ラムネ

三毛猫マヤ

ラムネ

 ファーストキスを奪われたのは、小学4年生の時だった。


 奪った相手は、残念ながらクラスのイケメンの勇人君ではなく(もしそうだったらそうで、翌日から他の勇人ファンたちに取り囲まれそうだけど)休日に母親に連れられているのを時々見掛ける、女の子だった。

 私が児童本のシリーズものの新刊を探している時、女の子が母親を呼ぶ声がすぐ近くで聞こえた。

 母親は友達とのおしゃべりに夢中なようで、全然気付く気配がない。

 女の子は、背の低い棚から一冊の絵本を取ろうとしたが、ぎゅうぎゅうに詰まった棚はびくともせず、母親にも気付いて貰えずに途方に暮れていた。

 見かねた私は声を掛けた。

『ねぇ』

「ひゃっ!」

 知らない人に急に声を掛けられ、ビクッとして女の子が振り返る。

『絵本、取ってあげる』

「ほえ? いいの?」

 女の子が驚いて大きな瞳をぱちくりさせる。

『うん、この本だよね…………はい』

 絵本を引き抜いて女の子に差し出す。

 女の子がわああぁっ、と大きく口を開いて目を輝かせる。

 小さい子って、こんなに素直に感情表現ができるんだな、と内心感心しながらクスッと笑った。

 女の子は大きな絵本を大事そうに胸に抱き、ふにゃ……と頬を緩めてお礼を言った。

「おね~ちゃん、ありがと~!!」

『どういたしまして、それじゃあね』

 そう言って立ち去ろうとすると――ぎゅっ。

 カーディガンの裾を握られる。

「おね~ちゃん、おめめをとじて、しゃがんでくれる? おれいしたいの」

 言われた通りにして、目を閉じる。

 なにかな?と不思議に思っていると。

「ちゅ……」

 ぷにぷにした柔らかいものが唇に押し付けられた。

 え……?

 目を見開くと、無邪気な笑顔を浮かべた女の子がいた。

「あたしのふぁうすときす、おねぇちゃんにあ~げたっ!」

『そ、そっか、あ、ありがとー……』

 内心の動揺を隠せず、棒読みのセリフでしか返せなかった。

「ね、おててだして」

 コロコロと、手のひらに小さな球体が3つ転がった。

 ラムネ菓子…?

「あたしがいま、いちばんはまってるおかし、おいしいよ! それじゃ、あたし、もういくね」

 鼻唄を歌いながら、女の子はペタペタという足音と共に去って行った。

『……』

 私は手近にあるイスに座ると、頭を抱えた。

 私は年端のいかない名前も知らない幼女にファーストキスを奪われたのだった。

 マジかぁぁぁ……。

 ファーストキスっていうのは、もっとこう、なんてゆーか、特別……な物で、初恋の相手とか、お互い好きな人同士の気持ちが高まった時に、こう……ちゅっ……とかして、お互いに照れちゃったり……してぇ……。

『うぅぅ……ぐすっ……』

 田舎の図書館の片隅で、私は人知れず静かに涙を流したのだった……。



         *



 高校1年生の雨宮紬あまみやつむぎと大学2年生の私、優希汐莉ゆうきしおりが知り合ったのは、ちょうど1年前だった。

 中学3年生の紬は塾が休みの日に私のバイト先である市立図書館でよく受験勉強をしていた。

 自習室を借りる時に話をするようになり、私が通っていた高校を目指していることを知って、なんとなくその場の勢いで連絡先を交換した。

 はじめのうちは月に数回程度のやりとりだったが、受験の相談やアドバイスをするうちに頻度は増してゆき、夏にはお互いの事を紬ちゃん、汐莉さんと呼びあって、ほぼ毎日スタンプを送ったりして連絡を取り合っていた。

 眠れない夜には不安な気持ちに寄り添って、さりげなく励ました。


 受験の数日前、紬は自習室で最後の仕上げを黙々とこなしていた。

 閉館時間5分前に彼女は自習室のタグを渡しながら言った。

「後は、本試験までの間、自宅で勉強しますので、それまでさよならです」

 試験が目の前に迫っているためか、ぎこちない笑みを浮かべ、それだけ伝えて去ってゆく。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう……。

