第6話 "愚者" -前編

 胸元に湿り気を感じる。

 すん、すん、とすすり泣く声が聞こえる。

 首筋をさわさわと、くすぐる毛の感触。

 左手に圧迫感、ふにふにと、柔らかくも弾力を伝えてくる感触。


「オーナー、起きてよぅ、目を開いてよぅ」  とん、とん、あばらを優しくたたかれる。

「……」 ぎゅー もにゅもにゅ 左手に幸せな感触がさらに激しく。


 かすむ目を開くと、仰向けに寝かされた胸の上に紗雪がギューッと胸元のシャツを握り絞め、うつぶせに乗っている。

 とんび座り(ぺたん座り)の膝の上にナオの頭を寝かせ、左腕を抱きしめるティアは何故か左手に両手を重ね、涙にぬれた瞳も拭かず、豊かな胸をもみもみと、揉ませている。


「あー、おはよう?」

「め、さめたー、さめたぁーうわぁぁん」

 ますます泣きじゃくり胸元に顔をうずめる紗雪。


「主よ、どうかこの身を捧げさせてくださいませ、お心のおもむくままになさってください」

 開いた黒い眼に、感極まったかのように目を見開き、口づけせんと顔を寄せるティアが大映しに。


「まてまて、まて」

 すっと左腕を夢の感触から抜き取り、落ちないよう両腕で紗雪の背を支え、身を起こす。

「何がどうなってこうなった」


 落ち着くまで15分ほど。ぽつりぽつりと、状況を聞く。


 ティアを救い上げ、落下したナオは角に背中をえぐられ、突進の衝撃にかちあげられた後、地面に落下。

 猛牛の行進は本当に最後の最後だったらしく、運悪くというべきか運良くというべきか、それ以上ひき潰されることはなく、手足をおかしな方向に折り曲げ、関節の数を増やしてはいたものの、地面に倒れ伏した。

 通路に駆け込んだ猛牛の群れがすぐに戻る気配はなく、爆走する音は遠ざかるばかり。

 大慌てで紗雪を抱き上げ、岩から飛び降りたティア。

 2人の前には背骨ごと肺の一部と、腰骨付近の2か所を激しくえぐり取られ、血の海を広げる姿。

 空回りする思考もよそに、引きちぎられたアーミーベストの左胸から除く2枚のカードをつかみ取り、薬品の描かれたカードを具現化。

 今にも命の灯が消え去らんとする姿を前に、桜色の輝きを放つ液体を、香水瓶のような小ぶりのガラス瓶から振りかける。


 すると、まるで時を巻き戻すかのように、即死していないことが不思議な程の損壊が巻き戻り、瞬きの間に、引き裂かれた服の狭間から健康な皮膚がのぞく。

 折れ曲がっていた腕や脚も健やかに戻り、呼吸も安定する。


 奇跡に目を見張るも、いつ牛たちが戻ってくるかも分からない。

 安全な場所へ引き返さねばと辺りを見回すと、砕かれた岩場の付け根に、空洞が顔をのぞかせているのを発見する。

 紗雪を抱えたのと反対の腕で、恐る恐るナオを抱え上げ、空洞へ引きずっていくティア。

 それは地下へ通じる緩やかな傾斜の洞窟の入り口だった。


 そうして地下へ下りた先が、目覚めた空間という事だった。

 猛牛の群れがまだ戻らない事を確認し、散乱していた荷物も運びこまれている。


「何はともあれ、全員無事で本当に良かった。救ってくれて、ありがとう」

「滅相もございません。主様がティアの身代わりになられるなどあってはならぬこと。そもそも、私は仮に一度滅されたとしても、しかるべき時の経過と手段をもってすれば、再び具現化できるのです!それを御身を犠牲にするなど」

 キャラクターカードから具現化される存在は確かに、既定の費用を支払い、位階に応じた時間を待てば復活可能と知ってはいる。

「でもなぁ、痛みは感じるわけだし。そもそもとっさの反応だったわけで。加えて、仮にとっさに動けなかったとしても、ティアの浮遊では岩場からの落下は避けられなかったから、うん。あれが最善だったんだよ!」

