第27話 囁かれた甘い声

 迷子の女の子は無事に親の元へ戻れたようだ。

 先ほど、その両親にお礼の言葉を言われ、こちらも思わず頭を下げてしまった。


 途中、本気で俺もあの子と一緒に怒られるかとヒヤヒヤしたが……幸いなことにそんな展開には至らなかったようだ。


 特に母親に関しては彼女のことを見つけた途端、駆け寄って涙を流して抱きしめていたぐらいだったからな……。


 きっと、怒るよりも先に自分の子供が見つかったことに安堵したのだろう。


 それと、父親の方からは俺に直接「娘が本当にご迷惑をおかけしました。それと、この子の傍にいてくれてありがとう」という丁寧なお言葉も頂いた。


 自分はそこまで大したことをしたつもりは無いのだが……。


 まあでも、あの子が無事に家族の元へ帰れたのならそれで良い。


 俺も少し不安な部分はあったから、こうした結末を迎えることが出来てほっとしてるしな。うん。


 ということで、一先ずこれで一件落着といったところだろうか。


 ああ、それと。

 これは余談ではあるのだがあの女の子の名前は『茉里ちゃん』というらしい。


 別れ際、俺と離れるのが嫌だったのか中々解放してくれなかったが、またあの子と会うという約束をして指切りのおまじないをした。


 しかし、俺はこの大都市に住んでいるわけではないため、彼女と再び会う確率は限りなく低いだろう。


 とはいっても、俺があの子の願いに背くのは違うような気がした。

 きっとそうしてしまったら、彼女の表情が、心が曇ってしまうから。


 もうちょっと、上手く気遣いが出来れば良かったんだけどな――


「ねね! きみ、大介君だよね? ていうか、絶対にそうだよね?」


 おっと。これまでの状況を説明していたら、あっという間に時間が経過していたようだ。


 ちょうど店に入ろうとする前に迷子と出会ったものだから、生憎と空腹の限界を超えてしまっている。


 ということで、さっさとどこかで飲食できる場所に行動を移すこととしよう。


「ねーちょっと大介君ってばー。聞こえてるー?」


 ふむ。

 誰かが、後ろから『大介君』という人物を呼んでいるみたいだ。


 きっと、自分とは違う大介さんとやらを呼んでいるのだろう。

 うん。きっとそうに違いない。そうでなければならない。


「もうっ! 私の事忘れちゃったの? 酷いなー大介君ったら」


 それに、今の俺の名前は山田太郎だ。


 今日、茉里ちゃんにこの偽名を使ったからには、それを一日中使わなければいけないという使命が俺の中にある。


 だからこそ、この信念を簡単に捨てるわけにはいかないという至極真っ当な――


「だーいーすーけーくん?」

「チガイマス。僕の名前は山田太郎っす。では、サヨウナラ――」

「ちょちょちょッ!? なんでそんなに唯奈の事避けるの君!? というか、今更そんな偽名使ってもバレバレだからね!?」

「人違いだと思いますよお姉さん。世の中に大介なんて名前は一杯居ると思うのでそちらの方に伝えてくれればと。では、僕はこの辺で――ぐふぅ!?」


 言い切る前に、彼女の方から猛アタックをされた。

 背後からぶつかる、といった感じだがこれが結構衝撃的で俺の体にダメージが入る。


 あれ、ちょっと待て。

 女の人ってこんなに攻撃力高いのか……?