 俯いて自問自答する。

 エプロンのポケットに突っ込んだ手を握ると、カサリと音がした。

 紬は今まであんなに一所懸命に努力してきた。今だっていっぱいいっぱいな表情をしていた。私がこれを渡すことは、彼女の気持ちに踏み込む事になる。

 その事で彼女のぎりぎりの心が壊れてしまうのではないか。

 そう考えると、足元がすくんでしまい、動けなくなってしまう……。

「なあ、汐莉ちゃん」

『……あ、は、はい。何ですか田村さん』

 考え込んでいる時に声を掛けられてワンテンポ遅れて返事を返す。

「自習室を閉めてたら、ハンケチが落ちてたんだが」

 柴犬と白い花のイラストがプリントされたピンクの可愛らしいハンカチだった。

 以前彼女が使っているのを見たことがある。

『それ、紬ちゃんのです』

「そうか、やっぱりねぇ。これ、彼女に持ってってやんな」

『え?で、でも、もう間に合わない…かも』

 辛そうな紬の笑みを思い出して、つい適当な言い訳を言った。

「汐莉ちゃん」

 田村さんが穏やかな口調で口を開く。

『は、はい』

 私はなんとなく居住まいを正した。

「今日は、朝からずっとそわそわしてるね。さっきだって、紬ちゃんの背中を目で追ってさ。何か、伝えたいことがあるんじゃないのかい?」

 私は立ち上がった。

『……あ、あの、ハンカチを紬ちゃんに渡してきます』

 カウンターを抜けて入り口へ駆ける。

「汐莉ちゃん、忘れ物」

 田村さんが私の荷物を渡してくれる。

『え…でも、まだ片付けが……』

「いいから、後は私がやっとくよ。だから、ちゃんと伝えて来なさい」

『ありがとうございます!』

 頭を下げて、再び駆け出した。


 走り始めてすぐに、息が上がってくる。

 元よりインドア派で、高校卒業以来、運動なんてものは全くしていなかった。

 なんとか到着すると、紬はスマホの画面を見つめたまま、佇んでいた。

 私の荒い呼吸に気付いた彼女が驚いてこちらへ歩いてくる。

「汐莉さん、どうしたんですか?そんなに急いで」

 私は呼吸を整えると、作業着のエプロンからハンカチを取り出した。

『紬ちゃん、これ…』

「あ、私のハンカチ……ありがとうございます。これを届けるために、わざわざ走ってきてくれたんですか。無理させてごめんなさい」

 紬が申し訳なさそうにハンカチを受け取る。

『まあ、それだけじゃあないんだけどね』

「?」

 紬が小首を傾げながらハンカチを折り畳もうとして、ガサリッ。

 何かが挟まっているのに気付いた。

 彼女がハンカチを拡げた。

「これは……」

『その、今更こんなのいらないかもだけど受け取ってくれる?』

 紬が紙袋を開ける。


 白い犬のキャラクターが描かれたお守りで、学業成就の文字。


『その……紬ちゃんが勉強を頑張ってるのは十分わかってるから、頑張ってとは言わない。でも、ここまで頑張ってきたことをやりきって欲しい。


 その結果がどちらになろうと、私はあなたの気持ちに寄り添うから…。

 うれしい結果なら、笑い合おう。

 悲しい結果なら、泣き止むまで隣に居るよ。


 それだけ、伝えたかったの。

 私は一緒に行けないけど、辛くなったらこのお守りを見て、私を思い出して欲しい……その、頼りないだろうけどさ』

 途中から恥ずかしくなってきて、背中を向けてあははっ、と照れ隠しに笑った。

「…ぉり……さん」

『はい』

「……っく、し…しお……りさ…」

 しゃくりあげる声を聞いた気がして、振り返ろると――紬が私の胸に抱きついてきた。

『つ、紬…ちゃん?』

「うぅぅ……汐莉…さんの、バカぁ……」

 ええ?な、何で?

