追い出された魔王
人喰いの森はユーセリア領から近い森で、よく市民が迷い込んでしまうことがある。今回も誰かが迷い込んだのか、何かの前触れなのかわからないが、調べてみないと始まらない。
この森に近く、すぐに迎えるのはユーセリア魔法学院の教師である私に白羽の矢が立ったと言うことだ。
森に入ってすぐに森の中から爆発音が鳴り響いた。ここまでも爆発音は魔法競技でも聞いたことがない音だ。
警戒を怠らずにその音に向かって、注意深く森を歩いていく。
先ほどから数回爆発音が聞こえているが、一向にそれに近づいている気配がない。音はさらに遠ざかっていく一方だ。
「男の子よね……」
爆発音が聞こえて十分ほど経っただろうか、森を歩いているとそこには一人の少年がいた。
その少年は血塗れで目は虚ろ、絶望に満ち溢れていた。
魔族に襲われたのだろうか。いや、それならこの少年も殺されていたはず。
一体この森で何が起きていたんだろう。
私は周囲の安全を確認し、少年に話しかけることにした。この場所に一人では危ないからだ。
「大丈夫?」
少年は私に気付いたのか、こちらを振り向く。その姿はまるで地獄から這い上がってきたかのように赤く血で染まっていた。どんな酷いことが起きたのか、その姿を見れば大体の予想は付く。
「殺すのか?」
少年は私に対してこの言葉を言った。私を魔族の一人だと思ったのだろう。とりあえず、ここは安心させてあげないといけない。
「……!!」
私は少年に抱きついた。私の胸が枕のように少年の顔に纏わりつくのがわかる。
「大丈夫よ。私は人間だから」
少年はゆっくりと目を閉じ、息を吐いた。どうやら落ち着いたようだ。
森は静かに私たちを見守っている。風で木々がなびいている。ただ時間だけが過ぎていく。
「名前は言える?」
私は少年の名前を聞くことにした。静かな森だが、魔族が生息している地域、長い間滞在することは危険だ。
「……エビリス・アークフェリア、おそらく一六歳」
「かっこいい名前ね」
聞いたこともない名前だ。とりあえず、名前は聞き出せた。本部に連絡する方がいいだろう。私はさらに強くエビリスくんを抱きしめた。
どんな恐怖を味わったのかわからない。私に今できることはこれぐらいしかないのだ。
「安全な場所に連れて行ってあげるから離れないでね」
エビリスくんの力のない手を私は力いっぱい握り、引っ張るように森を出た。
森を出ると教頭が心配そうに待っていた。
「ミリア先生、無事だったのか」
「魔族には出会わなかったので。それよりこの子の所在を確認して欲しいのですけれど」
教頭はハンカチで目に溜まっていた涙を拭き取っていた。
「その子のお名前は?」
「エビリス・アークフェリアだそうです」
エビリスくんは怖がっているのか私の後ろでじっとしている。
「アークフェリア……貴族ではないな。あとで戸籍を確認しよう」
「とりあえず、この子は今晩私の家で預かります。それでよろしいでしょうか?」
「その、エビリスを預かると?」
「はい」
教頭はエビリスくんを一目見ると何か怯えたようにハンカチで額の汗を拭き取る。
「ええ、よろしいでしょう」
血塗れの少年を見て怖気付いたのだろうか。流石にこの酷い姿は私も少し怖かったから仕方ないか。
「では、行きましょう」
私は教頭に礼をして、エビリスくんを私の家で預かることにした。
「ここが私の家よ」
エビリスくんは目を見開いた。
「ごめんね、そっちの家じゃないの」
エビリスくんは横の豪邸を見て私の家だと驚いたのだろうけど、本当は横にあるアパートだ。
「蔵のような建物か?」
「蔵じゃないよ。アパートっていう立派な家屋よ」
エビリスくんにとっては初めてだったのだろう。地方の場所にはアパートがない場所もある。それなら見たことがないのも頷ける。
「中に入りましょう」
アパートの中はいたってシンプルだ。私はあまり物を買わないので部屋は案外広く保てている。
「とりあえず、お風呂に入った方が良さそうね」
エビリスくんも私も泥と血がついたままだ。うまく人目を避けてこれたのがが幸いだ。
「風呂……か」
「お風呂は苦手?」
「……」
エビリスは無言のままだった。だけど、肯定しているようにも思えたので私はこう提案した。
「でしたら、一緒に入りましょう」
「いや結構」
「いいのよ、このままじゃ嫌でしょ?」
エビリスくんは少し赤面し、断る。歳頃というものだろうか。しかし、汚れたまま過ごすのは無理なので私は強引にでも彼をお風呂に入れることにした。
服を脱がすと彼の体は案外鍛えられており、筋肉もしっかりとしていた。その全身にバランスよくついた筋肉を見て私は驚いた。
彼を風呂場に入れたあと、ジャージに着替えて私も風呂場に入る。
私はシャワーで彼の全身に付いた汚れを洗い流す。髪もシャンプーを使って丁寧に洗うと綺麗な茶髪が露わになる。血塗れでよく見えなかったが顔も整っていて美青年と言える。
「泡……」
エビリスくんが一言漏らす。
「シャンプーとか初めて?」
「初めてだ」
「地方では使わないのかしら」
「生まれた時からあの森だったから何もかもが初めてだ」
「え? 生まれた時から?」
私はエビリスくんの体を泡立てて洗う。その泡を物珍しそうに見つめるエビリスくんに私は少しドキッとしてしまった。
こうやって男性の体を女性が洗うというのは何か
「その……気にするな」
そういってエビリスくんが顔を背けた。
その言葉の意味が私にはよくわからなかったが、私は彼の体をシャワーで流す。
