1-3 手芸部じゃねえって言ってんだろ

 3


 午後の授業中、仮入部したことをずっと後悔していた。ちなみに隣の席の女子は俺のことを汚物を見るような目で見てきたが、もはやどうでもいい。人は大きな問題に直面すると、小さな問題はどうでも良くなる生き物なのだ。


 そうして迎えた放課後。


 俺は文化部の部室がある東校舎へと歩き始めたのだが、二十三回くらい立ち止まった。壁に額をくっつけ、心を無にしたあと、再び歩き出す。それを何度も繰り返した。


 夏姫先輩がお笑い研究部じゃなくて手芸部とかだったら、俺は大喜びで廊下を全速力で走っていたに違いない。手芸部とか最高だぞ。夏姫先輩とたわいのない話をしながら、おしゃれ花柄ランチョンマットを作ったりしてぇ。休日には一緒に布を買いに行って、「今度は二人お揃いのパジャマなんか作っちゃいます?」とかなんとか言って、ラブコメしたかった。普通にキモすぎるだろ俺。


「あ! やっと来た! おーい!」


 部室の前で、夏姫先輩が俺に手を振っている。ドアの上部には『お笑い研究部』と書かれたプレートが刺さっていて、手芸部とは書かれていなかった。手芸部じゃねえって言ってんだろ。もう諦めろよ。


「全然来てくれないから、警察に届けを出すところだったよ」

「んな大げさな」

「でもまあ、来てくれてありがと。改めて、お笑い研究部へようこそ。部員は五人。全員女子・・だよ」


 ――全員女子?


 ほんとにハーレムじゃん。


「というわけで真白くん」


 と先輩は、眩しいくらいの笑みを見せた。


「ボケたがりの彼女たちに、愛のあるツッコミをお願いね!」


 愛のあるツッコミ?


「どういう意味です?」

「そのまんまの意味だよ」

「そうですか……」


 優しくツッコんで欲しい、という意味だろうか?


「みんなー!」


 おらぁ、と夏姫先輩は部室のドアノブを蹴って開けた。急に乱暴なのはどういうことなの? これもボケなの? いちいちツッコんでられねえぞ。


「この子がさっき言ってた仮入部の子! とにかくすごい才能なの! 言っておくけど、私が見つけたんだからね!」


 夏姫先輩は、腰に手をあてて、『えっへん』と言わんばかりに胸を逸らした。


「あー。どうも……。佐倉真白って言いまーす……」


 俺は当たり触りない挨拶をしながら、部室内をざっくりと見回した。


 部室内には長机が四つ、正方形を描くように並べられている。その奥にはスチールデスクがあって、『部長(一番えらい人)』と小学生が考えそうなネームタグが設置されていた。ここがおそらく夏姫先輩の席なのだろう。


 部室内には先輩を含めて五人の生徒がいる――たしかに全員女子だ。彼女たちは長机に、何か衣装のようなものを広げて作業をしているみたいだ。おそらくコントの衣装作りだろう。


「……あれ!?」


 部員の一人と目が合うなり、思わず俺は声を上げた。


「あれっ!?」


 と向こうも、俺と同じように驚きの声を上げる。


「同じクラスの佐倉くんだよね?」

「あ、うん」


 名前、知っててくれたのか。


 彼女は俺と同じクラスの桃世ももせ友笑ともえさんだ。


 身長、百五十弱で小柄。髪型はツインテール。見た目は幼いが、胸は大きい。一部の男子からは、『神が作り出した奇跡のロリ巨乳』との異名がつけられている。


 そんな容姿だから、体育の時間に桃世さんが走っていると男子連中の時は止まる。つい先日も、桃世さんへのよそ見が原因で、高飛びのバーに頭を直撃させたアホがいた。


 いやそんな話はどうでも良くて、桃世さんについて特筆すべき点は他にある。


 桃世さんは、控えめに言ってかなり・・・変わった人だった。


 たとえばつい最近の昼休み、桃世さんはVR機器を自宅から持って来て、一人でめちゃくちゃエンジョイしていた。ゾンビか何かと闘うゲームをプレイしていたんだろうが、教室内の椅子をなぎ倒しながら大暴れ。最終的には教師に激突し、クソほど怒られていた。


 それと、まあこれはどうでもいいことなのだけど、桃世さんは走るとき、『シュババババ』と自分で効果音をつける。


 結構ヤバいと思う。


「おやおや?」と夏姫先輩は俺と桃世さんの顔を交互に眺めた。「二人は友達?」

「いえ、同じクラスなだけで、友達じゃねっす!」


 と桃世さんは夏姫先輩に返す。


 ただの事実だが、なぜか俺は若干のダメージを負った。


「佐倉くんがお笑いをやりたいなんてびっくりなんだけど!」

「……いや、別にお笑いがやりたいわけじゃないんだよね」

「は? じゃあなんでここにいる?」

「……色々あって、自分でもよくわからないまま、気づけばここにいた……って感じかな」

「なに尾崎豊みたいなこと言ってるの?」

「言ってないよ!?」

「ま、これからよろしくね。私のことは桃っちって呼んでよ」

「……じゃあ、なんか恥ずかしいけど桃っちって呼ぶよ」

「おけぴ!」


 桃世さん……じゃなくて桃っちは、顔の前でOKサインを作った。


 いきなりあだ名で呼ぶとか、ハードル高すぎだよなぁ……。あとおけぴってなに?


