3.シンキング・タイム

 「柱に隠れている、“スライム”に戦おうとしているおじさんだけれど。あの人は勇気があるから、ああやっているんじゃないと思う」

 「じゃあ、なんであのおっさんは自分から化け物と戦おうとしてんだ?」


 俺が聞くと、俊は少し顔をしかめて、本当は他人にこんなことを言いたくないけれど、と前置きして言った。


「あの人は、人生から逃げてるんだよ」

「……え?」

 「あの人、少しの時間立ち上がっているだけなのに、息が切れていて、しんどそうだ。普段はずっと、家にいるんじゃないかな。つまり、とても戦えるような人じゃないよね。

 それなのに、“勇者”の発生の警報前から、あの人は積極的に“モンスター”と戦おうとしていたんだよ。明らかに自殺行為だよね。多分あのおじさんは、自分の人生がそんなに、好きじゃないんだと思う」


 俺は柱の陰に隠れる男を見た。何かぶつぶつとつぶやきながら、アーミーナイフを“スライム”に突き刺す練習をしている。その様子は大げさに芝居がかっていて、俺はそれが、男が自分の脳内で繰り広げている都合の良い妄想なのだと気が付いた。

 男は、現実を直視していない人間なのだ。成人なのにアーミーナイフを持ち歩いているのも、その幼さを象徴していた。彼は自分の人生を恐れている。“モンスター”に向かおうとしているのは、勇気からではなくその恐怖による逃避の結果だ。


 「それに、警備員の人が走っていたのは、おばあさんを助けるためじゃなかった。“スライム”が見ているとか見ていないとか関係なく、パニックになって逃げようとしていた」

「なんでそんなこと、わかるんだよ」

「タイミングの問題だよ。おばあさんが倒れる前に、警備員さんは叫んで逃げだしていた。おばあさんが倒れたのは、あの人の叫び声に驚いたからだよ。」


 俺は警備員のほうに目を向ける。男は目線をあちこちにやっていて、俺はそれを“スライム”と戦う機会を探していると思ったが、実はただパニックになっているだけだった。

 俺は、さらに俊の仮説を裏付ける証拠を見つけた。男は、「MOCOA」の通知に気づいていなかった。男はそばのスマホがギラギラと出している通知に気づかないほど、うろたえていた。あの男が“勇者”だとは、俺はもう、信じられなくなった。

 つまり――


「僕か、君だよ、“勇者”なのは」



 俺はビビっている。俺はあの“スライム”が、女を圧殺する瞬間を見た。その音を聞いた。男が戦いを挑み、自滅して全身まる焦げになって死ぬのを見た。その臭いは今もこの店内に立ち込めている。

 自分が“勇者”だろうが、なんだろうが。“モンスター”に立ち向かうことを考えただけで、膝が震えた。吐き気を感じた。耳をふさいで目を閉じて、その場にうずくまりたくなった。


 俊を見る。奴もおびえて、目の端に涙を浮かべているのが見えた。

 だけどこいつは、自分が“勇者”だとしたら、そうじゃなくてもだれかを助けられるとしたら、迷わずに行くだろう。


『学校で仲間はずれなのは、悲しいけれど、だけどもっと悲惨なことが、世界では、いや、日本でだって起きているんだ』


『将来の夢』の発表の後、こっそりと俺がもっとうまくやれよ、と助言すると、俊は言った。


『僕はそういう人たちを救いたい。そのためには、勉強しなくちゃ。今の学校じゃ、それが、すこし、難しい』


 俊はそう言って、やがて学校に来なくなった。このクソみたいな田舎の学校には、奴のことを評価できる人間がいないからだ。

 もっと学力が高い、それは偏差値のことじゃなくて、勉強をしていることがダサい、仲間への裏切り行為を意味する環境じゃないような場所に行けば、俊はきっと、受け入れられる。

 そう、例えば――


「お前、俊英受けるのか。通りそうか。」


 俺の言葉に、俊は怪訝な顔をする。いまそれは、話をするべきことか?とでもいうように。奴の疑問はもっともだ。俺だって自分に、急に何を言い出しているんだ、とあきれているところだ。

 だけど俊はそれを口に出したりはしない。丁寧に、聞かれたことに対して答える。


「うん。通りそうだよ」

「そうか、よかったな」


 俊は自分に“勇者”の可能性があれば、“スライム”立ち向かっていくに違いない。そして、間違っていれば、奴は死ぬ。

 俺はその光景を想像する。俊がぶきっちょな動きで走っていき、簡単に“スライム”に返り討ちにされ、殺される。色白の肌の上に血が流れ、くせ毛からは頭蓋がはみ出ていて、瞳からは輝きが失われる。

 それに、もし俊が“勇者”だったとしても――


「俺が、“勇者”だよ」


 俺は言った。


「お前は隠れていろ……いじめられっ子でモヤシのお前が、“勇者”なわけがないだろ。なら消去法で、俺が、“勇者”だ」


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