1-7 クリンチのこと言ってます!?
7
「お、きたきた」
駐輪場のすぐ真横に桜の木があり、その陰から、先輩がひょこっと顔だけを出した。
「やあやあ真白くん」
「夏姫先輩……」
久しぶりに会う先輩は、少し痩せたように見えた。
「せっかく仮入部してもらったのに、大事なところで離脱しちゃってごめんね」
「いえ……」
「今日で仮入部も終わりだから、真白くんとゆっくり話したいと思ってね」
「……先輩、その話をするために、ムリして来たんですか?」
「ううん、いっぱいご飯食べてたくさん寝たら、すっかり良くなったんだ。もう熱はないよ」
先輩は元気をアピールするように、その場で一回転して見せた。桜の木から、桜の花びらが零れ落ちる。先輩の動きに合わせて、花びらがふわりと舞う。
「今なら何だってできるような気がするよ。帰りに、獄激辛ペヤングを買ってみようと思うの」
「絶対食えないんでやめたほういいっすよ」
先輩は、やっぱりボケたがりだ。こんなときでもボケてくる。
「真白くんの活躍、桃ちゃんから聞いてるよ? コント、完成間近なんだってね」
「はい。一応は完成しました」
俺は先輩に台本を手渡した。
「ごちゃごちゃと書いてあって、ちょっと見にくいですけど」
「いいよ。見せて」
先輩は駐輪場の近くにある縁石に腰掛けた。俺もその隣に腰を下ろした。
先輩はニコニコと笑いながら台本を開いた――が。
「…………え?」
戸惑いの声を上げると同時、先輩の顔から笑みが消える。そうして、眉を顰めるようにして台本のページをめくった。
無言のままページをめくり続けた先輩は、最後のページで硬直したように動かなくなった。ただじっと、最後のページだけを見つめている。
――ポタ、と。音がした。
先輩は涙にまみれた顔を俺に向ける。
「……なにこれ」
涙が零れないように、先輩は上を見上げた。
「……私、真白くんがここまで本気でやってくれたことが、ほんとに嬉しい。急なお願いだったのに、ここまでやってくれるなんて」
先輩からもらった台本は、今や書き込みだらけになっていた。俺は昔から書き込みに消しゴムを使わない。だからたった一行のツッコミを生み出すまでに、どのような試行錯誤があったのか、恥ずかしいけども丸わかりとなっている。
「私がいない間に、真白くんがみんなの夢を守ってくれたんだね」
そう言って、先輩は台本を抱きしめた。
「愛に溢れたツッコミを、どうもありがとう」
愛のあるツッコミ。
それは俺が仮入部を決めたとき、先輩が言った言葉だ。
その言葉の真意はまだ掴めていない。きっと、答えは一つじゃないんだと思う。
それを俺は、みんなと一緒に捜していきたい。
「……夏姫先輩」
「……うん?」
「俺を、お笑い研究部に入れてもらえませんか? お願いします。みんなと、お笑いがしたいんです」
俺が頭を下げた直後――。
「ちょ、な、先輩……!?」
夏姫先輩が、俺に抱きついてきた。
「待ってたよ私、ずっっっと前から真白くんのこと」
「……もしかして、知ってたんですか。俺が学漫のチャンピオンだってこと」
「そりゃそうだよ。真白くんが入学して間もない頃、学校ですれ違ったときに、
俺の耳元で、夏姫先輩は優しい声で囁く。
「真白くんがどうして笑いを遠ざけるのか――その理由は分からないけど、私でよければ力になるから。私だけじゃないよ、みんながいる。今はまだ怖いかもしれないけど、きっと乗り越えられるよ」
「……夏姫先輩」
校内で、堂々と抱き合っているこの状況は、かなりマズいと思いつつも、もう少しだけこうしていたかった。
「私の夢はね」
と先輩は言う。
「学漫で優勝すること。でも、私自身が優勝しなくてもいいと思ってる。お笑い研究部から、学漫の優勝コンビを出したいんだ。もし、真白くんが学漫に出たいっていうなら、私たちの誰かと一緒に、コンビとして出場してほしいの。まだまだ先の話になるけど」
「俺が……お笑い研究部のメンバーから、相方を選ぶってことですか?」
「そう解釈してもらってもいいよ……うわぁ、ごめん!」
ようやく先輩は我に返り、俺の抱擁を解いた。どころか俺を突き飛ばした。それは違うだろ。
「今のは誤解だから!」
「誤解、とは……?」
「抱きしめたんじゃなくて、ほら、あれ、ボクシングの!」
「まさかクリンチのこと言ってます!?」
「そう!」
先輩は立ち上がり、お尻のホコリを落とすと、と恥ずかしさを誤魔化すように笑った。
「……じゃ、部室にいこっか。みんな私を待ってると思うし!」
「……そうっすね」
俺も先輩を後を追う。
学漫のことについては、深く考えない。いつか選ぶ日がくるかもしれない、相方ついても考えない。
いずれは、イヤでも深く考えることになるだろうから。
◇ ◇ ◇
駅前商店街のイベントとは、『さくらまつり』という名のお祭りだった。
駅前広場場に、大きな桜の木があった。花びらが舞い落ち、桃色の影ができている。
