1-2 聖女か

 2


 先輩は食堂のテーブルに一人で座っていて、食事をするわけではなくノートを広げていた。他にテキスト類は見えないから、勉強をしていたわけではないらしい。


「暗ーい顔してたけど、どうしたの? 自己破産でもした?」

「本当に自己破産してたらここにいないっすわ」

「まあまあとりあえず、お姉さんに話してみなさいな」


 先輩は向かいの席をちょんちょんと指さした。


「あ、じゃあ……失礼します」


 俺が対面して座ると、先輩はノートを閉じて微笑を浮かべた。


「それで、私に何か用?」

「……いやいやいや、あなたが座れと」


 どんだけボケたがりなんだよ。


「冗談冗談。それで、何があったの?」

「いやー、実は……」


 俺は簡単に、先ほど起きた内容を話した。隣の席の女子が突然歌い出し、それを俺はかの有名な『お前が歌うんかいボケ』だと勝手に勘違いしてツッコんだ結果、クソほど気持ち悪がられたと。


「わかるな~。お姉さんには、すっごくわかるよその気持ち」


 先輩は深く頷いた。


「真白くん、ツッコミたがり病なんだね」

「……いや別に、そういうわけじゃないと思うんですけどね」

「我慢するのは体に良くないよ。私で良ければ、いつでも、いくらでもツッコませてあげる」

「はは、どうも……」


 思わず苦笑する。


 世界中探しても、こんな奇妙な会話しているのは俺と先輩だけだろうな。


「あ、そういえば先輩の名前、俺まだ訊いてなかったです」

「そうだっけ? 私は夏姫佑奈なつひめ ゆな大先輩だよ」


 自分で大先輩ってつけるタイプか。ってどんなタイプだよ。


「ところでさ、真白くんって何か部活に入ってる?」

「いや、帰宅部ですよ。授業が終われば誰よりも早く帰ります」


 電光石火の佐倉真白とは俺のことさ。


「え、帰宅部なの?」


 先輩は前のめりになる。


「なら、ウチの部に入ってくれない?」


 部活? なんで?


「えぇ? 部活……ですか?」


 運動部だったら無理だ。なにしろ俺はつい先日の体力測定で、高飛びのバーが足にではなく頭に直撃したからな。


「……運動部だったら無理ですよ?」

「安心しなさい! ウチは文化部です!」

「わかりました入りますよろしくお願いします」


 俺は即答した。


 断る理由がどこにあろうか。


 誰にも理解されないような苦しみを理解してもらえるだけでもありがたいのに、先輩は話していて楽しい。それになにより――かわいい。


 そんな先輩と同じ部活に入れるのなら、俺の高校生活は百八十度変わる気がした。


 文芸部だろうが手芸部だろうが書道部だろうが、この先輩がいるのならばなんだって構わず、この身を尽くして部活動に従事すると、そのような所存である。


「俺、ちょうど何か部活に入りたいと思ってたところだったんですよ」


 俺は調子の良いことを嘯いた。


 数分前まで、テロを起こして学校を辞めようとしていた人間のセリフとは、我ながら思えません。


「よし、決まりね!」夏姫先輩はガッツポーズした。「真白くんなら即戦力だよ! むっふっふー!」


 ん?


 即戦力って?


「このタイミングで真白くんに出会えたのは、運命としか思えないよ」


 先輩は、テーブルに伏せていたノートを手に取った。


「これ、実はコントの台本なの」


 ――え?


「……コ、コント?」

「六日後の日曜日に、商店街のイベントでやるコントなんだけど、部員の五人全員が『ボケ』だから、ツッコミが不在だったんだよ。だから真白くんが入ってくれるならほんっとに助かるんだよね」


 先輩はノートを開いて、俺に見せるようにくるっと百八十度回転させた。


「コントの台本を作ってみたんだけど、ひたすらボケ倒してるだけで一つもツッコミがないから、だいぶカオスな内容になっちゃってるの。だから早速で悪いんだけど、この台本にあるボケ一つひとつに、ツッコミを挿入してもらえるかな? 真白くんなら、きっと的確なツッコミを入れられると思うの」


 先輩はずいずいっと俺にノートを差し出すが、俺は受け取らない。顔にまで押しつけられても、俺は微動だにしなかった。


「あれ? なんで受け取ってくれないんだろ?」

「……先輩、一つ訊いて良いですか?」

「うん、なに?」

「先輩が所属している部活ってなんですか?」

「お笑い研究部だよ」


 ――言われた瞬間、急激にテンションが下がった。


 よりにもよって、なんでお笑いなんだよ……。


 俺はお笑いが嫌いだ。


 恨んでさえいる。


「私が部長を務めるお笑い研究部では、漫才やコント、それに大喜利なんかの、お笑いに関係することを全部やってるんだ。さっきも言ったけど部員全員がボケだから、ツッコミたがりの真白くんにとってはある種ハーレム。ツッコミ放題だよ」


