お題:88歳
第5回目 拝啓、貴方さまへ
懐かしい夢をみました。
とても、とても小さな頃のことだったと思います。
『いったぁーい!』
突然頭に感じた衝撃に、痛みよりも驚いて反射的に口から飛び出した叫びに、後ろで私の髪を引っ張っていた貴方はとても驚いた顔をしていました。
ふふ、分かっています。
貴方に悪気なんてなかったんですよね?
私の叫びを聞いてやってきた先生に、『うまのしっぽみたいにゆれて、きになったからっ!』って言い訳していたの、ちゃんと聞こえていましたから。
でもね、あの時は本当にショックだったんですよ?
髪の毛が馬の尻尾みたいって言われて。
だってお母さんがいつもと違う髪型にしようねって言って、私のお気に入りのヘアゴムでポニーテールにしてくれて、とっても嬉しくて上機嫌だったんです。
可愛くしてもらった髪型に、馬の尻尾だなんて。
先生は引っ張られて痛かったからと思っていたようでしたが、私が泣いたのは貴方の言葉のせいです。それはまぁ、いま思えば、ポニーテールは確かに馬の尻尾ですが。
それに、それより以前の私の貴方への印象というのは、お山のガキ大将そのままでした。男の子を引きつれて、ジャングルジムでふん反り返る。高い椅子と低い椅子がありましたが、いつも高い椅子を独占する。
本当に動物園で見る、お山のサル大将そのままでした。
あれですね、バカと煙は高いところが好きっていう……あら、ごめんなさい。つい。
ですから私、最初から貴方にはあまり良い印象を持っていなかったのです。
そしてあの日私の髪を馬の尻尾とのたまいやがってくれまして、貴方の印象なんてクソ最悪でしたよ。ふふっ。
……幼稚園の頃のことを夢にみたからでしょうか?
何だか振り返りたくなってきましたよ。一つずつ、思い出してみましょうか。
そうですね。同じ地区に住んでいましたから、小学校も同じ学校でした。
どうしてなのか同じクラスにもなって、私はとてもショックでしたね。五十音順の関係で私の後ろに貴方がいること、とても気が気じゃありませんでした。
馬の尻尾と言われて以来ずっと三つ編みでいましたが、また引っ張られたらどうしようって。
私、根に持つタイプですから。
『なぁ』
『きゅうしょく、おいしいね! アキちゃん!』
『むしすんな』
私、根に持つタイプですから。
貴方は何故か毎日毎日私に話し掛けてきて、
アキちゃんも困らせてしまって、彼女には本当に申し訳なかったですね。
『教科書忘れた。見して』
『反対側のお隣の高橋くんのを見せてもらって下さい』
『何で』
『……むしろどうして私なんですか。同じ男子の方が頼みやすくないですか?』
『男女差別はいけねーんだぞ』
お山のサル大将にそんな注意をされて、あの時私はとても驚きました。
貴方だから嫌なのに。他の子に頼まれたのだったら私も
そこまで空気が読めないおバカだったのかと、私はとても驚いたのです。けれど一瞬後、私は納得せざるを得なくなりました。
そうです。貴方は二日に一日は教科書を忘れてくる程のおバカだったのを、思い出しましたので。
中学生の頃はどうでしたかね?
同じ地区に住んでいましたから、中学校も同じ学校でした。小学校では何の嫌がらせかずっと同じクラスでしたので、中学校ではやっとクラスが離れて
『なぁ教科書忘れた。貸して』
『……隣の子に見せてもらって下さい』
『何で』
『貴方ずっと同じクラスの私に見せてと言っていたでしょう。むしろどうして別クラスの私の教科書を借りに来るのか、とても不思議なんですが』
『同じ時間に同じ授業じゃないから、別に良いじゃねーか』
本気で一度おばさんに連絡しようと思いましたね。
私のお母さんと貴方のお母さんは
というかお山のサル大将、離れているクラスの私にもその大将振りがよく聞こえてくる程でしたが、教科書を見せてもらえるようなお友達はいなかったのでしょうか……。
『何だよアイツ』
『? 何って何ですか』
『ずうぅっっと一緒にいたじゃん。お前もヘラヘラ笑ってんじゃねーよ』
あの時の貴方は、どんな思いであの言葉を口にしたのでしょうか。私はね、こう思っていましたよ。
お前が言うことじゃないな、と。
佐伯くんは私と同じもう一人の学級委員です。
先生から頼まれた資料
放課後に私と佐伯くんが向き合ってホッチキスでカチカチしているその真横で、手伝う訳でもなくずっと佐伯くんを熱い視線で見つめていた、貴方に言われたくはなかったです。
私から言わせてもらうと、お前が何だよです。
一体何しに来ていたのでしょうか。
だから多分、この時からだったのではないでしょうか?
