第一章:魔王は人間として生活したい

永い眠りから覚める

 気がつくとそこは洞窟の中だった。さっきまで魔王城にいた俺はいつの間にか洞窟へと運ばれていたようだ。

 一体あれから何年経っただろうか。感覚的にはついさっきの出来事のように思える。

 近くには水が流れており、光も遠くから入ってきているようだ。

 乾ききっている喉を潤すため、近くの洞窟湖へと向かう。


「嘘だろ……何か失敗したか?」


 起き上がった時から違和感があった。湖に映った俺の姿は恐ろしい姿をした魔王エビリス・アークフェリアではなかった。

 そこに映っていたのは人間の青年の顔だ。髪は茶色く癖がついており、顔立ちは美青年と言えるそんな容姿だった。


「いや、これは失敗したのではないな」


 じっくりと自分の体を隅々まで観察すると、誰かが意図的にこのような体にしたのだろう。

 俺が眠っている間に誰かが悪戯したのか、と思いながらも魔法を自分に向けて発動してみる。

 しかし、それでも元の姿に戻ることはなかった。魂の情報が人間へと書き換えられていたのだ。


「俺が眠っている間に誰がこんなことをしたんだ? 魂の情報を書き換えるなんて大妖精クラスでなければ出来ないはずだが……」


 それもそのはずだ。これは俺たちが扱える魔法でどうにか出来る事ではないからだ。

 すると洞窟の奥から一人の少女が現れる。彼女は幼い頃からの知り合いで妖精アイスだ。何年も同じ見た目だからすぐにわかった。


「相変わらずだな」

「魔王様……お目覚めになられたのですね」


 碧眼の妖精アイスは涙を浮かべ、手に持っていた食料を溢した。


「ここはどこなんだ? こんなジメジメした場所はあまり好きではない」

「今はユーセリア領のシフェル市の洞窟です。魔王様の時でしたら人間領の村でしたね」

「人間領だと?」


 俺は魔族を統べる魔王だ。なぜ人間領で眠っていた? そもそもユーセリア領とはなんだ?


「いろいろ聞きたいことがあると思います。まず、今は魔王様が眠りについてから一七〇〇年経っております」

「一七〇〇年、だと?」

「はい、いろいろありましたので……」


 一七〇〇年とは眠り過ぎだ。一体どんな世界になっているか想像できないが、それは慣れていくしかないか。

 混乱している俺を横目にアイスは溢れ落ちた果物を拾い上げ、俺に手渡す


「空腹では動けないでしょう。お食べ下さい」

「これは?」

「ユーセリア領で取れるりんごですよ」


 りんごにしては随分大きなサイズだ。俺が知っているりんごはもっと小さな果物だったはず。千七百年で世界はどう変わったのかわからないが、これからゆっくりと学べば問題ないだろう。

 俺はりんごを水で綺麗にしてそのままかじってみる。りんごの中はみずみずしく、より甘みが増したようであった。りんごもここまで美味しいといつまでも食べていたいものだな。


「美味しそうに食べますね」

「これほどうまいりんごは初めてだ。ここまで大きいと食べ応えがある。この代物は人間界ではそう取れないのではないか?」

「今の時代、このりんごが普通です」


 これが普通なのか。人間界も随分進化したのだな。これほどの果物が作れるとなれば農作がしっかりしているという事だろう。

 農作物がしっかりしていれば、人間自身もまた進化しているとも言えるだろう。


「千七百年で大きく変わったな」

「少し遅い気もしますが、確かに進化してますね」

「そうでもないだろう。外に出ようか」

「はい」


 それから俺はアイスと洞窟を出ることにした。

 俺はその洞窟を出る間にりんごを三つ食べてしまっていたようだ。


 洞窟を出ると明るい日差しが俺の目を突き刺すように刺激する。

 そして肌寒い空気が身を包み、冬の訪れを感じさせるような寒さだ。

 木々は枯れており、今の時期が秋だと想像がつく。


「まぶしいですよね。ですが、よく見てください。ここが魔王様の住む場所になるのですから」

「俺が住む場所……?」


 俺は魔王だ。人間界で住むなんてそんなことはできない。俺を待っている魔族が少なくともいるはずだからな。人間がここまで進化したんだ。魔族もそれなりに進化しているだろう。


