お題:第六感
第3回目 リバース・スピーチ
人間の一度に映る視界の範囲は、百八十度から動かせない。
そこから先を望むには、“振り返る”という動作が必要である。なぜ“振り返る”という動作が必要なのか。
何となく? 未知への興味? 見えない不安?
ギリシャ神話で知られているように、決して振り返ってはならぬと教えられていたのに、オルフェウスは冥界からあと少しで出られるところだったのを振り返ってしまった。
最愛の妻であるエウリュディケーを失ってしまうと、解っていた筈なのに。
失いたくなければ、振り向かなければ良かったのに。
どうして見なくても良かった後ろを見てしまうのか。
そうした答えのない堂々巡りの問い掛けは、ふとした日常の中で、突然突きつけられるものである――……。
春はポカポカと暖かく、新しく始まることに期待が高まる。
夏は日差しが容赦なく降り注ぎ、茹だるような暑さに夜も辛い。
冬は澄んだ空気が冷たさを纏い、紺色の
秋の印象は、寂しさを奏でる音色。
そして夏の木の葉が深緑から
高校二年生の時から十月の夕暮れ時の記憶は俺にとって、指に埋まってしまったすいばりの棘みたいなものとなってしまった。
前方から軽快な歌声を響かせながら、俺の横を三人のランドセルを背負った子どもが元気よく駆け抜けて行く。
楽しげな様子に子どもは元気だなぁと思いながら、転んでしまわないかと何気なくその姿を目で追えばそんな心配は杞憂だったようで、あっという間に見えなくなった。
「あー……。そういや俺らの今頃って運動会の時期だったけど、今の時代って五月が主流なんだっけ? 変わったよなぁ」
隣を歩く友人が、子どもが歌っていた歌にそんなことを思っていたらしく、唐突に話し掛けてきた。
俺もそれはちょっと感じたので、シンパシー合うなと苦笑する。
「夏は年々暑くなって、残暑も酷いだろ? そんな時期と重なって熱中症になる不安を減らすために、大半は五月になったんだと」
「へぇー。そうなんだ」
何となく遠足の帰りや、運動会が終わった帰り道とかで歌いたくなる歌。
自分にとっては一体何年前の話になるやら。
大学の講義を受けた後の帰り道。
同じ時間にすれ違う小学生、暮れる空の
と、木枯らしが吹いて髪が
「さむっ!」
「時期的にマフラーも早いし、コートって言ってもすぐ冬になるし」
「何だろうな。子どもの頃ってちょっとした寒さも平気なのに、大人になるにつれて耐えられなくなってくるの」
「それだけ昔と変わったってことじゃん? 便利になるにつれてさ、気温の変動はするし人間は弱くなるし」
首を傾げて友人を見る。
「弱くなるって?」
「だから今みたいな、ちょっとした寒さも耐えられないってこと。だって昔はエアコンもこたつも、コートだってなかったんだぜ?」
「どの時代と比較してんだよ」
「鎌倉とか平安とか?」
古過ぎだろと突っ込みを入れながら、カァーと再び数羽のカラスがどこかへと飛んでいく。
いつもなら意識しないそれが、いつになく無性に気になることに軽く頭を振る。
そして何故か友人もカラスが気になったようで。
「……そういや、昔と変わらないものもあるよな。秋と言えば何か寂しいって気持ちになるの。かの有名な清少納言さまも言ってたよな。『秋は夕暮れ夕陽の差して山の
同じ講義を受けているので、それが今日の古典文学に出てきた内容だということはすぐに分かった。
何てタイムリーな。要約すると、秋の夕暮れ時にカラスが寝床に帰っていく姿は秋らしいって話だ。
――ああ、いやだ。俺も早く帰ってしまいたい
隣を歩く友人の足がいつもより遅い。
だから並んで歩く俺の足も自然と遅くなる。
――秋の夕暮れは、俺にとって鬼門
早く夜になれ。早く朝になれ。
過ぎるな明るい夏。帳を降ろす冬よ来い。
「さっきのさ」
さっきの。
「小学生が歌っていた歌」
止まるな。止めるな。
「あれさ、どうして『**********』なんだろうな?」
正面は陽が落ちて、後ろから濃紺が迫ってくる。
ポケットの中に入れている手から、汗が滲むのが分かる。
コイツより前を歩くな。どの季節を巡っても、絶対に秋の……十月の夕暮れにコイツの前を歩くな!!
「さあな。知らね」
「何だよー、ちょっとは考えろよ」
考えられるか。
気づかない振りをするのに精一杯だ、こっちは。
秋を飛ばして早く一年が巡れ。
早く卒業して遠くに引っ越せばきっと大丈夫だ。偶然なのか、そうじゃないのか分からない。
コイツと出会って一年はやり過ごせたんだ。なら後の数年くらい……!
