2-7 これ訴えたら勝てるやつだろ

7


 ヒントのようなものは得られたものの、だからといってすぐに状況は打開できなかった。

 

 結局この日も、俺は逸花と遊んだだけで、台本は何も進まなかった。


「どうすればいいんだろうな……」


 自室のベッドに寝転がり、天井をぼんやりと眺めていると、スマホにLINEの通知が入った。


 きっと夏姫先輩だろう。


 スマホを手に取ると、やっぱり夏姫先輩だった。


『真白くん、おつかれ! 月曜日に間に合いそうかな?』


 その返信に困っていると、すぐにまた通知が入った。


『ちょっと話そうか。真白くんと私、たしか近所に住んでたよね?』


「え!?」


 突如先輩と会う流れになり、俺は慌てて体を起こした。


 現在の時刻は夜の九時だ。


『招き猫公園ってわかる?』


 俺は高校入学を機にこの地域に引っ越してきたから、あまり土地勘はないものの、その公園ならわかる。俺の家から自転車で五分程度の距離にある。


『私の家、その公園の目の前だから、来てももらえるかな?』


『すぐ行きます』


 俺は返信するなり着替え、家を飛び出した。


「貴様、この夜更けにどこへ行くのじゃ」


 頭のおかしい妹を無視して。


 ◇ ◇ ◇


 公園の真ん中に、大きな招き猫が置いてある。お腹のところが階段になっていて、それは猫の口へと続いている。猫の背中側は、背中と尻尾をなぞるように滑り台となっていた。


 夏姫先輩を待つ間、俺はベンチに座りながら、巨大招き猫を意味もなく眺めていた。何度も何度もため息をつきつつつ。


「おーい、真白くーん」


 その声が聞こえ、立ちあがる。


「お待たせ」


「いやいや、おかしいでしょ」


 どういうわけか、先輩はカエルの着ぐるみを着用していた。カエルの顔を模したフードがついている、ドンキホーテに売ってそうなヤツだ。


「これ私の部屋着なんだ。ほんとに。ボケじゃなくて」


「似合ってますね」


「でしょ?」


 と夏姫先輩はニコリと笑う。


 少しだけ冷たい風が吹く。


 先輩の優しい笑みと冷たい風は、俺の胸にやけに響いた。


 先輩に嘘をついている罪悪感が胸の中で大きくなり、吐き出さずにはいられなくなった。

 

「……あの、先輩」


「うん?」


「……実は先輩に言わなくちゃいけないことがあって。その、あの……台本、まったくできてません! すみませんでした!」


 正直に告げて、俺は頭を下げた。


「夏姫先輩たちが準備を進めてくれてるのに、ほんと、不甲斐なくてすみません……! 俺、自分で五つくらい自分で書いたんですけど……全然面白くなくて」


 先輩は何も返さない。


 恐る恐る顔を上げると、先輩は白目を剥いていた。


「せ、先輩!?」


 ヤバい。


 立ったまま気絶してる。


「先輩! どうか気を確かに!」


 俺が肩を揺すると、先輩の目がぐりん、と元に戻った。


「なんちゃって。冗談だよ、冗談」


 先輩は白目を、自分でコントロールできるらしい。


 なにその特技。


「……びっくりしましたよ。泡吹いて倒れるんじゃないかと思って」


「泡吹いて倒れることもできるよ? 見ててね。せーのっ」


「やらなくていいです!」

 

 そんな姿見たくないよ!


「……ほんと、すみません」


「大丈夫大丈夫。こんなことだろうと思ってから。ははは」


 先輩はからりと笑った。


「今の真白くんの相方は、あの逸花ちゃんだもん。だらしなくて、怠け者のね」


「……俺、どうしたらいいか、わかんないんですよ。俺じゃネタを書けないし、逸花はヤル気を出してくれないし」


「逸花ちゃんの、ヤル気を妨げてるものは何だと思う?」


「……そんなものは、特にないと思います。逸花がコント作りを拒否し続けるのは、逸花の性格でしかないと思うんですけど」


「私はそうは思わないよ」


 夏姫先輩は優しい声色で、だがハッキリと断定した口調で言った。


「逸花ちゃんは、誰よりも私たちお笑い研究部のことも、お笑いも大好きなの。でもコント作りを自分からできないのは、理由があるんだよ。そんな逸花ちゃんを導くことができるのは、真白くんしかいない。そう思ったから、私は真白くんに逸花ちゃんを任せたんだ」


