私が書きたかったもの

「……落ち着いた?」

「うん……ありがとう」


 ぎこちない会話が、また幼馴染の部屋の、ベッドの上で再開される。私が其処そこから動かないものだから、彼女も私の隣に、少し距離を取って再び座った。


 私と彼女の、ベッドの上での距離が、そのまま幼馴染の理性をあらわしている。彼女は私のよわみにみたくないのだ。今の時刻は午後九時過ぎで、人にっては就寝しゅうしんを考え始める時間帯だった。これまでも私が、この部屋に泊まった事はあって、その時には何の問題も躊躇ためらいも無く友人同士として私達は一緒に眠ってきた。


 今夜は違う。少なくとも私は、幼馴染を求めている。友人同士という、これまでの関係では手が届かなかった範囲まで、私は彼女に触れてきてほしい。今の私は内面ないめんにも、外面がいめんにも、幼馴染に寄るケアが必要だった。心の繊細せんさいな部分を指で、でてほしい。こんな事は彼女にしか頼めないし頼まない。私は、彼女がいい。


 私のおもいを知ってか知らずか、幼馴染がくちを開く。私を傷つけない話題を探す表情で。


「……小説の話をしようか。今も書いてるのよね? どんな感じ?」

「……知ってのとおりだよ。最近は百合ゆりの短編を一か月に一つのペースで投稿してる」


 ネットで小説を発表できるサイトがあって、最近の私は、一万字程度ていどの作品を書いては発表していた。一万字というのは短編なのだろうか? もう少し短い方が読まれやすいかも知れない。来年は私も高校三年生だから、受験勉強がある。だからと言って投稿はめたくないから、われながらこまったものだった。


「今年、長編を書き上げたよね。十三万字くらいの、猫が主人公の話。次の長編は書かないの?」

「書きたいとは思うけど……テーマがむずかしくて。ドストエフスキーをあつかいたいんだけど」


 私の幼馴染は、あまり本を読まない。それなのに私が書く小説は、いつも読んでくれて手放てばなしでめてくれる。彼女は私を愛していて、だから私の作品をも愛しているのだと思う。


「ドストエフスキーもトルストイも、夏目漱石も私は知らないけどさ。でも貴女あなたが書く小説は好き。今年の四月に書き上げた長編は、夏目漱石をあつかってたね」


 幼馴染が言う通りで、私が書いた、猫が主人公の長編は夏目漱石の作品をテーマにしていた。そもそも私が長編を書こうと思ったのは、飼っていた猫の容態ようだいが、今年になってからおもわしくなくなったからだった。『私の猫が生きている内に、この長編を完成させたい』。そういうおもいを私は持つようになって、今年の一月から資料をあつはじめた。


 その翌月である、二月二十四日、ロシアに寄るウクライナ侵攻が始まって。私が長編の投稿を開始したのは四日後の二月末日だった。この侵攻は、私の長編の内容を決定づける事となる。


 乱暴な表現を使わせてもらえば、私はブチ切れたのだ。こんな事が許されてなるものか。夏目漱石が生きていれば必ず、この事態を非難したはずだ。だから私は猫の話を書いた。何の罪も無い、無名むめいの猫が、現代の悪と対峙たいじする物語を。


 ……まあ、そんな場面は、あくまでも終盤だ。それも、ほんの一瞬いっしゅん。時間を超越ちょうえつした空間の中での、一秒らずの猫に寄るスピーチ。それが私に出来できる、独裁者へのささやかな意見表明だった。


「……次の長編を書くとして、ドストエフスキーをテーマにするとね。現代のロシアをどうしてもあつかう事になるの。そうすると、色々と面倒な事になるかも知れなくて」


 言論の自由というけれど、それは決して命を保証してくれない。安倍元首相が暗殺される時代だ。何が起きても、おかしくはないと私は思う。幼馴染は、心配そうに私を見つめていた。

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