2-8 だだだ大統領になったらみたいに言うな
8
夏姫先輩との秘密の会合があった翌日の放課後。いつものように俺は逸花と食堂に集まった。
それで何をしていたかと言えば、ゲームだ。つまり俺たちは、今日もネタ作りをやっていない。
何の進歩もないように見えるかもしれないが、今日は少しだけ違う。あくまで今日は、俺の意思で逸花と遊んだ。
「ふー、今日も遊んだー」
校舎を出るなり、逸花はぐーっと伸びをした。
「結局、俺たち今日もネタ作りしなかったな」
「うーんと、そのことなんだけどさー」
逸花は顔を背けながら言う。
「ちょっと、言いにくいんだけど……」
「うん……どうした?」
「--・-・・・・・-・-・」
「モーレス信号で言われてもわからんて」
「えっとさ、やっぱりさ、私にはムリだなって。真白も私と一緒にいて、心の底からダメなヤツだってわかったでしょ? 夏姫先輩にギブアップ宣言して、みんなでネタ作りしよーよ。私はやっぱり、みんなとワイワイやるほうが好きだもん」
「……そっか」
とだけ俺は答え、駅へと向かって歩き出した。
俺は自転車通学で、逸花は電車通学だが、俺はいつも逸花のことを駅まで送り届けている。
駅に到着し、いつものように、逸花がバッグから定期入れを取り出した。
「ほんと、ポンコツでごめんね。ギブアップすることは、私から夏姫先輩に言っておくから」
「うん。わかった」
「それじゃ、また明日ね――あ、明日は日曜日だから、次に会うのは月曜日か」
「そうだけど……電車が来るまで、ポンコツ勇者やらないか?」
「え? どこで?」
「待合室で」
逸花は電光掲示板を見上げて、「うん、いいよ」と頷いた。電車が来るまで、あと十五分あった。
俺と逸花は待合室に入って、オレンジ色の背もたれの椅子に座った。
「それにしても、このゲームほんと面白いよな」
「ね! 真白がハマってくれて嬉しいよ」
「最近じゃ、俺の妹までハマってる。逸花は、お姉ちゃんとはやってないのか?」
と訊くと、逸花の表情がわずかに曇った。
「お姉ちゃんたちは、私とは遊ばないよ」
「誘ってみたら?」
「だって私と違って真面目だもん。それに二人とも大学生で、家にいないし」
俺たちの前には、待合室の壁があるだけだった。その壁に向かって、逸花はぼんやりとした表情で語り続ける。
「私さ、小さい頃から習い事ばっかりで、友達と全然遊べなかったんだ。友達も少なくて、どこにいっても私は一人だった。家でも、学校でも」
逸花が手に持つスマホは、すでにポンコツ勇者のアプリを起動していたが、逸花は壁に向かって話し続けた。
「小学校二年生のときだったかな、クラスの女の子に、誕生会に誘ってもらったの。あんまり仲良くない子だったんだけど、いっぱい人を呼びたかったみたいで、私にも声がかかった。私はすごく嬉しくて、絶対に行きたいと思ったんだけど、その日はバレエの練習の日があったんだよ。だから断らなきゃいけなかったんだけど、『来てくれるよね?』って訊かれたとき、思わず私は頷いちゃったんだ。てへ」
逸花は、わざとおちゃらけた調子で言った。
「さてここで問題です。私は誕生会に行ったでしょうか。それともバレエの練習に行ったでしょうか」
「誕生会に行ったんじゃないかな。なんとなくだけど」
「おぉ、すごいね。大正解。あとで大変なことになるってわかってたのに、私はその子の誕生会に行ったんだ。ちゃんとプレゼントも買ってね。でも、その子は普段仲良くしてた子とばかり話してて、私は部屋の隅で、みんなが楽しそうにしてるのを見てるだけだった。その子も悪い子じゃなかったから、私に色々と気を遣ってくれたんだけど、最後まで私は輪に入ることはできなくて。それに、私は後でお母さんに死ぬほど怒られることがわかってたから、ずっと不安でいっぱいで、余計に楽しめなかったよ」
