第6話 "愚者" -後編

 恐る恐る、暴れ牛の濁流にのまれた岩の影からひょこりと顔を出し、辺りを見渡す。

「大丈夫そう、かな。急いで通路に駆け込んでしまおう。」

 大量の蹄の跡ひづめのあとの上を極力足音を忍ばせ、通路へ駆け込む。松明に照らされたそこははるか先まで続く長い通路だった。

「見える限りの先まで牛の姿は見えませんね」

 いたづらにとどまって、また牛の群れを誘発してもいけないと、ティアの先導に従い、一時は狂乱する牛がすし詰めになっていたであろう通路を進む。

 幸い通路にはアル=ミラージのものと思しき魂石が点々と落ちている以外、何も残されておらず、それらをつい拾いながら突き当りまで進む。あれだけの牛に踏みつぶされたであろうに、不思議と砕けた魂石は見当たらず、拾えるものは全て綺麗な形をしている。

 突き当りは松明の数が増え、通路いっぱいの大扉のレリーフが煌々と照らしだされている。

 デフォルメされた図案を見ていくと、


 鋭角な角が頭頂部側面から生え、全身をうろこで覆い、凶悪なかぎづめを持つ手足のついた蛇。

 否、これは竜か。

 竜に食われる牡牛。

 角の生えたうさぎ。


「なんとなく仕掛けがわかった気がする……。ミキさんが言っていた、空想や伝承にのっとったギミックにより攻略が簡単になるというパターンみたいだね。」

 イスカンダル王の竜退治の伝承になぞらえたダンジョンであるようだと、刻まれた記憶から伝承知識を掘り起こす

 あの沼の泥はやはり毒なのだろう。それを牛に盛り、この先に待つであろう竜に供物として食べさせる。

 そして竜が毒にかかったところを、愚者の剣でずぶりという寸法か。


「もしそれが正解だとして、あの大量の牛にどうやって毒を盛るの?暴走牛の群れを引き連れて毒沼の部屋に連れて行って戻ってくるなんて、私たちには無理よ?」

「あのカードでございますね?」

「うん、たぶんそうかな?例えば毒沼の部屋で牛をカードから呼び出す。毒にかかったところをカードに戻せるなら、そのカードをもってここまでくる。そんなところじゃないかな。」

「なるほど、理にかなっているかもしれないわね。でも、それなら扉の上の方の文字の意味は何かしら」

 そこにはこう、刻まれていた。


 “汝ら夢を紡ぎ、追い求む、者共ものどもよ”

 “賢しらさかしらな凡夫たるが是なりや”

 “愚なる駒出づるもまた是なりと、誇り給え”

 “されどゆめ心せよ、転ずれば匹夫の勇とならん”


 しばし考え込むも、わからないと結論付け、予想通り中に龍がいるのか確認することにする。


 紗雪は左腕に抱いたまま、そーっと両開きの扉の片方に右手をかける。

 辛うじて中が見えるか見えないかという隙間を開け、のぞき込む。

 案の定、広大な空間の奥には青々と艶光るうろこを生やした龍の姿。

 部屋のそこかしこには、食い散らかされた牛の死骸が散乱している。

 牛の暴走はもしやこの扉をこじ開け、中まで突入していたのだろうか。そう思い、足元を見ると、大量の蹄の跡が扉の前後に確かに途切れることなく続いていた。


 慎重にしかし迅速に、毒沼まで戻った一行。

 元巨大牛を手に入れたカードから呼び出すと、たけり狂う牡牛は紫の毒沼に足を取られ、もがく。

 一抹の憐れみと申し訳なさを感じつつも、これも必要なことと割り切り待つこと少し、再度カードに戻るよう念じると、名称が”毒に侵された牡牛”と、確かに変化していた。


「いよいよ、ですね。」

 改めて戻ってきた大扉の前。円盾の握りを確かめ、戦意を高めるティア。

「行くよ」

 ぐっと力を込めると、音もなく開く龍の住処へ通じる扉。

 愚かなエサがやってきたかと、ゆっくりと首をもたげる竜。

「供物を持ってきたぞ、さあ、受け取るがいい!」

 カードを前方空間に投げ出し、毒を含んだ牡牛を具現化

 “BMoooOOO”

