第19話 地獄のピンポン

 冷や汗が止まらない。

 いや、正確には目の前に座っている小悪魔が怖いといったところだろうか。


 もし自分の口に合わずして合格点にいかなければ、何かしらのペナルティが発生するだなんてあまりにも理不尽すぎやしないか。


 たぶん、俺の質問に答えずにそのまま帰るということだと思うが……。

 く、それだけは避けたい。どうしても。


 こちらとしても、一方的に情報を知らされると気持ち悪いし。

 なにより、コイツの企んでいることは洒落にならないからな。


 だが、普段から一人暮らしをしている俺は料理をすることは苦ではない。


 そこに関しては運が良かったというべきだろうか。


「ふう……。ごちそーさまでしたっ」

「さて、聞かせてもらおうか」

「ふふ、もう大介先輩。そんなに急かさないでくださいよー。私、料理に関しては結構甘めの評価しますよ?」

「いや、お前の甘めは大抵の人にとっては激辛だからな?」

「もーっ。酷いなぁせんぱい。そんなに私、性格悪くないですよぉー」


 そうして食べ終わった後に箸を置き、綺麗に口元をティッシュで拭う彼女。


 食事をしている時は、表情が読み取れなかったのもあって、常にこちらに隙を見せなかった。

 おそらくこちらの心情を利用して、最後まで悟らせないためだろうか。


 く、なんて意地の悪いヤツだ。

 それに、今では意味ありげな笑みを浮かべているものの、さっきまではずっと無表情だったし……。


 やっぱり女って生き物は怖いっすわ。

 あまり関わらない方が吉だな。これは。うん。


「ま、味はそこそこでしたし、お腹もまあまあ膨れたので及第点ですかねー」

「お、おう。それは良かった。じゃあ早速——」

「でもー、残念ながら満足は出来なかったかなー。ふふっ。蜜柑が一筋縄じゃいかないのは先輩も分かっていましたよね?」

「う……そこは冷蔵庫に残り物しか無かったから勘弁してくれると助かるんだが」

「ふふ、もう大介先輩。緊急事態の時に備えて常に食料は備蓄しておかないと大変な目に遭いますよ?」


 いや、その緊急事態は災害とかそういう関連のことだったら分かるんだが……。

 明らかにこの状況でのそれは君のことだよな。


 うん。そういうことにしておこう。


「ま、でもこれ以上せんぱいを困らせるのは私も本意では無いのでここまでにしときますかねー」

「や、やっぱりわざとだったんだな……お前」

「えー。だってー、先輩と私がこうして会うのって半年ぶりですよねー? ここ最近、からかう人が居なくてつまらなかったんですよー」

「できればそれは俺じゃなく、他の奴にやってほしいものだが」

「んー。それは出来ない相談ですねー。先輩の代わりになる人はこれからも出てこないと思うのでっ。ふふっ」

「お前は本当に相変わらずって感じだな……。く、まあいい。それよりも俺からの質問は二つまで、だったな?」

「そーですね。蜜柑の答えられる範囲でなら、何でも答えますけどー」

「俺が聞きたいのはなんでお前が俺の住所を知っているのか。それと、このチケットを送った意図だ」


 あまりコイツの話に釣られると、無駄な会話が多くなるからな。


 端的に聞きたいことを聞いて、用事を即終わらせることにしよう。


「ふふ。そんなの決まってるじゃないですかー。どちらも、蜜柑の権力を使ったまでですよー」

「いや、お前の権力デカすぎだろ。第一、なんで俺を探そうと思ったんだ? もう俺は芸能の世界から離れてるっていうのに」

「え? だって、大介先輩って彩夏先輩に嫌気が差したからあの事務所を辞めたんですよね?」


 あれ。こいつ、俺がクビになったこと知らないのか。


 いや、それとも嫌味を込めてあえて水瀬の話をしているのか。


 いずれにせよ、彼女の言葉に惑わされないように気を付けなければ。


「いや、まああいつのことがあまり好きじゃなかったのは本当だが、事務所から居なくなった理由としては違うな」

「……え? じゃあ、先輩が急にいなくなった理由って何なんですか?」


 そうして、今度は困惑した表情を浮かべながらこちらを見つめてくる彼女。


 あ、あれ。なんかおかしいぞ。

 微妙に話が嚙み合わないというか……。


 え。こいつが知らないってことは俺がクビになったことが知れ渡っていないということか?