「佐倉くんはなんかあだ名とかある?」

「あだ名はないかな」

「ほんならシロって呼ぶわ!」


 犬みたいだけど、まあいいか。


 これまで桃っちとは話したことはなかったけど、普通に良い人そうで安心した。


「じゃあ次のメンバーを紹介するね」


 夏姫先輩の視線の先には、やたらと姿勢の良い女子生徒がいた。


「この子も真白くんや桃ちゃんと同じ、二年生だよ」


 身長は、たぶん百七十くらいあるんじゃないだろうか。髪型はストレートで、赤いリボンでポニーテールに結われている。凜とした佇まいの美人だ。


「私の名前は藍堂あいどう虎愛とらあだ。よろしく頼む」


 藍堂さんは軽く頭を下げた。その雰囲気は武術家に近いものがある。もしかしたら弓道とか剣道の経験者なのかもしれない。


「佐倉くん、一ついいか?」

「え、あ、うん、なに?」

「とっておきの一人ショートコントを見て欲しい」


 藍堂さんは不遜な笑みを浮かべた。


「爆笑必至の、一人ショートコントだ」

「そ、そんなにハードル上げて大丈夫?」

「心配ない。なぜならめちゃくちゃ面白いからだ。さあ、みんな笑う準備を」


 すごい自信だな……。


 藍堂さんは精神を集中させるように目をつむり、深呼吸した。その振る舞いに、やはり俺は武術の気配を感じずにはいられない。


 藍堂さんはややあってから目をかっ開き、いらんほどに声を張り上げて、言った。


「――一人ショートコント。『あくびがめちゃくちゃ下手なヤツ』」


 美人の藍堂さんの表情が、急に崩れた。白目を剥いて、ヨダレが垂れるくらいに口もとが歪む。


「ぐ、ぐぎぎ、ぐぎゃ、ぐへあぇ」

「急になにしてんの」


 怖ぇよ。普通に。


「ごめん、意味わかんないんだけど……」

「ふむ」


 藍堂さんが、また凜とした表情に戻る。


「どうやら私はスベったらしい。でも心配はいらない。なにしろ私は、メンタルが強いんだ」

「だろうね」

「私のことは好きに呼んでくれていい。だが、名前で呼ばれるよりも番号で呼ばれるほうが個人的には好きだ。なんかロボットみたいでカッコイイ」

「特殊すぎるだろ」


 何に憧れてたらそんな感覚が身につくんだよ。


「さすがに番号で呼ぶわけにはいかないから、藍堂さんって呼ばせてもらうよ」

「いや、せめて呼び捨てにして欲しい。私は佐倉と呼ばせてもらう」

「おう、わかった。じゃあ、よろしく藍堂」

「ああ。こちらこそよろしく頼むよ、佐倉」


 藍堂は、数秒前までアヘ顔を晒していたとは思えないほど、凜々しい顔つきで答えた。

 

 だいぶ個性的ではあるけど、めっちゃ面白いなこの人。


「それじゃあ次は逸花いつかちゃんを紹介するね。逸花ちゃんも、真白くんと同じ二年生だよ」


 夏姫先輩の視線の先には、桃っちほどではないが小柄な女子生徒がいた。それはまあいいとして、俺が気になるのは姿勢だ。長机に腹這いになり、ぐでーっとしている。


「私、休波やすなみ逸花いつか。逸花って呼んでー」


 逸花と呼ばれる子は眠たげな目をして、少しの大きめのセーターの袖をひらひらとさせた。


「えーっと、私って絶望的に面倒くさがりで、だらしない性格なんだけど、別にやる気ないわけじゃないからー。救いようがないくらい怠け者で、面倒くさがりってだけなの」

「そ、そうなんだ」

「この前もねー、パジャマのまま学校来ちゃったんだー」

「嘘だろ?」


 どんなにだらしなくても、パジャマでは絶対に学校に来ないぞ?


