

風虎ふうこのフラッドだな? 火龍かりゅうのテニーンの相棒の」

 この物言いからすると、武芸者ではない。

 たぶん、腕利きの賞金稼ぎか何かだ。

 道理で、名乗りもせずに決闘を挑んできたわけだ。

 私とテニーンの首に相当の額が掛かっていることは知っていた。

 百発百中の銃を操るテニーンに対して、意地になって飛刀を全速で振るい続けた私は、「風の虎」と呼ばれていたのだ。

 フードで顔を隠していたのに正体を見抜く辺り、賞金稼ぎは違う。

 だが、無駄口を叩きながら勝てるような私ではない。

 飛刀さえ持っていれば、の話ではあるが。


 ……一気に仕掛ける!


 単純な話だった。

 槍を相手にするのに短刀しかないのでは、どうにも間合いが遠すぎるのだ。

 思い切って、全速で大きく踏み込む。

 賞金稼ぎの喉元めがけて突いた短刀の切っ先が、槍の穂先と交差した。


 ……速い!


 刀が弾いた穂先は瞬く間に繰り込まれ、目の前に飛び出してくる。

 かわしたところで、胸元まで踏み込まれた。

 だが、こんな間合いで槍が使えるわけがない。

 私は至近距離から、相手の身体を短刀で貫けば済む。


 ……勝った!


 だが、目の前に迫った相手の目は、ぎらりと余裕たっぷりに輝いた。

 背筋に寒いものを感じて、一歩退いたのが生死を分けた。

 私のマントの襟元は、相手の鋭い牙で食いちぎられていた。

 跳ねのけられたフードの中から現れたのは、犬の頭だった。


 ……狗頭人くとうじん


 遠い昔には神の化身とも崇められたらしい、半人半獣の者どもワハシュのひとりだった。

 今では人の住む村からは追われ、街の片隅に姿を隠して、普通の人間アディが避けて通る汚れ仕事に携わって暮らしている。

 テニーンからも聞いたことがある。

 傷つけられた誇りは、その持ち主を傷つける形で姿を現すことがある、と。 

 その中には、高い報酬を求めて命懸けの仕事を選ぶ者も少なくないのだった。

 私は跳び退って間合いを空けた。

 獣の唸り声を上げる相手と、真っ向から睨み合う。

 互いに隙をうかがって、じりじりと円を描きながら相手を牽制する。

 それがどれほど続いたろうか。

 不意に、犬の頭の賞金稼ぎが、耳まで裂けた口で嘲笑した。

「獣に怖気づいたか、人間サマ!」

 そんな挑発に応じるつもりはない。


 ……私には、私の腹積もりがある。


 間合いを詰めない私に苛立ったのか、ワハシュの賞金稼ぎは渾身の力で槍を突き出す。

 腕が一杯に伸びれば、当然、地面との間には隙間ができる。

 そこが狙い目だった。

 低い姿勢で潜り込むと、賞金稼ぎは一歩退いて間合いを取り直す。 

 それは、私の間合いでもあった。

 身体を起こして短刀を喉元につきつける。

「身ぐるみ置いていけ」

 槍を振り上げたところで、がら空きの鳩尾に短刀の柄を叩きこむ。

 刃を横薙ぎにすると、賞金稼ぎの懐からは、重そうな財布が転げ落ちた。

 だが、私が拾い上げたのは、腰の水筒のほうだった。

 栓が抜けてどこかへ飛んでいってしまっているのを口にくわえて、一気に飲み干す。 

 ようやく人心地がついたところで、犬の頭を持つ憐れな賞金稼ぎを、昏倒しているのも構わずたしなめた。

「余計な汗をかかせるな」

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