「……実際、怒られたのか?」
「そりゃあ、怒られたよ。あのときはいっぱい泣いた」
と逸花は、泣き顔のような笑みを浮かべた。
「ほんと、私はダメダメのダメ人間なんだけど、私なりに頑張ってはいたんだよ。一番頑張ったのは、小学校三年生のときのピアノの発表会かな。この日はお父さんとお母さんだけじゃなくて、おじいちゃん、それにお父さんの知り合いも見に来ることになってたから、毎日頑張って練習したんだ。私が失敗したら、お母さんとお父さんが恥をかいちゃうと思って」
逸花は、痛みに耐えるかのように、わずかに額を曇らせた。
「……それなのに、あれだけ頑張ったのに、本番で私、緊張で固まっちゃったんだ。頭が真っ白になって、何も弾けなくなっちゃったの。自分のこと、ほんとに嫌いになったらし、すごくショックだった。私、その後の記憶が一切ないもん。気づいたら今になってた」
「……それはさすがに嘘だろ」
そうツッコむので精一杯だった。
「ピアノの発表会のあと、お母さんは私を怒ったんじゃなくて、ただただ悲しんでた。そのときに私、思ったんだよ。どうせ私は期待に応えられないから、これ以上期待しないで欲しいって。私のせいで、誰かが悲しむのはイヤだった」
「……そうだったのか」
俺が逸花にネタ作りをやろうと持ちかけると、『急に世界が灰色になった』とか世迷い言を口にしていたが、案外ネタじゃなかったのかもしれない。
自分に期待されると、逸花はピアノの発表会のときを思い出してしまう。
「だから、ごめんね。きっと真白も、少なからず私に期待してくれてたと思うし、私も応えたかったけど、やっぱりムリだよ。私には背負えない」
逸花が立ち上がる。そろそろ電車が来るらしい。
「なんか、変な話してごめんね」
「いや、そんなことないよ。話してくれてありがとう」
逸花はほんの少しだけ微笑んで、待合室から出ていく。
「ほんと……期待させちゃって、ごめんね」
逸花は俺を振り返らずに、改札を通り抜けていった。
「……逸花の才能を、コントロールしてあげられなくてごめんな」
俺は一人呟く。
やっぱり俺は、間違えてたんだと思う。
逸花のめんどくさがり屋な部分を、直さなければいけないと思ってた。若干ムリヤリでもいいから、ネタを書かせるべきなんじゃないかとも思ってた。
全部間違いだった。そう確信した。
どうして人は、人の悪い部分を直さなければいけないと思ってしまうのだろう。どうしてそんなクソみたいなお節介を焼きたがるんだろうな。他人の箸の持ち方にさえ、言及したくなるのはどうしてなんだ。
人は多分、無意識のうちに、自分の理想を他人に押しつけたり、要求している。
他人の個性を尊重して、それを生かしてあげることが、もっとも大事なことなのに。
逸花のめんどくさがり屋は、たしかに異常だ。でも、この世界で逸花の居場所がないかといえば、そんなことはない。逸花は色んな人に愛されている。実際に俺だって、一週間近く毎日逸花といて、散々振り回されたが、前よりも逸花のことが好きになっている。
ボケたがりの彼女たちに、愛のあるツッコミをお願いね――。
どうして俺は、こんな大事なお願いを忘れてしまっていたんだろうな。
「さて……行くか」
俺は走り出した。
スイカをタッチして改札を抜け、ホームへと急ぐ。閉まりかけていた電車のドアを手で押さえ、ATフィールドを破るエヴァ初号機のように、豪快にドアを開いた。
逸花の姿はすぐに見つかった。空席が充分にある車内で、一人だけ、隅っこに立っていたから。こちらに背を向けているため、俺には気づいていない。
「逸花――」
と声をかけると、
「うえ!?」
驚いた声とともに、俺に振り返った。
「どどど、どうしてここにいるのー!?」
「だだだ大統領になったらみたいに言うな」
「これはボケじゃないよ! なんで真白が電車に乗ってるのさ!」