「私、遅刻の常習犯なんだけどね、絶対に遅刻するなって言われた日に、大寝坊しちゃったんだー」

「ああ、それで寝ぼけてパジャマのまま来ちゃった的な?」

「ううん。違うよ。もう何もかもどうでも良くなって、パジャマのまま登校したんだー」

「遅刻関係ないじゃん……」

「ところでー、キミのことなんて呼べばいーい?」

「別になんでもいいよ」

「なら真白って呼ぶー」


 と逸花は目をつむりながら言う。本当にやる気があるのか甚だ疑問だ……。


「それじゃあ、最後の部員を紹介するね!」


 と夏姫先輩が、最後の一人に視線を向けた。


「この子は唯一の一年生、狐咲こさき律月りつきちゃんだよ」

「佐倉先輩、初めまして。狐咲律月です」


 と俺に爽やかな笑顔を向けたのは、ショートカットのボーイッシュな女子だった。


「私のことは、できれば狐咲と呼び捨てで呼んで頂きたいです。そのほうが後輩感が出ますので。私は先輩のこと、佐倉先輩と呼ばせて頂きます」


 狐咲はハキハキとした口調で言う。第一印象としては、後輩らしい後輩という感じだ。


「わかった。じゃあ、狐咲って呼ばせてもらうよ。よろしくな」

「はい、ありがとうございます。ところで……」


 狐咲は首をかしげた。


「どうした?」

「私と先輩、どこかでお会いしてますよね?」

「……え? そうか?」


 俺は狐咲の顔をじっくりと眺めてみた。しかし見覚えはなく、知り合いとは思えなかった。


「同じ学校に通っているんだから、どこかですれ違ったりはしてるんじゃないか?」

「そうですかねぇ……?」


 狐咲は、なんだか納得してない様子だった。


「先輩、ちょっと眼鏡、外してもらってもいいですか? ついでに、前髪も上げてもらっていいですか?」


 俺は狐咲の言うように眼鏡をかけている。ついでに、目もとが隠れるくらいに前髪が長い。


「なんで眼鏡を外す必要がある?」

「普通、主人公は眼鏡をかけないんですよ」

「俺は主人公じゃないし、眼鏡をかけてる主人公なんていっぱいいるだろ」

「ああ、言われてみれば、あの有名な少年探偵、江戸川も眼鏡でしたね」

「なんでわざわざ名字で呼ぶの?」

「さ、先輩、眼鏡とってください」

「……イヤだ」

「なんでです?」

「俺、眼鏡を取るとめちゃくちゃブサイクなんだよ。だから眼鏡だけは取りたくない」

「ふうん? もしかして、眼鏡を取ると野比みたいに目が3になるんですか?」

「なんでわざわざ名字で呼ぶ!?」

「ブサイクかどうかは私が決めることです。えいっ!」


 突然狐咲の手が伸びてきて、俺の眼鏡を掠め取った。


「おやおや、先輩、普通にイケメンじゃないですか――あれ?」


 狐咲は顔を近づけてきて、ジロジロと眺めると、突然ニヤリと笑った。


 その笑みを見た瞬間、すげぇイヤな予感がした。


「私、先輩のこと思い出しちゃいましたよ」

 

 ――たぶん、狐咲は俺の過去を知っている。


 俺が高校入学前に、完全に封印した過去を。


 そう確信した俺は、狐咲を部室の外へと押し出した。


『真白くん!? 急にどうしたの!?』


 と部室の中から夏姫先輩の声が聞こえてきたが、俺は背中でドアをロックした。


「すぐに戻ります!」


 ドア越しにそう伝えてから、俺は膝に額につくくらいの勢いで、狐咲に頭を下げた。


「頼むから……! 言わないでくれ……!」


「……ってことは、やっぱり佐倉先輩は、あの佐倉くん・・・・・・なんですね? なーんだ。やっぱり主人公じゃないですか」


 ニヤァ、と狐咲がイヤな笑い方をした。


「まあ、佐倉先輩にやむを得ない事情があって、素性を隠しておきたいというのなら、黙っておくことはやぶさかではありませんよ」

「助かる。あのこと・・・・は、誰にも知られたくないんだよ」

「まあ、黙っておきますよ――ただし、それには一つ条件があります」

「条件?」

「私の願い事を、なんでも一つ聞いてください」


 どうやら狐咲は、中々に計算高いというか、悪く言えばずる賢いヤツであるらしい。


「……その願い事とやらは、常識の範囲内なんだよな?」

「もちろんですよ。金銭の要求や、犯罪行為の強要もしません」


 妙な約束をするのは、正直言って怖さしかなかったが、とにかくこの場を収めたかった俺は、仕方なく――マジで仕方なく頷いた。


「……わかったよ」

「言いましたね? 約束ですよ、せーんぱい」


 ニコ、と笑ってから、狐咲は部室へと戻っていった。


 ――厄介者で曲者。


 そんな印象を、俺は狐咲に抱いた。

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