幼馴染なんてくそくらえ

「幼馴染」って、結構憧れる関係だったりすると思うが、結局のところ幼い頃から仲が良くて、だからこそ相手の些細なことも知っていて、「友人」より少し上ってだけ。


講義室を出ると彼女を発見した。俺たちは幼馴染だから、頭の中でまずはこう切り出してそこから話を展開させて、っと、その前に身なりを整えて、なんて考えず、何の躊躇いもなく彼女の元へ駆け寄った。


おいっす


ういうい


ん?もしかしてお前、講義中寝てた?


え?なんで分かったの?


よだれ跡ついてる。


スマホのカメラモードを鏡のようにして使う彼女は、あ、ほんとじゃん。とハンカチを取り出して口元を拭う。恥ずかしがる様子はない。それはそうだ、俺たちは幼馴染で、俺は彼女の腑抜けた姿を何度も見てきたから。親ぐるみの付き合いだったのもあり、幼い頃は起きたら顔中が彼女のよだれまみれなんてこともあった。彼女の身体つきが女性らしくなってきてからその機会は無くなった。


そろそろ試験だけど、そんな様子で大丈夫なん?


まぁー、なんとかなるんじゃない?最悪、君がいるし


試験期間になると、決まって彼女は俺を頼ってくる。俺が受講していない講義でも助けを求めてくるから、レジュメを参考に俺にとって無意味な勉強もしたりする。その逆もまた然りだが。俺たちは幼馴染だから、どう説明すれば相手が効率よく理解できるかなんて熟知している。


ふと、彼女のスマホが鳴った。ごめん、カレからだわ、と彼女が俺から距離を取り、先ほどまでの気だるげな眠気まじりの彼女でなく、1オクターブほど高い声色で通話をしていた。


俺はそれを黙ってみていた。別にどうって事ないと自分に言い聞かせ、黙ってみているしかなかった。誰にでも表の顔と裏の顔、取り繕った自分とありのままの自分というものがあり、それらを相手によって、状況によって使い分けている。


裏の顔、ありのままの彼女を知っている俺は、彼女にとって1番の存在と言えるのだろうか。気を遣わないでいい人、という評価は、手放しに喜んでいいものなのだろうか。


カレの部屋に呼ばれちゃった、と嬉しそうに、心底嬉しそうに彼女が言い、俺にスマホを持たせ、先程のように鏡代わりにして前髪を整える。


ひょいひょいとスマホを動かすと、やーめーろーよーとおちゃらけたように笑う彼女。しばらく続けていたけど、今までの経験からこれ以上続けると本気で怒られるから、俺は彼女が準備を終わるまでじっと待ってやった。


なんか、どうでもいいけど


なになに?


あんまお前と喋らん方がいいかも分からんな


は?どうして?


いや…男と喋ったら、その…


今更何気にしてんの。んな束縛するような人じゃないし。君が幼馴染ってことはカレも知ってるし。


君だけは特別だからねー、と鼻歌を交えて続ける彼女に、俺は反応に困って取ってつけた笑顔を見せた。


幼馴染ならセーフなのだろうか。なぜ?気は合うけど、気があることは決して無いから?幼馴染で、相手の良いところ嫌なところを全て知っているからこそ、そういう目で見られない、恋愛の対象にはなり得ないから?


きっとカレは、俺よりも彼女の事を知らない。それはそうだ、大学で出会ったカレと俺では、彼女と一緒に過ごした歴が違う。けれど、カレは俺の知らない彼女を知っている。俺がずっとずっと、知りたいと思っていた彼女を。


きっと俺は、カレよりも彼女の「表情」を知っている。


大きな大きなあくびをしながら、ふにゃふにゃと会話する彼女


ファミレスのドリンクバーで色々なドリンクを混ぜ、ストローを咥えて息を吹き込みぶくぶくと泡を作って楽しむ彼女


コメディー映画を観ながらげらげらと大笑いをし、勢い余って俺の肩を乱暴に叩き、スルメとチータラ、ポテチを一度に頬張り酒で流し込む彼女


どれもこれも、きっと俺にしか見せない、俺だからこそ見せてくれる表情。


けれど、カレは俺よりも、深い彼女の「表情」を知っている。俺には決して見せることのない、その表情を。


彼女はどうやって手を繋いでくるのか、手を絡めてくるのか。その時、どんな風に俺を見上げてくるのだろう


どんな表情でキスをするのか。唇と唇を離したあと、蕩けた表情で、彼女は何と言うのだろう


どんな嬌声を上げるのか。腹にある幼い頃の火傷の痕を優しく撫でてやると、彼女はどんな反応をするのだろう


俺が知る由もない。


彼女が俺のように、俺に対して下心を抱いている考えるはずもない。俺は彼女の幼馴染でしかないから。それ以下でも、それ以上でもない。


別に、彼女を性的な目でしか見ていないというわけではない。俺の知らない彼女というのが、唯一そういうものだというだけで。彼女とそういう愛のある行為をしたいと思っていて、彼女が他人とそういう行為をしているのを見たくない、知りたくない。この感情はなんなのか。分かってしまう前に、思考を強制的に中断させる。そうした方が良いと思ったから。


幼馴染という関係を貫いてきた結果、俺は俺の感情を押し殺すしかない。胸の奥にしまって、喉元まで出かかっても飲み込んで、気づかないフリをする。それを言ってしまっては、俺の本音を受けた彼女がどう返そうと、幼馴染という、俺と彼女の間で最上位の関係ではいられなくなってしまう。


彼女はこの関係でいいと、この関係がいいと感じているんだと思う。その先は望んでいない。その先の可能性を、頭の片隅に置いておくこともない。幼馴染だから、分かってしまう。


どうどう?可愛い彼女に化けれてる?


その問いに答えてしまうと、彼女は踵を返して俺の前から去ってしまう。だから俺は黙った。可愛いな、とは思いつつ、それを口には出さなかった。


ちょーい、無視すんなってのー


沈黙が続くと、彼女が眉尻を下げて笑い俺にデコピンをかましてきた。そのまま、それじゃ、またご飯でも行こうねと手を振り、俺から一歩、また一歩と遠ざかっていく。


俺は彼女が見えなくなるまで手を振った。彼女が振り返って、いつまでやってんだよ馬鹿、と手をメガホンのような形にしてツッコんできて、それを何度も繰り返してくれるんじゃないかって思って。


彼女が振り返ることはなかった。幼馴染である彼女が、幼馴染である俺に気を遣う義理なんてないのだから。今の彼女には、俺より優先すべき人がいるのだから。俺は意味もなく上げられた手を、何ともないように後頭部へと持っていき、機械的に髪を引っ掻いた。


きっといつまでたっても俺たちは幼馴染のままだ。互いに気兼ねなく接し、頼り頼られ、ふとした瞬間にどっか行こうぜと誘われ、満足したらホテル街に目もくれずまた明日なと手を振り別れる。それが良いことなのか、悪いことなのか。きっと彼女は前者だと答えるだろう。では俺はなんと答える?






俺は幼馴染という言葉に囚われている。

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