「間違えたんだ」
「え?」
「間違えて乗った」
キョトン、と俺を見ていたが、
「あははは」
逸花は笑い声を上げた。
「ボケ一つのために、そこまでするのー?」
「俺、ボケるのが絶望的に下手なんだよ」
やっぱり俺にはボケはできない。
「ボケついでに一つ、逸花に言っておきたいことがある」
電車が、ゆっくりと動き出した。
「やっぱり、今回のネタ作りは俺たちでやりたいんだ」
逸花が失敗を怖がってたことを、俺は軽視しすぎていた。
逸花が負けを恐れていることは、初日からわかってたのに。
俺が全国チャンピオンだからゆえ、逸花の気持ちに寄り添ってやれなかったんだ。
「俺、正直に言うけど、負けたらどうしようとか、この五日間で考えたこと、一度もなかった。そんな心配はハナからしてないんだ。ぶっちゃけ、全国レベルで戦ってきた俺からすると、演劇部は敵じゃないんだよ。眼中にないんだ」
ああ、言ってしまった。俺つえーを発動させてしまった。
「全国チャンピオンの俺がいるのに、どうして逸花は負けることを考えてるんだよ。俺、そんなに信用されてないのか?」
俺がそう言うと、逸花は困った顔をして、ぶんぶんと首を振った。
「違うよー! 真白はすごいよ。でも……組んでる私がポンコツだから……」
「ポンコツじゃない。正直、逸花が全然ネタ作りをやろうとしないことに、ちょっと腹を立てたことはあったよ。お笑い研究部のみんなことが、好きじゃないのかとも疑った。でも、そうじゃかったんだ。逸花は本当にお笑い研究部のみんなが好きだからこそ、ネタ作りができなかったんだって、ようやくわかったよ。もしも失敗したら、大好きなみんなを困らせることになるから」
「……そうだね」
「最初の話に戻るけど、失敗なんて最初からない。演劇部には悪いけど、圧倒的な勝利ってヤツが待ってるだけだ。だから逸花には単純に、思いっきり、楽しんでほしい」
俺の思いは、逸花にちゃんと届いていると思う。逸花は俺の話を、静かに、頷きながら聞いていた。
「俺、逸花とやりたいコントがある」
「……なんのコント?」
「ポンコツ勇者のグダグダ冒険記だよ」
俺たちが、この五日間夢中になって遊んだゲーム。
逸花は、自分の好きなものにはとことんのめり込むタイプだ。だったら話は単純だ。好きなことをさせればいい。
なんで俺はこんな単純なことに気づかなかったんだ。
「あれをそっくりそのまま、コントにするんだよ」
「うわぁ……。面白そう……」
目をキラキラさせて、逸花は大きく頷いた。
その仕草を見て、俺は安堵すると同時に、胸が熱くなった。
「どうしても俺はあのコントをやりたい。力を貸してくれないか」
「私もそれやりたい!」
「あの世界観を知ってる俺と逸花なら、あっという間に台本は完成すると思う」
そこで電車が停車した。
「私ここで降りるけど、真白はまだ時間大丈夫?」
「ウチは緩いから全然大丈夫だよ」
「じゃあ、ちょっとだけやろうよ!」
「逸花は大丈夫なのか? 怖いお母さんがいるんじゃないの?」
「全然平気だよー! お母さんは私のこと、とっくに見限ってるから、最近じゃなにも言われないもん」
「そんな悲しいこと、満面の笑みで言うなよ」
電車を降りて、改札を抜けた先に、ベンチが置いてあった。そこに俺と逸花は腰かけてノートを広げた。
「最初のシーンはね、勇者が部屋でゲームしてるところがいいと思うの。髪とか寝癖だらけで、めちゃくちゃだらしない感じで。その陰でね、黒子の格好をした人たちが、無線みたいなので連絡を取り合ってて……」
と、逸花は次々とアイデアを出す。
まるでゲームをやってるときのように、時間を忘れて、夢中になっていた。
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