広場には特設された小さなステージがあり、夜からはカラオケ大会やビンゴ大会が開かれるのだが、俺たちのコントはその前座だった。
つまり、メインではない。
俺たちを目当てにしたお客さんは一人もいないかもしれない。
だが、始まりはいつだってそういうものだ。ゼロだから始まりだと言える。
ここが俺の、新たな出発点だ。
「さぁ、あともう少しで出番だね」
ステージ横のテントで、俺たちはすでに衣装に着替え終えていた。後は出番を待つのみだ。
「色々とアクシデントはあったけど、最高のコントに仕上げることができたと思う。だから後は楽しむだけ!」
――そう。先輩の言うとおり、後は思い切り楽しむだけだ。
『叶川高校のお笑い研究部のみなさんによるヒーローショーです!』
司会のお姉さんの言葉を合図に、俺たちは頷きあった。
コントの内容はこうだ。
宇宙からの侵略者が、街で大暴れしている。そこへ正義のヒーロー戦隊が現れるのだが、トンチンカンなことばかりを繰り返す。
侵略者である俺は、ヒーローたちにツッコミを入れるうちにだんだん疲弊してゆく。そんな流れだ。
俺たちのボケとツッコミに、次第に笑い声が大きくなってゆく。
観客の数も、目に見えて増えてゆく。
ほとんどが小学生たちだったが、中には爆笑してる子もいた。
「もう許してください……!」
散々ボケられ、ツッコミに疲れた侵略者が、ヒーローたちに土下座をする。
「もう帰りますから……!」
「バカヤロー!」
そんな侵略者に、夏姫さんがパンチをする。
「簡単に夢を諦めるんじゃない!」
「アナタ、ナニイッテル!? ワタシ侵略が目的なんですよ!?」
「ふぁ!? 地球侵略が目的だと!?」
「アナタ今それ知った!? バカなんじゃないノカ!?」
俺と夏姫さんのやり取りに、また笑いが起こる。
ずっとこの時間が永遠に続けばいいのに。
心からそう思った。
「お前の根性を叩き直してやる! お前は今日から、私たちの子分だ!」
俺はムリヤリ夏姫さんに引きずられてゆく。
大きな拍手に、包まれながら。
◇ ◇ ◇
「いやー! 大成功も大成功! ほんっと最高だった!」
商店街のイベントを終え、俺たちはファミレスへ移動して、ささやかな打ち上げをすることになった。
「まだ笑い声が胸に響いてるよ」
藍堂が胸を押えながら言う。
「アホなフリして、もう一回コントをしに行かないか?」
「すげえ色んな人に迷惑かかるからやめてくれ」
それはもうアホなフリじゃねえのよ。ただのアホだろ。
「楽しかったぁあああ! けど死ぬほど腹減ったわ!」
桃っちが乱暴にメニューをめくる。
「八段くらい重なったハンバーガーねぇのかな。あれ食ってみてぇ」
「ライダースジャケット着た太った店員がいるアメリカのバーにありそうなやつな」
「それよそれ! 私それにするわ!」
「ここにはないよ」
「私は喉カラカラだよー」
と逸花はテーブルに顎を乗せていた。
「私、この状態であえてフランスパン頼んでみよっかなー」
「飲み込むのに二年かかると思うぞ?」
「それにしても、笑い声というとは、何ものにも代え難い快感がありますよね」
狐咲が、何を企んでいるのかニヤニヤと笑う。
「もし代えがあるとするなら、ウーマナイザーくらいですかねぇ」
「急なド下ネタやめろよ」
ラブコメでウーマナイザーなんて言葉絶対出すなよ。イカれてんのかこの後輩。
「みんな注文は決まった?」
夏姫さんがみんなを見回す。
「私は奮発して、ドリンクバー二つも注文しちゃうもんねー♪」
バカの頼み方すな。
「あとライス大盛りにして残そうと思うの」
「ただの迷惑客じゃないですか」
「なあ、アホなフリして、もう一回コントしに行かないか?」
「行かねえっつってんだろ」
ファミレスに行っても、俺たちの会話はコントの延長線のようで、延々と繰り返すボケに、俺はひたすらツッコミ続けた。
高校に入学してから、こんなに楽しい時間はなかった。
それぞれが注文し、ドリンクバーを取りに席を立った俺は、ドリンクバーコーナーでふいに夏姫先輩と二人になった。
俺を見るなり先輩は微笑む。初めて会ったときと同じように。
だから俺は、また先輩が何かボケようとしているのがわかった。
「先輩って、ほんとにボケたがりですね」
「ツッコまれるのが好きなだけだよ」
いつかのやり取りの焼き回しだが、先輩は、あのときにはなかった言葉を付けくわえた。
「たぶん私、これからもっともっと好きになってくよ。あ、ツッコまれるのがって意味だからね?」
「俺も今より好きになってくと思います。ボケられるのが」
先輩に、そしてみんなに、優勝の景色を見せてあげたい。
そんな思いが、俺の中で大きくなってゆくのを感じていた。
(一章 ボケたがりの夏姫先輩 了)
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