「人間と慣れ合うつもりはない。魔族の国に行く」

「ですが……」

「そもそも俺は魔族だ。人間が受け入れてくれるとは思えない」


 姿は人間でも魔力や魂の基本構造はまだ魔族に近い。鋭い眼の持ち主であれば魔族であるとすぐに気付くだろう。


「俺の城に向かう。アイスはここから離れられないのだろ?」

「人間の力で今は生きていますので」

「そうか、城には俺一人で向かう。上級の魔族ならこの姿でも魔王だと気付くはずだ」

「あの……」


 俺はすぐに転移魔法で城下町に向かった。アイスは最後に何かを言っていたようだが、うまく聞き取れなかった。


 城下町に着くとそこはかつて栄えていた情景はなかった。商店街だった場所も荒廃し、建物は崩れていた。大量の植物に覆われた建物はもはや遺跡のようだ。


「千七百年でここまで荒廃するものなのか……それでも上級魔族はいるだろう」


 俺はかつての商店街を通り、城の門までたどり着く。いくつかの魔族の視線を感じるが、どれも下級の魔族だ。

 俺が門を押すと下級の魔族が俺の背後に立った。


「人間がここに来るとは命知らずだ」

「生命力が高いねぇ。食べて俺様の糧にしてやる」


 下級の魔族は俺に向かって攻撃を仕掛けてきた。かつての魔法を使った戦略戦などの面影はなく自らの身体能力だけで攻撃してきたのだ。

 俺は軽く魔族を蹴散らし、そいつの頭を持ち上げる。


「お前ら、誰に向かって物を言っている? 俺は魔王だぞ」

「へっ、魔王なんてこの世にはいねぇよ」

「まぁいい。ここの領主は誰だ?」

「領主? しらねぇな」

「上級魔族も知らないのか。文明レベルが低下してるな」


 俺はその魔族の一人を地面に叩きつけて、門をくぐる。

 魔王城の内部はかなり荒廃していて、かつての豪勢な家具などはすべて朽ちていた。


「まさか、文明が滅びた……のか?」


 城の中は下級の魔族であふれていた。まるで自分たちの住処のように俺の玉座を牛耳っていた。

 そこには上級の魔族はおらず、誰も魔族を従わせようとしなかった。


「これをまとめるのは不可能に近いか」


 ならず者の魔族と化した下級の魔族は考えることすらできないようだった。栄えていた魔族たちはこの時代にはすでにいないようであった。


「人間……」


 下級魔族の一人が俺を見てそう言う。すると、すべての魔族の視線が俺に集中し、襲いかかってくる。


「話を聞くつもりはないのか」


 全力で襲いかかってくる魔族を俺は魔法で消滅させた。俺が千年以上もかけて作り上げてきた魔族の文明が滅び、今や下級魔族しかいない状態に怒りを覚えた。

 おまけに俺は人間だ。再び魔族を束ねようとしても彼らは俺を食料としか捉えないだろう。

 俺は集まってくる下級魔族を尻目に魔王城を後にした。

 返り血で染まった俺の服と体はさらに俺を絶望へと引きずりこむようだ。


「大丈夫?」


 俺がかつて人間領と魔族領の境であった森を彷徨い歩いていると、一人の人間の女性が話しかけてきた。



    ◆◆◆


『ミリア先生、至急職員室に来て下さい』


 授業の最中、突然のアナウンスに私は驚いた。


「ミリア先生が呼び出されるなんて珍しいね」

「ええ、私も驚いた。何か急用かしら」


 私は科学の教本を閉じ、教室を後にした。

 職員室に着くとすぐに教頭が話しかけてきた。


「ミリア先生、急に呼び出して申し訳ない」

「いえ、授業も終盤でしたので。何かありましたか?」

「”人喰いの森”の魔族が活発になってね。すぐに偵察に向かって欲しいと先ほど連絡があって」

「偵察ですか……」


 私が魔法学院の教師でもあり、同時に魔法使いでもある。多少危険な任務もこのように任せられることがある。しかし、ここ最近で魔族の活動は落ち着いていた。活発になったということは何かあったのだろうか。


「断っても大丈夫だよ。何もミリア先生が危険なことをしなくても……」

「私も一人の魔法使いです。市民の安全を守るために向かいます」

「そ、そうか。無理はしないでほしい」

「わかりました。すぐに準備します」


 急な任務に不安を感じつつも、私は偵察に向かうための準備をする。魔族と戦うための魔法具を手に私は”人喰いの森”に向かう。

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