 いや、でもそういうこともあり得るか。

 と最後に対面した日に、正式にクビになったことを告げられただなんて他の事務所が知る由もないからな。


 まあでも、影山は俺が居なくなってからも水瀬と会っているはずだ。


 そこで情報が漏れていたとしてもおかしくはないはずだったのだが……まあいい。

 ここはこちらから話すことにしよう。


「半年前、俺はあのからクビにされたんだ。理由もなく唐突にな」

「は? え、ちょっと待ってくださいよ。クビってどういうことですか?」

「え、いや。まあそのままの意味だ。俺は使えなくなったからもう用済みみたいな感じだったし」

「ま、待ってください。話が全然見えてこないんですけど……は! もしかして先輩、今度は私を騙そうとして――」

「そんなことするんだったら、もっとましな嘘をつくぞ俺は……」

「そんなのあり得ません。だって、先輩ってこう見えて意外と優秀だったじゃないですか? あの天下の彩夏先輩が毎回褒めるぐらいでしたし……気に入らないですけど」

「意外とって失礼な……。ていうか、影山。お前が何を勘違いしているのか知らんが、アイツが俺の事を褒めるとか雹が降っても絶対に無いぞ」


 そう。水瀬彩夏という人物は常に俺に厳しい要求ばかりしてきた。


 まあ、相手があの国民的芸能人だからっていうのもあるかもしれないが……。

 そのマネージャ―をやっている俺の身からしたら辛いことばかりだった。


 ただ、その苦い思い出があったからこそ今、Barで楽しい人生を歩めているという結果論に至るわけなのだが。


 ってあれ。

 何だろうこの感覚。


 なんかものすごく嫌な予感がするんだが。


 え。ちょ、ちょっと待ってくれ。

 おい影山。なんでお前はそんなに――。


「ねえ大介先輩」

「ん? どうした影山。そんな急に笑顔を浮かべて。何か良いことでも――ヒィッ!!」

「随分と女を誑かすのがお上手ですねっ。私、ちょっと感心しちゃいましたっ♪」

「い、いや。一先ず落ち着こう影山。何に関して怒っているのかは知らんが俺は無罪だぞ」

「残念ながらギルティですよ先輩。六年間も彩夏先輩とくっついてた貴方がそんな言い訳——通用するわけないじゃないですか」

「いやいやいや。アイツとくっつくなんてありえんから。お前の方が絶対に何か勘違いしてるだろ」

「してません。それに、私が近づいた時はいつも先輩避けてたじゃないですか。 あれは流石に無いと思うんですけど?」

「お、お前と関わるとロクなことにならんからな。挙句の果てに、超面倒なことになりそうだし……」

「むぅ。酷いなぁ大介先輩。せっかく私の方からアプローチかけて意識を向けさせようとしてるっていうのに」


 いや、むしろ意識しかしてねえわ。

 警戒の意味を込めてだけど。


 それに、水瀬の奴も何かと俺が他の女性と話すとすぐ機嫌悪くなってたからな……。

 仕事上の関係で仕方なくそうしているだけなのに、なんであんなに怒るんだよ。


 うん。やっぱ女心は俺にはよくわからんな。


「はぁ……まあいいです。そんなことよりも、どうしてクビのことを早く言ってくれなかったんですか?」

「い、いや。影山に言った所でどうしようもないだろ」

「どうしようもなくありません。こんなボロアパートに住んでて腹立たないんですか?」

「いや、立たねえよ家賃安いし。まあ、確かに当初は腹は立ったけど。だからといって、今の生活に不満があるわけでもあるまいし」

「ふーん。先輩って心が広いんですね。でも私は許しません」

「いや、なんでだよ。お前が怒る理由がないだろ」

「あります。そんな理不尽なやり方で先輩を追い出そうとするあの事務所が許せないんです」


 あ、あれ。

 なんか急に味方してくれてるよこの子。


 その態度を貫いてくれればこっちも話しやすいというのに。


 っていかんいかん。

 まだ騙されてはダメだぞ俺。


 コイツは小悪魔だから決して油断してはいけない。

 そう。決して。


 ってあれ。

 なんか玄関の方から物音がするぞ。


 こっちの部屋に近づいてる……?


 隣の部屋の人は確か夜勤勤務だから、帰ってくるのはもう少し後のはずだが――。


「あれ。大介先輩、ピンポン鳴ってますよ?」

「お、おう。今ちょっと出てくるわ」

「ふふっ。私はここで大人しく待ってますねー」


 くそ。なんでこうもタイミングが。


 いや、しかしこんな早朝に配達か何かか?


 実家からの仕送りとかなら普段事前に連絡来るはずだし……。


 あ、あれ。ちょっと待て。

 なんかすごく嫌な予感が――。



「あれ? 兄貴、起きてたんだ? めずらしー!」



 本格的に死んだかもしれんな。

 これは。











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