第26話 迷子の女の子
ついに来てしまった。この東京という大都市に。
もうあれから一生来ないと自分は思っていたが……こんなに早く再び赴くことになるとは。
一応、俺があの芸能事務所からクビになった日からこの日まで戻らなかったことを考えると、この街にそこまで良い思い出は無かったのかもしれない。
地方よりも空気は悪いし、人混みももちろん多い。
そして、芸能という世界に浸っていた頃は毎日が激務で、スケジュールに空白は無しだった。
というのも、あの水瀬彩夏という大女優のマネージャーをやっている身として、休むことは許されなかった。
周囲からのプレッシャーも抱えながら耐えに耐え抜いた六年間。
よく途中で倒れなかったなと思うと、あの時の自分の体力は凄まじかったのだと改めて感じる。
あんまりこうして自分自身を褒めることはしたくないが、これもマスターから教わった教訓とでも言っておこう。
何事もポジティブに。何事も冷静に。
来月、マスターが帰国してきた時には少しでも成長した所を見せなければ。
「うーむ。しかし、開演までまだまだ時間があるし……これからどうしようか」
俺、斎藤大介が最初に行きついたのは大型のショッピングモールだ。
別に、最初から会場付近をうろついて時間が経つのを待つという方法もあったが、それだと少し寂しい気がした。
それに、賑やかな客に紛れ込みながらこういう雰囲気を味わうのも、たまには悪くない。
ここ最近は、ずっとBarとアパートで行ったり来たりの生活だったからな……。
少しは羽を伸ばしてリフレッシュする良い機会だ。
ちょうど腹も減ってきた頃合いだし、何か美味い飯でも食べて都会の雰囲気を楽しもう。
幸い、ここのモールではフードコートもあるし……って、あれ。
あそこの隅の近くで泣いている子供がいるな……。
状況から察するに、迷子になったのだろうか。
まあここ、大きい施設だし迷いやすいか。
所々にマップが掲示されているとはいえ、大人の俺でもたまに現在地が分からなくなる時があるぐらいだし……。
それが小さいお子さんなら尚更。
さぞかし、今頃親も必死に探し回って心配していることだろう。
く。仕方ない。
ここは空腹を耐えて、あの黒髪ボブの女の子を助けるのが優先だな。
生憎、そのまま無視して通り過ぎるなんてことは俺には出来ないし……。
「えーと。君、大丈夫?」
「大丈夫じゃない、です」
「お父さんとお母さんは?」
「さ、さっきまで一緒に居たけど……途中ではぐれちゃって」
「迷子になっちゃったというわけか」
「えと……そう、です」
「なら、まずはその両親を探さないとな」
「で、でも……! もう三十分も経ってるのにパパもママも全然見つからないから……!」
なるほど。三十分は確かに長いな。
それは不安になるのも仕方ないだろう。
特に子供は、大人よりも長く『時間』というものを感じやすい生き物だ。
「だいじょーぶ。君の両親もきっと必死に探し回っているだろうから、その心配は無いよ」
「――っ! じゃ、じゃあ私……どうすれば」
「おにーさんが君の事を見放さない。それに、ほら」
そう言って、俺は両手で彼女の手を優しく握る。
最初は戸惑った表情を浮かべていたが、徐々に落ち着く様子が伺える。
こういう不安な気持ちになった子は、こうして手を温めるだけで緊張を和らげる効果があるからな。
それに、彼女の手が冷たく震えていたのを見かけたので、まずは安心させるのが最優先だと思った。
きっと、親と突然離れちゃったことから少々パニック状態に陥っていたのだろう。
それでも、この子は最初に俺が話しかけてもビビらずにしっかりと受け答えをしてくれた。
途中までは怖いお兄さんに話しかけられて、最悪逃亡された時のことも頭の片隅に置いてはいたのだが、どうやらその心配はいらなかったようだ。
「その……あ、ありがとうございます」
「ん? 別に、礼を言われるようなことは何もしてないぞ」
「いえ。お兄さんのおかげで、少し気持ちが楽になってきたので」
「お、そうか。なら良かったよ」
「実は私、こうやって迷子になることが多くて。何回もママに怒られるんです」
「パパは怒らないのか?」