「あとは湯船に浸かって疲れを癒してね。私は服を洗濯してくるから」
「恩に着る」
私は風呂場から逃げるように出た。
「……何やってんだろ。私」
教え子と同じくらいの子にドキッとしたのは初めてだった。別段子供が好きというわけではない。いや、でも結婚できる歳だし……
考えることがどれも変なことだ。しかし、そういったことが次々と頭を過っていく。
鏡に映る酷く赤面した自分の顔を一瞥しながら、私はエビリスくんの服にこびり付いた汚れを手洗いで洗濯するのであった。
◆◆◆
俺は「なんだ、あの女は……」と思いながら湯船に浸かることにした。
全く人間というのは複雑だな。
湯船から溢れるお湯を見て回想する。
魔王であるエビリスの名を聞いて抱きついてくる女、そしてその女を欲情した目で見る穢らわしい男。ここまで変な生き物だとは思っていなかった。
それにしても人間の文明とは進化したものだ。このシャンプーとやらは汚れを落とすよう配合されたものだろう。俺は先ほどの女がやっていたようにボトルの頭を押す。すると適量の液体が出る。
「ふむ、これが俺の体を洗ったものか」
その液体を手でいじるとすぐに泡で溢れてくる。
「これはすごいな」
おまけにこの液体には香料が含まれているようで心地よい匂いが風呂場に漂う。これが先ほどまでの血生臭い空間を消し去ったのだ
さらにこの金属の塊から水が出てくるのが不自然だ。どんな仕組みで動いているのかわからない。魔法を使っている様子でもなかった。
その金属の塊を捻ると温水が出てくる。温かい温度に設定されたお湯は体を癒してくれる。ここまで文明レベルが上がっているというのは驚いた。
この建物も洞窟を出た時にもいくつもあった気がした。この地域にはこういった建物が多くあるのだろう。
見た目は蔵のようなものだが、おそらく上級職の家のものなのだろう。あの女性もきっと身分が高いはずだ。
「湯加減はどう?」
別の部屋で洗濯をしていた女性が脱衣所に戻ってきた。
「ちょうどいい」
「よかった。出たところに服、置いておくからね」
そういって脱衣所から出ていく。
俺も少しすると湯船から出て、体をタオルで拭く。服を見てみると先ほどまで赤黒くなっていた服が新品のように綺麗になっていた。
使い物にならないと思っていたが、ここまで綺麗になると驚きを隠しきれない。
服を着込むと今まで以上に柔らかく、先ほどのシャンプーと同じように石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。
脱衣所から出ると先ほどの女性が待っていた。
「早かったのね」
「名を聞いていいか?」
名前を聞き逃していたため、ここで聞くことにした。
「ミリア・ユードレシアよ。みんなからはミリア先生と呼ばれてるの」
確かさっきの小汚い男もそう言っていたか。
先生と呼ばれると言うことはそれなりの実力者なのだろう。人間とはいえ、この時代の先生だ。敬意を払う必要がある。
「ミリア先生、か。どうして俺を助けた?」
「それは、当然のことよ。私は魔法を使える数少ない存在、市民を守る義務があるの」
魔法が使える人間は特別視される。どうやら今の時代でも変わらないようだな。
「魔法使い……ところで、俺の名だが」
「エビリス・アークフェリアよね。かっこいい名前だと思うよ」
ミリア先生は俺の頭を撫でながらそういった。やはり魔王の名前だとは知らないようだ。
魔王の存在が千七百年もない状態が続けばそうなるのだろうか。
「俺もいい名だと思っている。今日は疲れたのでもう寝る」
「ご飯は? お腹空いてない?」
「腹は空いているが、もう限界だ」
俺は奥の方に向かおうとすると、ミリア先生が引き止める。
「あ、ちょっと待ってね。ベッド一つしかないから」
「一つで十分だ」
いくら魔王だったといえ、今は普通の人間の体だ。当時の体では一つのベッドでは収まらないだろうが、今は大丈夫だろう。俺の身長はミリア先生より少し背が大きい程度だ。
ミリア先生は少し慌てたように俺の手を引き止める手を離した。
「……エビリスくんがいいのなら」
「どうかしたか?」
「な、なんでも。ベッドは奥の部屋だから」
そういって酷く赤面したミリア先生は脱衣所へ急ぎ足で向かうのであった。
なんともわからない人だ。
奥の部屋に向かう。
その部屋は明かりがなく、とてもじゃないが人間の目では何があるのかわからない状況だ。
「光源魔法の一種か」
そういって部屋全体に魔力を張り巡らせる。
しかし、何も起きない。
「光源魔法ではないのか?」
俺がいくつか魔法を試していると背後からミリア先生が急いでやってきた。
「ごめんね。電気の場所わからないよね」
ミリア先生が俺の左横にある突起物を触り、部屋の明かりがつき始めた。
タオルを巻いた姿で少しでもずれると見えそうな危ない状態だが。
「じゃ、ごゆっくりと」
ミリア先生はそのまま風呂場へと入っていった。
「なるほど、魔力を入れる場所があるのか。効率を高めるためだろうな。確かに理にかなっているな」
俺はベッドに入る。ベッドはかつての固いものではなく程よく弾力があり、俺の体に合うように沈み込んでいる。
体への負担が少なく、寝心地の良いものだ。
寝返りを打つと程よくミリア先生の匂いが鼻腔をくすぐる。なぜかそれが安心感を与えてくれる。
今日は疲れたのか、俺はすぐに寝込んでしまった。
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