狼少年

彼女はすごく騙されやすい子だった。


2人で初詣に行った際、甘酒ってアルコールが入ってるんだよ、と伝えると、顔を真っ青にして「小さい頃飲んじゃった。これって未成年飲酒?時効だよね?」と震える。


バカ食いしたいという彼女に付き添いラーメン屋に行った際、メンマって割り箸から出来てるんだよ、と伝えると、帰り道に大量に割り箸を買って漬け込もうとする。


外に出たい外に出たいとうるさい彼女に付き合いデートをした際、街中にいる鳩は政府が作った精巧なロボットで、目の部分に取り付けられたカメラで僕たちを監視しているんだと嘯くと、鳩を見るたび僕の背中に隠れるようになった。


あまりにも大真面目に受け取るものだから、堪えきれなくなってくすくすと笑うと、ようやく察した彼女はぷくっと頬を膨らませ「また私の事騙そうとしたでしょ」とぷりぷりと怒ってくる。そんな彼女が可愛くて、学習せずに騙され続ける彼女が愛おしくて、何度も冗談を言って彼女の反応を楽しんだ。


仕事も軌道に乗り、僕の頭に「結婚」の2文字が毎日のように浮かぶようになったある日。どうも身体の調子がおかしく、病院にて検査を受けると白血病だと診断された。もう長くは生きられない可能性がある、という話もされた。まだ若いのに…と思わず漏らしてしまったであろう看護師さんの声が、やけに耳に残っていた。


彼女に、この事を正直に伝えていいものか悩んだ。きっと、優しい彼女は毎日のように入院する僕の看病をしてくれるだろう。僕が死ぬその時まで、自分のことなんてそっちのけで。それがどれくらいの期間かは医者からもおぼろげにしか言及されていないわけだが、その時までの彼女の人生に、僕を看病し続ける日々に、意味はあるのだろうか。女性としての魅力が全盛期を迎える彼女にとって、先のない僕に構うよりも、新たなパートナーを見つける方が結果として幸せに繋がるのではないか。


散々、散々悩んだ挙句、僕は彼女を騙す事を決意した。ここ数日、僕の様子がおかしい事を気遣ってか、妙にハイテンションで話を振ってくる彼女に一言、別れようと呟いた。


いつもの冗談だと思って、なんで?と彼女が聞いてくるから、お前の馬鹿さ加減に嫌気が差した、僕は騒がしくないお淑やかな子が好きなんだ、なんて、恥ずかしくて言えなかった彼女の魅力を、まるで嫌いなところのように伝える。仕方ないんだ、と自分に言い聞かせて。


こうなればとことん嫌われてやろうと思った。彼女が将来、新しいパートナーができた際、こんな彼氏がいてさ〜と嫌悪感丸出しで僕に触れてくれれば、と。悲しみとしてではなく、せめて『嫌な男』という話題のネタとして彼女の記憶に残ってくれれば、と。


「なんで?」「やだ」を繰り返す彼女の荷物をまとめ、無理やり家から追い出した。扉をどんどんと叩いてくる彼女に背を向け、寄り添うようにその場に座り込んだ。初めて彼女を、本当の意味で騙す事に成功した。


そのまま、彼女の僕に対する一切の情報を遮断した。SNSもブロックをし、僕の病気を知っている家族や友人にも、彼女だけには伝えないでほしい、と念押しした。


それから数ヶ月して、病院にてただ僕の寿命を伸ばすだけの措置が取られた。抗がん剤による治療が始まり、副作用に苦しんだ。目を開けていると視界がぐるぐると回って気分が悪くなるから、病室のベットで目を閉じてただ耐えた。瞼の裏側に彼女の姿が思い浮かべる。そうすれば、少しは苦しみを紛らわす事ができたから。


彼女はもう立ち直ってくれたのかなって。願わくば、僕よりも身体が強い運命の人を見つけていてほしいって。でも、僕くらいしか彼女の世話をできる人間はいないんじゃないかって。そうしてもう会う事もない彼女の心配ばかりをして、あぁ、やっぱり僕は彼女が大好きなんだなって。


病室の扉が開いた音がした。きっと家族…あぁそういえば、姉が息子を連れてお見舞いに行くって言ってたなと思い出し、なんともないように振る舞おうと気合いを入れ直す。


音の方に目をやり、思わず絶句した。走ってきたのか、肩で息をする彼女がいた。「なぜ?」「どうしてここが?」なんて疑問より先に涙が出てきて、怒気を纏っていた彼女も涙を流していて、僕がベットから降りるより早く彼女が駆け寄ってきて、背中に手を回してきて。


2人で声にならない声を上げながら喚き泣いた。少しばかりおさまり、「ごめん」だの「ありがとう」だの、うわ言のように繰り返す僕の唇に手を当てて制し、彼女が、いつもみたいに、お決まりのセリフを呟いた。


「また私のこと騙そうとしたでしょ」

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