「えっと、はい。パパは私に何かと甘いので。でも、ママの方はいつも私に叱ってくるので……今回もそれが少し怖くて」
この後、無事に見つかったとしてもお説教が始まる可能性が高いというわけか。
でも、これに関しては親にも責任があるようにも思える。
何より、この子はまだ精神的に幼い。
それに、はぐれないようにしっかりと見張っておく役割がある。
こういう外出するときは特に、細心の注意を払いながらでもお子さんを大切にしなきゃだな。
「安心しろ。そうなった時は、俺も一緒に怒られてあげるから」
「……お兄さんも、ですか?」
「ああ、そうだ。君と一緒にお説教を受ける覚悟はもう出来ている」
「なんか、変わった人ですね」
「はは。よく言われるよ」
芸能時代は『○○の変人』なんてあだ名を付けられた時があったからな。
今さら普通の人じゃないと言われたところで、俺は動揺しない。
あの時の苦い思い出があるからこそ、今の俺があるといっても過言では無いからな。うん。
「……名前はなんていうんですか?」
「えっと……や、山田太郎だ」
「――ぷっ。お、お兄さん。それ絶対に偽名でしょ……ふふっ」
「ええ……ちゃんと真面目に答えたつもりなのに……。というか、そんなに笑うほど面白かったか?」
「だ、だって……さっきからあまりにも臭いセリフばかり言うものだから可笑しくて。そ、それに山田太郎って……アハハ!」
「おい。全国の山田太郎さんに謝れぃ!」
そうして、先ほどまで泣きじゃくっていた顔はどこへ行ったのやら。
彼女は一変して、笑顔を取り戻すようになった。
こんな寒いセリフを言ったら普通は冷めた目をしてヒかれるぐらいの態度を取られるかと思ったんだが……。
うん。やっぱり子供は素直で可愛いわ。
どっかの生意気な誰かさんとは大違いだ。
「じゃあ……太郎さんって呼ぶことにするね」
「お、おい。いいのか? 俺の本名を聞かなくて」
「うん。お兄さんとは、またどこかで会える気がするから……その時に聞けば良いかなって」
「そうか。じゃあまた会えるといいな。この俺という変人に」
「あははっ! 自分で変人って言っちゃったよ……。やっぱり太郎さんって面白い性格してるね」
「そうか。俺ってお笑いの才能があるのかもな」
「M1に出てみたら良い線までいくかも」
「いや、それは流石に予選落ち確定だから遠慮しておくことにするぜ……」
本当、この子の笑うツボはどうなっているんだ。
まあでも、さっきまで暗い表情をだったから、こうして明るい雰囲気に持って行けただけでも良かったのかな。
「さて、と」
楽しい会話はこれぐらいにして。
そろそろこの子の居場所を両親に伝えなくては。
こういう時は直接探し回るより、近くの店員さんに声をかけて状況を説明した方が早いだろう。
モール内のアナウンスでこの子の居場所を教えれば、きっと両親もここにすぐ駆けつけると思うし。
まあ、もう少し時間を取ってこの子の相手をしてあげてもいいが……もともと俺は親に帰すまでの保護者でしかないからな。
そこの線引きはしっかりと弁える。
「んじゃ、そろそろ落ち着いてきたようだし、店員さんに状況を説明しに行こうか」
「う、うん……分かった」
そうして自分は立ち上がったのだが、女の子の方は中々行動を起こしてくれない。
先ほどまで明るかった表情が、途端に曇った感じだ。
まだ、この場所から離れるのが怖いのだろうか。
「ねえ、太郎さん。お、お願いがあるんだけど……」
「ん、なんだ?」
「手、またギュって握ってくれない?」
「お、おう。そうだな。またはぐれると危ないし、繋いでおくか」
「――ッ! うんっ!」
きっと、今でも不安なのだろう。
そんな気持ちが表面に表れたのか、女の子は俺の手を強く握った。
自分は左手で、彼女の方は右手で。
たまには、こういう人助けも悪くないもんだなと思った。
しかし――俺はこの時。何も知らなかった。
いや、正確には気づけなかったというべきなのかもしれない。
この一部始終を――陰からずっと見守っている人がいたことに、俺は気づかなかったのだ。
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