 ぎゅっ。腕が回される。

「そ…なこと……言わ…たら…涙……出てきちゃう…じゃん……う、うぅうぅ~……」

『わぁ、ご、ごめん……ただでさえ受験を控えて苦しい時に、こんなプレッシャーになるような話して……ちょ、泣かないでぇ~』

「無理、だよぉ……」

 泣き止むまで彼女の頭や背中を撫で続けた。



『落ち着いた?』

 ベンチに座らせた紬が赤い目を張らしながら小さく頷く。

 夜のとばりが訪れた空に、朧月が昇っていた。

『紬ちゃん、ほら見て見て!月が綺麗だよ』

 紬に笑顔を向けると、彼女は何故か頬を染めていた。

「?!……っ、そ、そう…ですね……」

『朧月、綺麗だよね、大好き』

「あ、わ、私……も、大好きです。し、汐莉さんの……」

 最後の方の声が小さ過ぎて聞こえなかった。

 俯いて指先をいじいじする紬はぎゅっとしたくなるくらい、可愛いかった。

『じゃあ、家まで送るね』

「いえいえそんな、大丈夫ですよ」

『いいからいいから、お姉さんを助けると思ってさ』

「どういうことですか?」

『田村さんに紬ちゃんへハンカチ届けろって言われたんだ。その時、私がバイトあがれるように、カバンまで持たせてくれてさ。多分、ちゃんと最後まで紬ちゃんを見届けろって、事なんだと思う』

「そうなんですか。あの人、気が利きますね」

『うん、すごいんだよ。私が退屈で昼寝してると、わざと大きな咳払いして顔を洗ってくるよう促すんだ』

「え、汐莉さんバイト中に居眠りしてるんですか?」

 紬が呆れたような視線を向けてくる。

『あ、あー、いや、眠りそうになった時、かな?』

 頭をかいて、てへへっと笑う。

「はあ…なんか汐莉さんの今後の社会人での生活が心配になってきました」

 中3に心配される大学生って…。

『あのさ、紬ちゃん』

「はい?」

『受験、終わったらさ……その、どっか一緒に遊びに行かない?』

 少しの間の後、紬がゆっくりと頷いた。

『ほ、本当に?』

「は、はい……私で良ければ、よ、よろしくお願いします」

 やった! 紬ちゃんと初めて遊びに行ける!

『じゃあ、受験終わったらいつにするか決めよう!』

「はい。あの、それって……で、デート……って、ことです…よね?」

 わーい! わーい! …って、え? デート?

 驚いて紬を見る。

 ぱちっ! 視線が合うと、彼女はさっと視線を反らして、髪をさっさっと、整える仕草をしながら、拗ねたような声を出す。

「だ、だって……さ、さっき、こ、告白してきたじゃないですかぁ……」

『え…?』

「え…?」

 微妙な沈黙が流れる。

「……夏目漱石…」

『へ?』

 何でここで糖尿病まっしぐらな食生活をしていた文豪さんが?

「はあ……汐莉さんは図書館でバイトしてるのに、普段何を読んでいるんですか?」

『え? あー、画集とか、手塚先生の漫画やラノベの新刊とか?』

「……何でこんな人採用しちゃったんですかね。ま、いいです。私の実力で勝ち取ってみせますから、覚悟しておいてくださいね!」

『おおー! 紬ちゃんの受験勝利宣言!!いーじゃんやっちゃえー!』

 何故か紬は落胆した表情を見せる。

「……朴念仁」

『へ?』

「何でもないです」

 ため息をひとつした彼女は伸びをしながら立ち上がるとスカートについた砂ぼこりを払った。

「それじゃあ、帰りますか」



          *



 受験が終わった日、私はすぐに汐莉とデートの約束をした。

 翌日、私は彼女と初デートをした。

 買い物をしたり映画を観たり、ゲーセンでエアホッケーを楽しんだ帰り道、公園に立ち寄った。

 星空の下、私は汐莉に告白して、晴れて彼女と彼女の関係になった。

 私は受験勉強の間、汐莉と連絡のやり取りをする中で、次第に気持ちが惹かれてゆき、いつしか恋に落ちていた。

 落ちたその日から、受験勉強の休憩時間になる度にどうやれば彼女と距離を縮められ、好意を寄せられて、落とす事ができるのか。

 何度も何度も熟考を重ねに重ね、頭の中で1人2役のロールプレイを重ねた成果だった。



 春。私は晴れて無事志望校に合格した。

 高校に入り、まず始めに私がしたことは、学校側にある許可を取ることだった。

 それは……。


 バタバタバタという忙しない足音が聞こえる。私がブラウスを脱いで、Tシャツに手を伸ばしたところで、更衣室のドアが勢いよく開く。

「す、すみません! ち、遅刻しましたぁ~っ!!」

 汐莉が頬を真っ赤にして荒い息遣いで佇んでいた。

『おはよ、しおちゃん、田村さんなら、さっき2階の掃除してくるって言ってたよ』

「そ、そう……って、えぇっ!? な、なんでつむちゃんがいるの?」

 汐莉が私を見て絶句している。

 ふふ、ドッキリ大成功っ!!