 先輩はノートを俺の顔になおも押しつけるが、一向に受け取ろうとしない俺を見て、先輩はようやくノートを引っ込めた。


「真白くん、なにか気になることあるの?」

「……すみませんけど、俺、入部できないっす」

「え!? なんでぇ!?」

「お笑いには興味ないからです。失礼します」


 と俺が席を立つと、「ちょちょちょ!」と先輩は俺の袖を掴んだ。


「ちょっと待って! 今さらムリって言われても、こっちがムリだよ! もう入部届けだって出しちゃってるし!」

「出してないですよね!?」


 平気で嘘をつくなよ。


「どうして入ってくれないのっ? 私のことが嫌い?」

「いやいや、違います。先輩のことは……嫌いじゃないですよ」


 むしろ夏姫先輩のことは好きだ。


「……俺は単純に、お笑いが嫌いなんですよ。先輩と同じ部活には入りたいですけど、お笑いはやりたくないです」

「うえぇ!? お笑い、好きじゃないの!? てっきり好きなんだと思ってたよ!?」

「誤解させてすみません。失礼します」


 若干、心が痛むものの、大嫌いなお笑いをやるつもりは少しもなかった。


「真白くん待って。真面目に、私の話をちょっとだけ聞いてほしいの」


 先輩は俺の前に立ちはだかり、アヘ顔ダブルピースした。


 ボケたいだけじゃねえかよ!


「どこが真面目なんですか」

「ごめん。ボケたがり病が出ちゃった。でも、今度こそ真面目に言うよ」


 先輩は、少しも笑わずに俺の目をまっすぐに見てきた。


「お笑いが嫌いだっていう人に、私もムリには入部を勧めはしない。だけど、これだけは言わせてほしい。お笑い研究部に、お願いだから入って」

「言ってること無茶苦茶ですよ!?」

「つべこべ言わずに入りなさい!」

「本性が出た!?」

「真白くんは、絶対にお笑いをやるべき人だよ! 真白くんほどの素質を持ってる人はいないよ!」

「過大評価ですって……」

「入部を断るなら、私ここで大声出すからね? それでもいいの?」

「どうぞ勝手に出してください」

「わぁあああああああああ!!」

「うるさ!」


 食堂にいた生徒たちの視線が、一斉に俺たちへと集まっている。


 しかし夏姫先輩は周囲の視線を一個だにせず、切実な視線を俺に向けた。


「一週間……ううん、五日だけでいいから、仮入部してみてよ。それでお笑い研究部に入りたくないっていうなら……私は止めない」


 そういって、夏姫先輩は膝をついた。


「え? まさか土下座する気ですか?」


「今回の商店街のイベントは、お笑い研究部が新体制になってから初めてのイベントなんだよ。ここでみんなに失敗体験をさせるわけにはいかない。だから――お願い。真白くんの力を、貸してほしいの」


 断りたかったが、周囲の注目を集めているうえに、夏姫先輩は今にも額を床につけてしまいそうだった。このままだと、俺は女子に土下座をさせるヒドいヤツだって噂が広まってしまう。


 いやまあ、それならそれで、いいのかもしれない。


 結局、俺は中途半端なんだ。


 自分から高校生活を捨てておいて、結局は寂しさを感じたり、誰かを羨んだりしてしまう。


 だったら、もう二度と取り戻せない場所に落ちていけばいい。そうすれば、寂しさや嫉妬に苦しむことはない。


 そんなことを考えていた俺は――。


「……ふっ」


 思わず吹き出してしまった。


 てっきり夏姫先輩は土下座するのかと思っていたが、膝をついたまま目をつむり、指を胸の前で組んで、祈るようなポーズを取っていた。


「聖女か」


 と思わずツッコんでしまう。


「こんなときでも、先輩はボケるんですね」

「こんなときでも、真白くんはツッコんでくれるんだね」


 俺はため息をついてから、先輩に言った。「五日間だけですからね?」と。


「わぁ……!」


 先輩は飛び跳ねるようにして立ち上がり、俺の頭を撫でた。


「よしよし」


 どういうボケ?


「放課後、部室で待ってるからね!」


 チャイムが鳴ると同時に、夏姫先輩は軽やかな足取りで、俺のもとを去っていったのだった。

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