「また、そのような……。なればこそ、この身は道具にすぎぬと心の底からご理解いただくためにも、いかようにも心のおもむくまま、この肢体をむさぼっていただき」 

「だから、ストップストップ、女の子がそういうこと言わない!」

 皆まで言わせずかぶせる

「……この身はそんなに魅力がありませんか?」

 真剣を通り越し、やや狂信や狂気を孕んだ瞳に気おされつつも、むしろ逆である、という心の裡をどう言葉にしようか逡巡。

 そっと、さらさらと絹の手触りを返すプラチナブロンドの輝きを撫でさすり落ち着かせる。

 嫌がられるよりむしろ、撫でさする手に頭を寄せてくれているのを確認し、

「魅力的だし、この上なく好ましく思っているよ。だからこそ、そういう無体な方向に心を傾けないでおくれ」

「むぅ。とにかく、この身は我が君の盾なのです。それだけはどうか違えられませぬよう」

「わかったわかった」

 相槌を打つも

「本当にわかっているのかしら、私のオーナーは」

 ようやく乾いた涙の跡を残す眼差しを眇めすがめ、不満げな紗雪

「とにかく、今回はもう戻らない?ミキのくれたもう1枚、転移のカードは使えるのでしょう?」

 2枚のカードを取り出し広げる。


 すでに使ってしまった薬品のカード名称には”神樹の雫” 。絵柄は消えている。

 効果説明を見れば”癒しの雫:触れれば病、傷からから解放される”と、微妙に抽象的な記述があるのみ。

 だが、その奇跡としか呼びようもない、死の淵からすら引き戻してくれた効果は疑うべくもない。


 もう1枚は使い捨てのスペルカード”転移”。

 効果説明が“この札を持ち念ずれば、同一空間内にとらわれた、付近にて魂の繋がりを持つ者達を外界へ瞬時に移動せしむる”という代物だった。


「うーん、それも選択肢ではあるのだけれど、せっかくこうして見つけた新しい道、探索してみるのはどうかな。危なくなればそれこそ転移を使うという手があるわけだし」

 地下へ続く洞窟の外はすでに牛が戻ってきてしまっていることは確認済みだ。このため、入口から外に出ようと思えば、あの草原をまた越えて戻らなければならない。目と鼻の先にある奥へ続くと思しき通路に駆け込む手も無くは無いが、死にかけてすぐにまたあそこに戻るのは、流石にまだ避けたい。通路の奥に猛牛たちが残っていない保証もない。


「それにしても、名前の時点でなんとなく想像はしていたけれど、想定以上にすさまじい贈り物をもらってしまった気が……」

「本当ね。ミキって何者なのかしら。まあ、おかげでオーナーの命を救えたのだし、感謝しかないけれど」


 破けた服を裾を結わえたり何とか形にし、荷物をまとめる3人

「咄嗟に巨大牛の戦利品をつかみ取っておいたけれど、これはまたなんとも」

 牡牛、牛、うん。

 猛牛とか、狂牛とか。

 ほらもうちょっとカッコ良さそうな名前でも……。

 牡牛

 うん、そうだね、牡牛だね。

 死にそうな目にあったのは牡牛。

 改めてこう言葉にしてしまうと、英雄譚なんて望んだわけではないけれど、ほら、さすがにもうちょっとないかなぁ。

 と、思わず思考が暗く沈みそうになる。

「キャラクターカード”牡牛”ねぇ」

 紗雪もさすがにピンとこない様子で威風堂々とした牛の絵柄の書かれたカードを見やる。

「特性に狂化があるけれど、スキルも特筆すべきものなし。身体能力に関連する数値はティアより少し高い位。とはいえ、あの暴走する牛の群れを1頭でどうにかできるとは思えないし、保留だね」

 牛の群れを制御できるようなスキルを期待したのだが、当てが外れた。高いステータスと狂化で戦力にはなるだろうが、理性が吹き飛んだ味方というのも恐ろしい。



 何物も近づけてなるものかと、気を張り先頭を行くティアに続くことしばし。洞窟は草原中央方向に延びているようだ。

 またも現れるようになったアル=ミラージを討伐しながら、草原の直径四分の一ほど進んだだろうかという頃、道が2本に分岐した。

 草原中央方向へ直進する道と、左後方、中央方向から120度ほどの角度へ進む道の2本。

 ひとまず左後ろの方へ進路をとってみる。

 すると道は上り坂になり、登り切った先は岩場の影にひっそりと開いた、草原への出入り口になっていた。

「これはつまりあれだね……壁ぞいを右側へ進んでいれば、この地下洞窟に入れたわけだ。」

 たらればを考えても仕方がないとわかってはいつつも、今後のための反省を話し合いながら再度洞窟の中へ引き返す。

 偵察、索敵の能力があれば?巨大牛に見つかる前に撤退できたのではないか。

 空から偵察できていれば、どうか?これは将来ティアがより自由に空を飛べる可能性に期待できる。

 そもそも戦闘力がもっとあれば?いや、所詮G級適性範囲であの暴走する牛の群れに対処する戦闘力はあり得ない。暴れ牛の群れが発生した時点でアウトと考える方が良いだろう。