「……俺もなんとなく、逸花を導く方法に見当はついてはいるんですけど」


「逸花ちゃんと一緒にいた時間を、よく思い出してみて。逸花ちゃんの悪いところもあったかもしれないけど、良いところもあったでしょ?」


「……ありました」


 逸花は、自分が好きなことに関しては、誰よりも楽しそうにやる。それに、パフェを食べきった俺を、誰よりも誇りに思ってくれた。


 悪いやつじゃないってことは、俺もよーくわかってる。


 そりゃ、腹立たしいこともあったし、キレそうになったこともあったけど、それを上回って、逸花には天性の愛嬌がある。


「逸花ちゃんの良いところだけを見てほしいな。そうしたら、きっと真白くんはビックリすると思うんだ。逸花ちゃんの、とんでもない才能にね」


「とんでもない才能……ですか」


「私なんかとは比べものにならないくらい、すごい才能だよ」


 夏姫先輩は、逸花を思い浮かべてるのだろうか。目をつむって、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


「これは逸花ちゃんと、同じ中学校だった子から聞いた話なんだけど、逸花ちゃんって中学生のとき、毎日塾に通ってて、塾から帰っても家庭教師の授業を受けてたんだって。ようするに、勉強漬けだよね。それでもトップ校には行けなくて、そこそこの進学校の叶川高校に進学したらしいの」


「……そうなんですか」


「毎日勉強漬けだった逸花ちゃんは、あまり友だちがいなかったみたいで、クラスでも目立つ子じゃなかったんだけど……。でもね、中学三年生の文化祭のときに、すごいことをしたんだよ」


「すごいこと?」


「逸花ちゃんのクラスは喜劇をやったんだけど、みんなアドリブでふざけ合ってたんだって。そのとき、逸花ちゃんも一緒になってふざけてたみたいなんだけど、逸花ちゃんが群を抜いて面白かったらしいよ」


 誰もが逸花のボケに爆笑し、いつの間にかその喜劇は、逸花が中心になっていたという。それまで、あまり目立つほうではなかった逸花の豹変っぷりに、クラスメイトは驚いたそうだ。


「もしかして逸花が演劇部に入ったのって……」


「このときの喜劇が、本当に楽しかったからだろうね」

 

 逸花は、高校でも同じことをしたいと思って入部したが、演劇部は逸花が想像してたのとは違うものだった。だから演劇部をすぐに辞めたのだろう。


「逸花ちゃんがお笑い研究部に入ってきたのは、私たちが文化祭でコントを披露した直後。私のコントを見て、一緒にやりたいって思ったんだと思うよ」


「じゃあ、逸花のポテンシャルを引き出すには、みんなで一緒にやったほうがいいじゃないですか。どうしてネタ作りを、俺と逸花の二人に任せたんですか」


 夏姫先輩を責めるわけじゃないが、その理由を知りたかった。


 先輩が被るフードのカエルは、半開きの目で俺を見ている。少し目線を下げると、強い眼差しで俺を見つめる夏姫先輩の目があった。


「私が考えてるのは、逸花ちゃんのことだけじゃないんだよ。私は真白くんを、育てるために逸花ちゃんとコンビを組ませたの」


「…………え?」


「おこがましいけど、私は真白くんにたくさん成長してほしいの。私が卒業したあとも、真白くんにはこの部活を守ってほしいから。真白くんには、もっともっと人を見れる子になってほしいんだよ」


 思わず俺は言葉を失った。


 先輩は俺に、ツッコミとしての成長を促しているのではない。


 俺に、人間的な成長を促しているのだ。


 自分が卒業したあとのことさえ視野に入れて、俺を成長させようとしている。


 そんなこと、まったく考えもしなかった。


「ごめんね、なんか偉そうなこと言っちゃって」


「いや全然! 先輩のおかげで目が覚めましたよ」


「そう? ふふ。ま、台本が完成しなくても、この前の戦隊コントがあるから、それをやればいいしね。だから、気楽にやってちょうだいな」


 完成しなかったことまで先輩はちゃんと見据えてたのか。


 いやもう、ほんと、この人はちゃんと部長だ。俺たちのリーダーだよ。


「俺、まだ諦めません。逸花と、めちゃくちゃ面白いコント、作ってみせますから」


「うん! 期待してるよ!」


「はい!」


「じゃ、私は帰るね。でもその前に――」


 先輩は、ずいっと俺に顔を近づけた。


「な、なんすか?」


「頑張ってる真白くんに、お姉さんがご褒美をあげる」


「ご褒美……とは」


「おやすみのチュウ」


「え、え、え」


 先輩が目をつむる。


 マジなのか?


 嘘だろ?


 いやそんなまさか。


 唾を飲み込み、呼吸を整え、俺も目をつむって、唇を突き出した。


 「…………」


 三分くらい経っただろうか。


 中々先輩がキスをしてこないから、恐る恐る目を開くと、漠然とした暗闇が広がっていた。


 誰もいない。


 巨大な猫だけが俺を見下ろしている。


 なるほど?


 俺は騙されたと。そういうことでよろしいか?


「……これ訴えたら勝てるやつだろ」

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