嫌いでおバカなお山のサル大将から、意味不明でおバカなお山のサル大将へと、私の貴方への印象が変わったのは。
意味不明でおバカな貴方でしたが、おバカという認識を改めなければならなくなりました。
どうして毎度毎度教科書を忘れてくるようなおバカな貴方が、偏差値の高い進学校である高校に受かっているのでしょう?
本当に不思議でなりませんでした。
『よっ! また同じクラスだな』
教室に入ってバチッと視線が合い、笑ってそう声を掛けてきたことに
同じクラスどころか、同じ学校を受験していたこともその時初めて知ったのです。腐れ縁にも程がありすぎましたね。
そして親鳥の後を追う
おバカじゃなくなった貴方はただの意味不明なお山のサル大将でしたが、良い言葉で言い換えれば、リーダーシップがある人気者になります。
私は貴方に対してずっとマイナスな印象を持ち続けていましたので、女子が貴方の顔が格好良い!と言っているのを耳にして、コイツの顔格好良かったのかと初めて知りました。
何だか高校では初めて知ることばかりでしたね。
『なぁ、駅前のクレープ食べに行こうぜ』
『何で誘うのが私なんですか。お友達と一緒に行って下さい』
『お前も俺のと、ととと……友達だろ! まだな!』
何ですかまだって。
そう聞けば貴方は顔を真っ赤にして、強引に私の手を引っ張って駅前まで連れて行きました。
まぁクレープは好きだったので
『イチゴブラウニーとブルーベリーレアチーズ、一つずつ』
私が注文する前に店員さんにそう注文した貴方を、私がどんな気持ちで見ていたか知っていますか?
食べ物の好みも一緒とか、どんだけ腐れているんだと。
『お前と俺の。どっちもお前の好きな奴だから、半分こしたらいいじゃん』
照れ臭そうにそう言って、プイッと余所へ顔を逸らしていましたね。だから気づかなかったでしょう?
私の顔が、薄ら染まっていたことに。
『もうさ、良いじゃん。生まれてからずっと一緒にいるんだし、後の人生も一緒にいようぜ』
生まれてからではありません。
貴方とは幼稚園からです。
腐れたご縁は大学に進学しても相変わらず、構内のカフェテラスで何故か一緒にお昼を摂っている時に、そんなことを言い出してきた貴方。私は思いました。
好きだとか付き合ってとか交際すっ飛ばして、何プロポーズかましてんだ、と。
もうその頃にはさすがに私も察しましたよ。
小学校の頃に毎日毎日話し掛けてきたのも、教科書を毎度忘れてきたのも。
中学校の頃も毎度教科書を忘れて、わざわざ違うクラスの私に借りに来たのも。
同じ高校を受験して、女子から告白されても断って、ずっと私の傍を付いて回っていたのも。好きなものを、知ってくれていたのも。
いつ
ただ、まぁ。
意味不明なお山のサル大将から、私限定で不器用なサル大将、とは変わりましたが。
『私も、貴方がこれから先の私の人生にいないとは、考えられませんから。幼稚園の時みたいに髪を引っ張って泣かせるのではなく、ちゃんと幸せにして下さいよ』
どんだけ前のこと言ってんだ、と。
けれどそんな私の返事に貴方は、とても。
とても、嬉しくて堪らないという顔で、笑っていました。
私、根に持つタイプですから。
ああ、いやですね。
本当に、本当にふざけないで下さいよ。
約束したじゃないですか、これからの人生も、ずっと一緒だって。
自分の身体のことなのに分からなかったんですか。
やっぱり貴方はおバカです。どうしようもないおバカです。
どうしていつも私が幸せな時に泣かせるんですか。
何ですか、
ふざけないで下さい。
貴方が私を幸せにしてくれるんでしょう。なに他人に任せようとしているんですか。
いやです。
いやだ。
置いていかないで。
ふざけないで下さい。
なにそんなところで笑っているんですか。
皆、泣いているのに。
貴方だけですよ笑っているの。
バカ。バカ! バカ!!
……私は貴方と違って、薄情な人間です。
結婚しましたよ、貴方じゃない人と。お見合い結婚でしたが、とても優しくて良い人です。
ふふっ、幸せですよ。子どもにも三人恵まれて、孫までいるんですから。
ちゃんと、幸せに、なりましたよ。
昨日はね、私の米寿の祝い日だったんですよ。
八十八歳になりました。すごいでしょう?
子どもや孫に囲まれて、黄色いちゃんちゃんこ着て、賑やかに食事をして。
そんな温かい気持ちでリラックスして就寝したのに、何でそんな幸せな日の終わりに、貴方の夢なんてみるんでしょうか。
いつもいつも。貴方は私を、泣かせてばかり。
まだ、いきませんよ。
私、根に持つタイプですから。
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