 戦力になる味方を増やしてから望んでいれば? 10,000Neuroの初期資金で手配できるキャラクターカードではとても即戦力とはなりえない。


「私が不甲斐ないばかりに」

「いやそれはさっきも話し合った通り、違うよ。今回は初めての探索なんだ。空を飛べる可能性があると、先を夢見られるなんて、素敵じゃないか。」

 どうにもやはり気にしすぎている様子に、いかがしたものかと悩むナオ。

 広場中央の地下あたりに差し掛かると、鼻をつくなんとも嫌なにおいが充満し始めていることに気が付く。

「くちゃい」

 人形種でも鼻は効くらしい。味覚がある時点で推測できることか。


 しばらく様子を見て異常がないことを確認し進むも、さらに近づくにつれ目をさす刺激も感じるようになる。

 立ち入るべきではないと、引き返そうと考え始めた時、ひときわ多く松明がたかれた10m四方程度の部屋にたどり着いた。

 床一面には毒々しい紫色をした泥濘が溜まり、粘性の高いその地面からは泡がぶくぶくと湧き出ている。

 泡がぱちん、とはじけると、刺激臭がひときわ強くなる。

「毒沼とかそういうものか?これ」

「オーナー、あれ、何かしら」

 指示された部屋中央、沼に半ば傾き沈むようにしてぼろぼろの剣、と思しき何かが柄を沼の上に飛び出させている。

「取ってまいります!」

 止める暇も有らばこそ、いよいよ匂いのきつくなってきたよどんだ空気を祓うように翼をはためかせ、剣の柄目掛け浮かび進むティア。

「待つんだ。万が一何か沼の中にいたら」

 時すでに遅く、あっという間に空を文字通り疾走した彼女は剣をひょいと摘み上げ、戻ってきていた。

 部屋の中心に至り、さらに匂いと刺激が激しかったのか、涙を流し、ケホケホとせき込む彼女の肩を抱き、慌てて通路を引き返させる。

「頼むから無理はしないでくれ」

「は、はひ」

 きゅーっと辛そうに目をつむるティア。飲用水のボトルを取り出し洗い流し、手ぬぐいでぽんぽんと湿り気を取る。

 ついでに剣についた泥を洗い流してみると、それはものの見事にさび付いた長剣の姿が現われる。

「ボロボロ…ね」

 ちょんちょん、と、恐る恐る触れる紗雪。

「うぅ、これでは到底、主のお役には……」

 所在なげに剣をどうしようか悩むティアが困った顔で見つめていると、さびた剣は一枚のカードにその身を変じた。

 どうもダンジョン産アイテムという扱いのようだ。

「どれどれ」


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 名称:愚者の剣 (さび)

 装備要件:ATK10, DEX10


<性能値>

 ATK+2, DEF+2


<特性>

 毒に侵されし者を、意をもちて刺しつらぬきし時、死に至らしめ、この剣は砕け散る。

 魂を捧げ、愛すべき愚行を成す者に、無上の慈しみを与え、想いを貫き通す力を与える。


<付与スキル>

 無し


<参照価格>

 算定不能


<補足>

 さび付き、かつての姿を失っている、ロングソード

 =========================


「もしや、あの沼の毒を盛って、さっきの巨大牛をこの剣で倒すべきであったという事でしょうか」

「ありえなくはない、かな?そうすれば、群れを呼んだ雄叫びも上げなかった、とか?ん~でもなんとなく違和感があるな。特性の2行目の意味も分からない。説明の文章らしきものが補足にあって、あえてこれが特性にある。」


 手元の鋼の短剣の内容も見比べる。

 “鉄の短剣、ATK+1, DEF+1、特性やスキル無し、参照価格は300Neuro (30,000Yen)”


「とりあえず、さっきの部屋はみる限り行き止まりだったし、沼の底を調べることはさすがに避けたい。」

「そうすると、巨大牛の先の通路に進むのかしら?」

「そうだね」

「オーナーがそうしたいなら、いいわ。でも、”転移”のカードは握りしめて進むのが条件よ」

「了解」

 紗雪がすっかり過保護になってしまった気がする。

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