「じゃあ途中まで最後の講義の復習しとこうぜ! あともう少しで試験だし、単位落とせないだろ?」
「自分の部屋で集中した方ができるだろ」
会話が破綻しないように努めて返すも、友人はニヤニヤと笑みを浮かべるばかりで、微塵も自身がした提案を止める気配がない。
「いやー、何か懐かしくなっちゃってさ。ほら、しりとりみたいなもんだって。俺が問題出すから、お前は現代語訳にして答えろよ!」
「……分かったよ」
別のことを考えていた方が、あの記憶から離れられる。
そう自分を納得させて仕方がないと受け入れれば、嬉々としながら友人が出題する。
「『あなまさなや、入りたまへ』」
「『あーみっともない。入りなさい』」
「『極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり』」
「えーと……『極楽寺・高良などを拝んで、これだけと理解して帰ってしまった』」
「『足ずりをして泣けどもかひなし』」
「『地団太を踏んで泣くがどうしようもない』」
「『床の絵馬を、立て見もれお』」
「は? 何だそれ? 『床の絵馬を、立って見』」
あ。
違う! 間違えた……!!
いやにカラスが気になったのは、もう俺が既にやってしまっていたからだと、この時になって気づいた。
アイツはそれを言った時点で、足を止めていた。
関係ないことだと思って、俺は足を止めなかった。
意味に気づいて足を止めてしまったことがダメ押しになったと悟り、ブワァッと一気に冷や汗が噴き出てくる。
「*************ー、**********ー」
俺の今までの努力を嘲笑うかのように、後ろから意図的に聞かせてくるメロディーを耳にして。
――あの歌のように『また明日』は無いのだと、理解した。
比較的穏やかな気候の十月に、高校二年生の修学旅行が行われた。
行き先はこの国の首都で、二泊三日の二日目に某遊園地で仲の良いグループと遊び回っていた。近くに宿泊ホテルがあるからと結構遅い時間までの滞在を許可されていて、丁度その時期は十七時にパレードが行われる予定となっていた。
けれど俺は運悪く腹痛を起こし、パレードの始まる数十分の間は友達と別れて、一人園内のトイレの個室に篭っていたのだ。
出すものを出したおかげでスッキリ快調となり、トイレから出たらやはり皆パレードが通るルートの方に集まっているのか、そこから離れているトイレ周辺に人はいない。
これは早く合流しないと、と友達と別れた場所へ急ぐ俺の前方から、人が向かってくるのが自然と視界に入る。
姿を
一人は学生で、一人は幼い子ども。
地元民で兄弟なら、学校帰りに弟を連れて遊びに来たと普通に思うだろう。だけど俺は、学生が着ている制服を見たことがあった。あれは同じ県の私立学校の制服だ。
中学の今も仲の良い友達がそこに通っていて、折しも同じ日程で修学旅行先も一緒だと連絡を取っていた。
じゃあ迷子になっていたのを助けている途中なのか? ……一人で?
そんなことを思いながら俺も協力した方が良いのかと、親切を発揮しようかどうするかと迷っている間にも距離は狭まって、決まらないまますれ違う。
――……*ー。*ー******* *******ー *****ー* ******* **** ******** ** ** **!
どうしてその選曲なのか、子どもが口ずさむ楽しそうなメロディーに釣られてしまったのか、俺は思わず振り返ってしまった。
空は橙から緋へと染色をし始めていて、手を繋いでいる二人の後ろ姿は、正に今から家に帰るかのよう。
悲しいような。寂しいような。
温かさを抱いても良い筈のそれに、何故そんな気持ちになってしまうのか。
こちらへと伸びている濃い影と空とのコントラストを何気なく見つめていたら、遠くでパレードの軽快なメロディーと観客の歓声が届く。
ハッとして慌ててその場から駆け出した俺の頭にはもう、どこか奇妙な二つの存在は掻き消えていた。
「え……」
楽しかった修学旅行を終えて帰宅した翌日、朝から親に見せられた新聞の内容に目をかっぴらいて凝視する。
一面とまではいかないが、掲載されている内容には信じ難いことが記載されていた。
俺が、俺達が遊んだ遊園地で同じ日、殺人事件が発生していた。
被害者は小さな子どもで、刷られた顔写真を見て息を呑まざるを得ず愕然とする。
見た。あの子だ。
トイレからパレードへ向かう途中、すれ違ったあの。
有力な手掛かりなどはなく、園内の監視カメラにもそれらしい姿は映っていなかったらしい。
まさかこんなことになるなんて夢にも思わず、動揺したまま数日を過ごして――――ソイツは、友人と一緒に俺の目の前に現れた。
「あれ? 君、どこかで会ったことあるかな?」
首を傾げて、笑っていない目を見つめて確信した。
――――コイツだ
問:なぜ“振り返る”という動作が必要なのか? どうして見なくても良かった後ろを見てしまうのか?
答え:
振り返ってしまったのは、何かを感じたかr
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