お題:私だけのヒーロー

第8回目 青と赤の瞳が映すものは

 私の育て親は、かつて私にこう告げた。



 ――**、お前のその瞳に映る世界は、一体どんな色をしているのかしら?






「エイド~、はいあーん♪」


 猫耳の少女が手に持った肉の刺さった串を、笑いながら彼に捧げる。


「エイド! 男なら沢山食え! そんなヒョロヒョロで敵に勝てると思うなよ!」


 猫耳の少女に先を越された少女もまた、妬心を滲ませて皿に取り分けた食事を彼へと突き出す。


「エイドさま、お水をどうぞ」


 彼を挟んで火花を散らす少女たちに苦笑し、彼女たちよりも年上の女性が気遣うようにして彼へと飲み物を手渡す。


「……あー、そんな一遍いっぺんに渡されてもだなぁ」


 彼は自らに集う女たちに困惑の表情を作り、その視線が困ったように私へと向けられる。

 私は毎度の如く展開される光景を遠く見つめ、そして私に助けを求めてくる彼へと、柔らかに微笑んだ。





 私の育て親は、かつて私にこう告げた。



 ――**、お前は決して赤く染まってはいけないよ





 私の育て親は所以ゆえん、“魔女”と人々から呼ばれる存在だった。人と違った力を持っていた育て親。


 その身にまとっている、元はなめらかで美しかっただろうインディゴブルーの衣は陽に焼けせ、その苦労を表すように所々をほつれさせ、虫に食われて穴まで空いていた。

 いつの間にか彼女の生活の一部に組み込まれていた私は、彼女が就寝している隙にその衣を覚束おぼつかない小さな手で、一生懸命に修復した。



 ――ありがとう、**



 起床し、それを見つけた育て親がとても嬉しそうな顔で、私の真白な髪を優しく撫でてくれた手の温かさと柔らかさは、今でもよく覚えている。





 森の奥深くで、育て親と私は暮らしていた。

 私はいつ、育て親とここで暮らし始めたのかを覚えていない。私がはっきりと“私”という存在を自覚して、そこで初めて育て親の存在を認識した。


 他に人という存在が立ち入ることのないあそこは、とても静かな場所だった。時折獣たちの声が聞こえていたが、育て親と私の空間に姿を現すことはなかった。


 日々を暮らしていく中、二人でしていたことと言えば、自給自足生活。


 育て親と私のみの生活なので、食糧も畑で採れるもので事足りたし、一緒に川へと釣りをしに行って魚も得ていた。


 育て親は魔女なのに、とても不器用な手をしていた。

 衣を破け解れさせたままだったのも、自分ではつくろえないからと放置していた結果だ。釣りもほぼ私の釣果ちょうかだった。


 けれど植物を育てることに関しては、器用だった。器用という言い方はおかしいか。得意、に言い変えよう。


 育て親が種をき、声を掛けてその手で触れれば、あっという間に植物は大きく瑞々みずみずしく育った。


 それは野菜だけはなく、薬草や花。

 季節など、育て親にとっては関係なかった。


 自分で育てればあっという間なのに、育て親は私にも自分の畑を作らせて育てさせた。どうしてなのかと育て親に首を傾げて問えば、彼女は穏やかに笑って。



 ――植物も命ある生き物だから。**も自分の手で育ててみて、共にある楽しさや嬉しさを知ってほしいのよ



 楽しさや嬉しさ、というものは何なのか。


 育て親は一つの種を私へと渡し、そして私はその何かの植物を育てることになったのだ。毎日様子を見て、水をやり、肥料をやる。


 ……そうか、これは育て親が私にしていることと同じだ。私とともに居て、食事をして、育てている。


 ならば私はこの植物にとっての育て親。彼女が私にそうしているように、私もそうしてみよう。


 その時間の中で、ある日芽を出した時の驚き、どんな風に成長するのかという関心、虫に葉が食われた時の衝撃、大雨に晒された時の焦燥。様々な感情が私を構成していった。


 そうしてその植物が――花が咲き誇って、無事にここまで成長してくれた嬉しさと喜びが私の中に在る何かを満たす。


 過程を思えば大変だった。

 けれど、それは私にとって大切で、かけがえのない時間だった。


 満開の青い花を見つめている私の横に、育て親が立っていた。彼女は私の頭に手で触れて、優しく。とても優しく撫でてくれた。


 嬉しい。温かい。――幸せ。



 ああ、私は愛されている。


 私は、愛している。



 その時に、育て親は私にあの言葉を告げたのだ。



 ――**、お前は決して赤く染まってはいけないよ



 顔を見合わせた育て親の瞳の中で、青と赤の双眸が嬉しそうに少女を見返していた。





 後から知った。

 その花は、土壌の性質で色を変えるのだと。


 育て親はどうして私に、“青”であることを求めたのか。





 緑に満ちた場所が、赤と橙に侵食される。

 土を荒く踏み締める音が聞こえる。何かを喚く雑音が近づいてくる。


 どうしてあの日、私だけが釣りに出掛けたのか。

 育て親はいつも釣れなくても、私と一緒に手を繋いで川へ向かっていた。それなのにあの日は、私だけ。


 竿を捨てた。

 靴が脱げたのも構わずに家へと走った。