 と、弱りながらも、むしろ今際いまわのきわの命を燃やし尽くさんとばかりに、凶暴性を増し、竜の間を爆走し始める。

 その時に備え、さびた剣を具現化し、紗雪を抱える左腕の先、手に逆手に提げ。鉄の短剣を右手に構え腰を落とすナオ。

 雄叫びを上げ走り回る牡牛を、鬱陶し気に一瞥する竜。が、それ以上の関心は見せず、傍に残っていた、先刻なだれ込んできた牛の群れの残りと思しき死骸を咥え咀嚼そしゃくする。

「オーナー?なんだか嫌な予感がするのだけれど……」

「我が主、どうやら食料は満ち足りていたようであります……」

 龍に相手にされず走り回っていた毒に侵された牡牛が、この苦しさの元凶を見つけたといわんばかりに、進路をこちらに向けなおし、助走をつける

「に、逃げるぞ!」

 身をひるがえし、大扉へ駆け出す。

 出口はすぐそこにある。

 が、1歩を踏み出した矢先、無情にも大扉は音一つ立てず、閉ざされる。

 内側には引くための取手もなく、押しても当然開かない。

 背に迫る牡牛の進路から辛うじて横っ飛びに逃れる。

 ドゴンッ 巨大質量が扉にあたる途方もない音が響く。

 転身する牡牛から逃れるべく部屋の中央へ押し出される。

 後ろからは生暖かい息を漏らす竜がいよいよ立ち上がり、迫りくる。

 ズシンッ 踏み出す竜の一歩が全身を貫く地の揺れを生む。


「転移、早く転移のカードを」

 紗雪の焦る指示に短剣を持つ手の指でカードをつまむが、反応がない。

「だ、ダメだ、反応しない」

 特定の行動を阻害する何かこの部屋なり龍なりにでもあるというのか、わからない。が、手をこまねいている時間もないと切り替える。

「ティア、牡牛を。毒でもう長くないはずだ。抑えるだけでいい。紗雪、呪歌を試してくれ。俺は竜の気を引いてみる」

 紗雪を少しでも遠くにおいて来るべきか悩むが、万が一矛先が向いたとき如何ともしがたいと、そのまま抱えることを選ぶ。

 邪魔になる左手の錆びた剣をカードを戻し、竜の足元へ駆け込む。

「主、また、もう……!」

 より危険な役割を選ぶナオに憤慨しつつも、指示に従い、牡牛の鼻先に丸盾をたたきつけ注意を引くティア。

 通してなるものかと、そのまま部屋の隅へと誘導していく


 蕭々としょうしょうと流れる紗雪の呪歌

 物悲しい旋律に瞬きの間、確かに止まる竜の動き。

 隙を突き、巨大な足先に差し入れるように突き出される短剣。

 だが、所詮は針先にも満たぬ悪あがき。意にも解さぬと再開された歩みに、右半身で腕の中の軽やかな重みをかばい、宙を飛ばされる黒髪の青年。

 圧された右わき腹の鈍痛を無視し、のぞき込むように迫る生臭い鼻先目掛け、青いうろこの壁を駆け上がる。

 わずかな驚きに開かれる黄色い瞳に渾身の力を籠め、短剣を突き立てる。

「これでも、くらえ……!!」

 ぬるりとめり込む感触を錯覚する暇もあればこそ

 カツッ

 現実は非情にも金属質の硬い感触を返し、因果応報とばかりに、暴虐を叩き込まんとした鉄の刃は折れ飛び、青年の右手首には反動による、脳まで走る激痛が駆け抜ける。

 竜の青い、鱗の生える瞼は確かに開かれていた。

 が、瞳を守るように、薄く硬い幕が、確かに今先ほどまでそこに無かったはずなのに、刹那の内に第2のまぶたとしてしっかりと閉じられ、瞳を覆っているではないか。

 武器を失い、痛みにしびれる青年は振り回される頭の勢いに、再び宙を舞う。

 扉上の壁に勢いのままたたきつけられ、跳ね、力なく落下を始める。


 床にたたきつけられる寸前、羽根を顕現し、滑り込んだティアが辛うじて抱き留める。

 安堵の一呼吸も許さず覆いかぶさる巨大な竜の影。止まる呪歌に代わり絹を裂く悲鳴が耳を震わせる。

 朦朧とする頭のままに、自分を抱く甘い香りのする柔らかな天使の感触を突き放す。