『え? あぁ、言い忘れてた? 今日から私も一緒にここでアルバイト始めます。よろしくお願いします、先輩♪』



          *



 ある日の図書館。

 閉館後、私と紬の2人で地下の書庫の整理をしていた。

『……よっと、これでおしまいっと』

 最後の本を片付け終えると、どちらからともなく深い溜め息が漏れた。

「しおちゃん、お疲れ~」

『つむちゃんもね』

 書庫から戻ってきて壁掛け時計を見ると夜の9時を過ぎていた。

『ごめん、遅くなっちゃったね』

「ううん、大丈夫。お母さんには遅くなるって言ってたし。しおちゃん1人に書庫の整理は無理でしょ。しかし、田村さんたちといい、どうして他の人たちはみんな年配で、腰を痛めてたり持病持ちばかりなんだろうね。人事はもう少しそこらへん考えて欲しいわ」

『確かにね。あ、今日は自転車置いていきなよ、家まで車で送ってあげるよ』

「えっ……い、いえ、まだ命が惜しいので遠慮します!」

『むぅっ、どういう意味?』

「この前駐車するのに何回入れ直しましたっけ?」

『え、えーと、3回』

「ぶぶー、7回ですよ、7回! 何であんなにかかるのかな?」

『だ、だって、目の前を可愛い白猫が横切ったのよ』

「脇見運転ダメ絶対!! もう、返納したら?今なら表彰とかされるみたいだよ?」

『それは高齢者で長年安全運転された方に対するお疲れ様的なものだし、私、今年免許取ったばかりなんだけど』

「仕方ないですね、今度一緒に特訓してあげます」

『はい、お願いします』

 しゅんとする大学生と呆れ顔の高校生の図だった。

 と、犬の鳴き声の着信がして、紬がジーンズのポケットからスマホを取り出す。

「あ、お母さんからだ。ちょっとごめんね……もしもし。うん、え? 今日はアルバイトで遅くなるって前に言ったじゃん。今日家出る時にも置き手紙……あー、もしかしてシシマルがいたずらしちゃったかぁ……。で、悪いんだけど、これから迎えに来られる?……え? ちょ、ちょっとなにそれ! 聞いてないけどっ!! え? ああ、汐莉さんなら今一緒だけど……ん、わかった」

 紬がスマホを差し出してくる。

「しおちゃんごめん、母親たち今日都内の居酒屋で飲んで、そのまま泊まっていくみたいなんだ。何か話があるみたいだから、替わってくれって」

 初めて紬の親御さんとの会話……。

 うう、き、緊張する。

『……あの…もしもし』

「あら~、あなたが紬の彼女の汐莉さんねぇ~、どうもぉ~、うちの娘がお世話になってますぅ~!」

 耳に当てたら、スピーカーモードになっていて、危うくスマホを取り落としそうになる。

 なんとかキャッチすると、手近にある背の低い本棚の上に置いた。

「ねね! チューは? チューはもうしたのかしら?」

 私の前にスッと紬が割り込む。

「お母さん! いいからさっさと要件を言ってくれない? 私たちもう帰るんだから」

「はいはい~、汐莉さん、申し訳ないんだけど、今夜紬を泊めていただけないかしら?遅い時間に夜道を女子高生1人で歩かせるのは心配でして」

『あ、はい。私も、もともと家までは送るつもりでしたが、ご両親が居ないのなら、1人で夜を過ごさせるのは心配だなと、思ってました』

「ほんとにぃ~? 助かるわぁ~、紬からよく聞くんですよ~、汐莉さんは可愛くて、おっちょこちょいだけど、とっても優しいって……そうそう、この前娘の部屋を掃除していたら、枕の下から犬のお守りが……」

 ピッ!!

