— 1 —

ぴたりと。電車の動きが止まった。

ベタリと汚れた床の染み。

そぞろ寒くなった、車内の光景を眺めている。

指の先が、ほんのりと冷たい。

お釈迦になった、夢の余韻。


——ねえ、春香さん。


あの時の声が、まだ耳に残っている。

眠りに落ちる前に見えた、昔からの残像。眼鏡が映し出した紙川様の影が。


——あたしの首を、絞めて?


微睡んだ視界の中で。未だに響いて、無垢な笑顔を残してゆく。小さな踊りを続けている、黒いドレス。


——想像、してみて欲しいの。


夢に出てきた私の両手は、とても小さくて。幼い頃の姿になっていた。祈りを積み重ねていた、あの当時。


——例えば、まだ言葉を知らなかった頃の……。


子どもの首を絞める事すらも、ままならなくて。怖気づきながらも、そおっと首筋に手を掛けた。

その時の感触は確か、甘美だった。

絹糸のように、繊細で。それでいて、冷淡さも感じる肌触り。指先で感じた血の流れは、とても静かで、綺麗だとすら感じてしまった。

まるで、既に死んでしまっているかのように。

紙川様の鼓動の中には、微かな温度が残っていて。指先から、首を締めあげた両手の中から、すり抜けてしまう。


幽霊にでも、なったみたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る