 俺、聞いてないぞ。いや、まじで。


「ふふ、Barで会った時以来だねっ! 大介君っ!」

「く、苦しい……苦しいので放してもらえますか。一之瀬さん」

「あー。やっと私のこと呼んでくれたー。良いでしょう、君の事を解放してあげます」

「あ、あざっす……」


 し、死ぬかと思った……。

 というか、なんでこんな所に一之瀬さんが居るんだ。


 最悪、再び会うことがあるとしてもあのBarだと思っていたというのに。


 く……これはまた一波乱がありそうな気がするぞ。


 最近の俺。女と関わるごとに悪い出来事ばかり起こるからな……。


「大介君。さっき小さい女の子を助けてたでしょー」

「え……一之瀬さん。どこから見てたんですか?」

「うーんと、大介君があの子のことナンパしてる所からだったかな?」

「最初からじゃないですか!? って、なんか最後の方すごく語弊があるような気がするんですけど……」

「えへへー。冗談だよ冗談っ。最初見た時はびっくりしたけど、大介君が何でも一人でやっちゃう所、流石だなーって思ってたよ?」

「そ、そうですか。それはどうも……」


 く、しかしあの場面を全部見られてたのか……。

 まあ、通行人も多かったし周りの目を気にしなかった俺も悪いが。


 なんというか、後からこみあげてくる羞恥心みたいなものが沸き上がってきそうだ。


 ま、まあいい。

 ここは挨拶だけしといて、後は適当に誤魔化してからこの場を去ろう。


 うん。こういう時は用を済ましたらすぐに撤退だ。撤退。


 長く時間を掛ければかけるほど、状況は悪化することはもう目に見えているからな。


「ところで大介君。単刀直入で申し訳ないんだけど、どうして東京に居るの? Barの営業、確か今日もあるはずだよね?」

「え、いや……まあ本当ならそうなんですけど。今日は特別に有給を使ってきまして……」

「へーそうなんだ! じゃあ、こっちに遊びに来た感じってことかな? それとも何か別の用事?」

「ま、まあ……ちょっとした野暮用で。どっちかといえば後者の方ですけど、遊びに来たって言う部分もあるかもしれないです」


 まあ、本当はあの有名な劇団のショーを見に行くためにわざわざこっちに来たのだが……。


 そこまで詳しく事情を話さなくても良いだろう。


 それに、今はがっつりと飯を食える店に早く入りたいしな。

 空腹すぎて、もう餓死しそうだし。


「ふむふむ。なるほどねー……。そしたらさ、この後時間があるなら一緒にご飯でも行かない? 私、次の仕事まで時間が出来ちゃったからちょっとだけ付き合ってほしいんだーっ!」

「え、良いですよそんなの。せっかくの一之瀬さんの休憩時間を俺なんかと一緒に過ごすなんて――」

「いーいーかーら! そんな水臭いこと言わなくたって、あの時私と一夜を共にした仲じゃーん! これを機に私はもっと君と仲良しになりたいなーって思ってるんだよっ?」

「あ、アハハ……。お言葉は非常にありがたいのですが、遠慮しておきます。こんな俺とじゃ、どう考えても一之瀬さんと釣り合わないでしょうから」

「むぅー。なんでそんな事言うかなー。大介君は十分カッコいい男だよ? さっきの助けてる姿も、私の中では結構好感度アップだったしっ!」


 もうツッコムのも疲れてきたから、一夜を共にしたというセリフには敢えてスルーしておく。


 というか、このビッチめ……。

 勝手に記憶を変換するんじゃねえよ。


 あの時、勝手にベロベロになって泥酔したのはあんたの方だろ。


 く、くそ。なんでこうも俺は面倒くさい女性ばかりに絡まれるんだ。


 今日の運勢……たしか牡牛座は二位で良かったはず。


 だというのに、この運の悪さ……。

 やはり、朝占いは当てにならないということだろうか。


 って、え。

 ちょ、ちょっと待て。


 なんか左腕から柔らかい感触を感じる……。


 目の前に居た彼女が、強引に腕を絡ませてきた……?


 しかも、この大衆の面前で堂々と。


 え、本当に待ってくれ。

 俺、まだ何もしてないはずなのに。


「あ、あの……一之瀬さん?」

「んーっ? 何かな大介君」

「腕を組まれると……非常に動きにくいのですが」

「え、だって大介君。絶対にあのままの状態だと逃げちゃうでしょ?」

「あ、あはは……イヤだなー、一之瀬さん。俺がそんな酷いことするわけないじゃないですか」

 

 そう言っても、中々腕を解放してもらえず。


 あれ……。

 これってもしかして、この人に見つかった時点でゲームオーバーって訳じゃないよな。


 い、いや。そうであってほしい。

 まだ俺には別の選択肢があるはずで、きっと明るい未来が待っているはず。


 だから、まだ抵抗できる部分もあるはずで――


「ふふっ。今回は私がぜーんぶ奢ってあげるから……逃げないでね?」



 耳元で囁かれた彼女の甘い声で、どうやら俺はまた完全敗北してしまったらしい。



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