 紬がスマホを掠めとるとその勢いで切った。

「……ま、まったく…お母さんはすぐ余計な事ばっかいう…」

『あはは、とりあえず帰り支度始めよっか』

「……はい」


 更衣室に入り、書庫整理のために着用していたジャージから普段着に着替える。

 紬もラフな格好から学校指定のブレザーに着替える。

 館内の戸締まりを2人で確認して周り、玄関に着いた時、先程まで、ポツポツ降っていた雨が、本降りになってしまった。

「うそぉ……」

『マジかぁ…』

 唖然とする紬と、がっくりとうなだれる私。

 仕方なく入り口の見える玄関脇のソファーに二人して腰掛ける。

「……雨、止みそうにないねぇ」

『んー、天気予報だと後30分くらいはかかりそう』

 紬は本を取り出すと、気長に待とうと読み始める。

 私はスマホを取り出すとマンガアプリを起動した。


 …………

 ………

 ……




 こてん…。

 肩を見ると、紬が私に寄りかかっていた。

『つむちゃん、眠い?』

「んーん、べっつにぃ~♪」

 目を閉じている紬が、頬を少し染めてへへっ、と笑う。

 触れた所より伝わる体温。

 鼻腔を撫でるシトラスの薫り。

 私は彼女の肩にそっと手を乗せる。

『つむちゃん』

「なぁに、しおちゃん?」

『……好き……』

「うん…私も」

『私も?』

「だ、だから……お、おんなじってこと…」

『おんなじって? 何が?』

「そ、そんなの……い、言わなくても今の会話の流れでわかるでしょ」

『うん。でも、つむちゃんの声で、ちゃんと聞きたい……だめ…かな?』

 優しく訊ねると、紬がむうぅっと唸った後に、口を開いた。

「…しおちゃんの、いじわる」

『はっきり言わないつむちゃんもズルくない』

「も、もう…わ、わかったわよ。……その、わ、私もつむちゃんの事、好きよ……」

 頬を紅潮させて、俯きながら何とか応える。

 ちょっとからかい過ぎたかな?

『あはは、ごめんごめん』

「ダメ、許さない!」

『えー、じゃあどうしたら許してくれる?』

「そうね…ちょっと目をつむってくれる?」

『? なんで?』

「いいから、早く! いーい、絶対の絶対に目を開けたらダメだからね!」

『はいよー』

 目を閉じる、光が遮断された世界には雨の音がテレビの砂嵐のように耳にまとわりついて、周囲の音を遮断していた。

『つむちゃん?』

 返事がない、少し不安になってくる。

『いるよね?』

 早く目を開けて確認したい。

 しばらくして、声を出そうとした時――それは訪れた。



 熱い息を口に感じた。

 反射的に身を退こうとしたが、間に合わない。

『……んっ……』

 唇にしっとりとした温もりが触れていた。

 目を見開くと、艶っぽい紬の唇が目の前にあった。

 呆気に取られる私を見つめ、唇に人指し指を立てた紬がいたずらをした子供みたいな表情でクスリとした。

「えへへ、驚いた?」

 言葉が出ずに小さく頷く。

「しおちゃんのセカンドキス貰っちゃったね」

『う、うん…………うん?』

「だって、しおちゃん今までに彼氏とか、お付き合いした方は居ないでしょ』

『そう、だけど。もう少しオブラートに包んでくれないかな?』

「ごめんごめんご~♪」

 軽っ!緩っ!

『ところで、つむちゃんセカンドキスも?って、何の事?』

「え? あー、そこにひっかかっちゃう?流石だね~」

『あの、それはつまり……ファーストキスも……』

「ったく、しおちゃんてば、ぜーんぜん気付かないんだもん」

『えぇぇぇぇっ!!』

「ほら、これでも食べて落ち着いて」

 手のひらにコロコロした球体が転がる。

「私が今、一番はまってるお菓子、おいしいよ!」

 紬がニッと笑う。

 屈託のないその笑みは、幼ない頃の彼女の像と一瞬重なった。

「私、ファーストキスは、初恋の相手とするって決めてたんだ」

『……っ!!』

 その一言に、あの頃の私を思い出した。

 昔の自分に会えたら言ってあげたかった。



 あなたが奪われたファーストキスは、あなたの好きになる人のファーストキスなのよ。

 そして、10年後のあなたは、その子と恋仲に落ちるのよ、と。



 胸の奥から暖かな想いが溢れてくる

 ふと外を見上げると、雨はいつの間にか上がっていて、光がぼう、と夜空を照らしていた。


 私は彼女を見据え、口を開く。

『月が、綺麗ですね』

 2人して、声がユニゾンした。

 お互いに驚いて、照れ臭くなって笑い、そして……。








 10年後、両想いになった私たちは、3度目のキスをした…………。








――――――――――完―――――――――




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ラムネ 三毛猫マヤ @mikenekomaya

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