 落ちた枝が足裏を傷つけ葉が頬を掠めて血が浮かぼうとも、走って、走って、走り続けた。


 焔が立ち昇っている。

 育て親の畑がグチャグチャになっている。私の青い花も散らされた。


 固い鎧に身を包んだ何かが、私の育て親を地へと這いつくばらせている。鈍く、赤い光を反射した何かが私の視界に映る。


 アイツらが何をしようとしているのか、教えられずとも理解した。


 踏み出そうとした。あそこへ行かなければと。

 足を、踏み出したのに。


 つるが。蔓が私の足に絡んで、行けなくさせた。


 育て親が私を見ている。

 穏やかな微笑みを浮かべて、愛を湛えた瞳で。


 動けなくさせて倒れ伏した私を、青と赤の瞳を見つめて。



 ――**、お前のその瞳に映る世界は、一体どんな色をしているのかしら?



 ゴトリと、転がった。





 そこから先のことは、断片的にしか覚えていない。ただ記憶を拾えば、一面の赤と、胸を貫いた激痛があっただけだった。


 それからは、色を失くした。


 何を、何処を見ても暗く、冷たい焔が永遠と私の身を焼いていた。閉ざされたこの世界には、ただ私だけが居た。


 永き時をまどろんで、もう育て親の顔も思い出せない。ずっと、ずっと果ての無い地平を彷徨さまよい続けるのだと、そう思っていた。



『お目覚めの時間だよ、お嬢さん』



 光が灯った。


 閉じた両の瞳を開いて映った私の世界に、穏やかに笑う彼がいた。そして何も言葉を発しない私の頭に手を置いて、優しく、優しく撫でてくる。



 ――ありがとう、**



 青と赤の瞳から、温かな雫が溢れた。





「エイド~、はいあーん♪」


 そんなに身体を密着させなくても、串くらい渡せるでしょう? シーフ。


「エイド! 男なら沢山食え! そんなヒョロヒョロで敵に勝てると思うなよ!」


 動きやすさ重視と言うけれど、見るに堪えない程肌を露出しているのは、死に急いでいるとしか思えないわ? 女戦士。


「エイドさま、どうぞお水を」


 清純でしとやかな女を演出するのなら、お水を渡すのに彼の手を引いて膨らみに触れさせるのはどうなのかしら? 聖女。


「……あー、そんな一遍に渡されてもだなぁ」


 彼は困惑の表情をしても、その手を振りほどかない。彼女たちから離れようともしない。


 何故そんな視線を私に向けてくるの?

 どうして私がその輪に入らないのか不思議なの?


 私は毎度の如く展開される光景を遠く見つめ、そして私に助け同調を求めてくる彼へと、柔らかに微笑んだ。




 私の頭に触れた手は、そんな硬い皮膚ではなかった。


 私の名を呼ぶのは、そんな低い声ではなかった。


 私を見つめるその瞳に、そんな下卑た色などなかった。



 ――――お前は、私の愛する彼女じゃない





 青と赤の瞳から、温かな雫が溢れた。


 目覚めた瞳に映るのは、彼女の穏やかな優しい顔であって欲しかった。

 二人で暮らしていたあの時のように、『おはよう、**』って言って欲しかった。あんな見知らぬ男などではなく。



 ――**、お前のその瞳に映る世界は、一体どんな色をしているのかしら?



 答えましょうか?


 貴女の居ないこの世界に、私の瞳に映る世界なんて、絶望しかないのよ? 私の瞳には、あの日の赤しか残っていない。他の色なんて何もない。


 土壌の性質で色を変える花。

 私が彼女から受け取り、育てた唯一の花。



 ――**、お前は決して赤く染まってはいけないよ



 私が青く育つことができる土壌は、貴女だけ。

 貴女という土壌を失った私は、もう永遠に青い花を咲かせることはない。


 貴女だけが私を愛し、私を包み込むことのできる救世主だったのに。


 愚かな人間どもが私の唯一を奪ったばかりに、私を目覚めさせたばかりに、この世はいつか終わりを告げる。



 真白な髪に青と赤の瞳を持つ少女は、その育つ土壌の性質で色を変える。それは青か、赤か。


 ああ、彼女の私を呼ぶ声が聞こえる。



 ――**



 ――シア



 ――オルタンシア





 かつて濡れ衣を着せられて国を追われた緑の魔女は、森の奥深くに群生ぐんせいしていた花の中で眠る白髪の少女を見つけた。


 青と赤が混じるその花に包まれて眠っていた少女の瞳が開き、緑の魔女を映す。その双眸は、少女を包んでいた花と同じ色をしていた。


 緑の魔女は少女を知っていた。

 いや、正しくは聞いていた。



 少女が愛を知れば、世界に救いを。

 少女が憎悪を知れば、世界に滅びを。



 そして緑の魔女は少女を慈しみ、愛した。


 多くの悪意をぶつけられた彼女は、それがどんなに辛く、悲しいことかを知ったから。少女にそれを知ってほしくはなかったから。


 愛だけを知っていればいい。

 その双眸に映すのは、だけで良い――……。



 ――神々からこの世に遣わされた、私の愛しい真白な髪無の天秤救済破滅の瞳を持つオルタンシア裁定者




 ……さぁ。いつ、滅びの呪文を唱えましょうか?


 愚かなエイド人間ども

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