 突き飛ばされ転げるティアの真横を通過する鋭い牙の群れ。



 時が、静止した。

 窮地にありながらも能う限りあたうかぎり優しく壁際にもたれかけられた可憐な人形の乙女の視線の先。

 左わき腹を牙先に貫かれ、ぼろ雑巾のように持ち上げられる青年がぷらりと垂れ下がる。

 カランッ と音を立て跳ね上がる折れた短剣の柄。

 また、まただ、オーナーのこんな姿。

 もう、もう、いや

 生命とじゃ認められないと断じられたこの人形の身の奥底から、暗い何かが今にも覗こうとした。

 だが、その寸前、



 “GYAAAAOOOOOOOOooooo”


 血の帯を引く青年を投げ出し、暴虐の限りを尽くさんとした青い化け物が激しく飛び退る。

 両の前足で、突き出した鼻先を必死に抑え、顔を洗う猫もかくやと撫ですさる竜の姿が。


 呆然とする挑戦者たちの眼前。

 左わき腹に布の切れ端を突きこみ流れ出る血を抑える青年の黒い瞳の先。

 カードに戻されていたはずの錆びた剣が、


 否


 いつの間にやら錆は消え去り、美しくも禍々しい、光を吸い込む漆黒のロングソードが宙に浮いていた。

 ぬめる竜の血の垂れる剣身には、輝く金線の装飾が埋め込まれ、血を啜り、眩い輝きを放つ。

 柄頭には愛らしいピンク色と暖かなオレンジ色の交わる、大きく透明度の高い、美しいカットの施されたパパラチアサファイアが、頑丈な先端装飾の内側にはめ込まれている。


『オモシロイ、オモシロイ』

 脳裏におどろおどろしくも惹き付けられる女性の声が響く

『ワレヲ、ニナエ』

 逢い、引かれるように、するりと剣の柄が、伸ばされた青年の右手に納まる


 我に返り、わずかでも傷をいやさんと、慈愛に満ちた聖歌が小さな人形の少女の口から奏でられる。

 今度こそは己が身を盾にと、翼持つ少女が駆け出す。

 その後ろを、追い、駆け出す青年、脳裏に言葉が紡がれる。


『模造の命の代価に、己を捧げた、愚か者』

 主の盾となるべき身を救われた恥を雪がんそそがんと。

 竜の右に回り込み、鱗の隙間に全身の勢いを乗せ、刺突を見舞うプラチナブロンドの閃光。

 救われ、灯った胸のぬくもりは消えない。

『あまつさえ、輝く魂を今わの際に差し出す、愚か者』


 両手に漆黒のローングソードを振りかぶり、渾身の斬撃を袈裟懸けに振り下ろす。

 たかが人の身の力では考えられぬ切断の結果をもたらす斬撃。

 堅牢な鱗ごと頬を裂かれ、痛みの反射に振られた竜頭、むき出しになった血濡れの牙が再び迫る。


『虚構の魂に心を惹かれ、己の糧をも差し出す、愚か者』

 自分よりもこんな命無き人形を優先する不思議な青年。

 剣は牙の威勢をしかと受け、なお折れず、曲がらず、留め、通さぬ。

 だが、かかる負荷は消えず。

 竜の膂力をたかが人の身で耐えきる幻想なぞ、果ての先。剣は折れずとも、代償は砕ける左の軸足、折れ、肉裂き飛び出す腕の骨。

 青年と人形を結ぶ銀のチョーカー、目にも見えぬひびが確かに深まる。

『挙句の果ては、己が虚構の、糧となる』


 歯を食いしばり、まだ動くと、右足に最後の力を籠め宙に躍り出る。

 聖なる歌の慈愛に一時、全ての痛みを忘却の方へ飛ばし、両腕を使い渾身の力で振り下ろすロングソード。

 折れた腕と足まで酷使し、唐竹割りにたたきつけられる渾身の斬撃は静かに、荒れ狂う竜の意識を断ち切った。


 地に切っ先をつけ、右手にぶら下がる漆黒の剣。

 意識を失い崩れ落ちる青年。

 巨体は靄と消え、大きな橙色の魂石を残し、幾枚かのカードが祝福するように宙を舞った。

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