一章 ボケたがり病の夏姫先輩

1-1 お前が歌うんかい

 1


 最低な下ネタとともにスタートした俺の高校生活は、どこまでもどこまでも下降してゆき、ふと気づけば、二度と浮上できないほど地下深くにいた。


 高校一年生の一年間は、クラスメイトと一度も会話をしなかった。自分から話しかけることもしなかったし、俺に話しかける生徒もいなかった。


 これは俺自らが望んだ高校生活の形であって、この生活には何の文句もない。寂しいなんて思ったことはないし、充実した高校生活を送ってる連中を、羨ましいと思ったことは五十回くらいしかない。あるんじゃねえかよ。


 あの当時は、正直、ちょっと自暴自棄になりすぎていた。タイムマシンがあるのなら、当時の自分に一言苦言を呈したい。


 ちょっと落ち着けよと。


 はっきり言えば、俺はあのときの自分のトチ狂った行動を、激しく後悔している。 


 人と関わりたくないと思っていたのは事実だが、今は普通に友だちが欲しい。いや別に、かわいい女の子と友だちになりたいとか、ましてやカノジョが欲しいだなんて、そんな高望みはしてない。至って普通の友だちが欲しいだけだ。できればカノジョも欲しいけど。欲しいんじゃねえかよ。

 

 俺は昼休みになると、母ちゃんが作ってくれた弁当を一人で黙々と食べる。食べ終わったらイヤホンをして寝たフリをする。周囲が友だちと和気藹々と雑談なりを楽しむ中、寝たフリをするのは苦痛でしかない。正味、昼休みの時間は五分で良い。


「あ、そういえば『ちゃぶ台クラッシャー』の新曲聞いた!?」


 隣の席の女子が、同じクラスの女子とギャンスカと騒いでいる。誰だよちゃぶ台クラッシャーって。


「まだ聞いてないよ」

「マジで!? ちょー良かったから聴いて!」


 隣の女子がスマホから音楽を流し始める。それマジでやめろよ。俺は公共の場でイヤホン挿さずに音楽聴くヤツと動画観るヤツが嫌いんなんだよ。


 前奏が教室に響き渡る。人の聴覚を勝手にジャックすんな。何考えてんだよ。うるせえよ単純に。お前のやってること、『これ美味しいから食べて~!』ってくさや押しつけてんのと一緒だからな。クソが。


 と、めちゃくちゃイライラしていたが、一流の『寝たフリスト』である俺は微動だにしない。なんなら、『むにゃむにゃ』とか寝言を口にして、全然自分は気にしてませんよアピールまでしておく。


 つうかさぁ、少しくらい隣で寝てる俺の迷惑を考えてもよくね? 俺空気かよ。


 ガチャガチャとした前奏が穏やかになり、歌い出しが始まったのだが――。


 隣の女子は、思いも寄らない行動に出た。


「キミとの恋は~、なんでもない寝落ちモチモチから始まって~」


 ――自分で歌い出した。


 しかも大声で。


 原曲がまったく聞こえないほどの、大声で。


 思わず俺は、顔を伏せながら吹き出してしまった。


 古から続く、あまりにも有名なボケだ。だがしかし、どうやら友人のほうはボケだと気づいていないらしく、ツッコミを入れない。無言のまま、隣の女子が大声で歌っているのを聞いている。


 せっかく隣の女子がボケたというのに――。


「いやお前が歌うんかい!」


 ここでツッコむのが礼儀というものだろう。


 このツッコミがきっかけで、俺は隣の女子と友だちになるのだろう。そんな確信があった。一年間、誰とも口をきかずに、人間を捨ててさえいた悲しきモンスターがが、お笑いをきっかけに再び人間に戻った記念すべき瞬間である。


 ……と、思ったのだが。


 なんだか、様子が変だった。


 どういうわけか、隣の女子は顔を引きつらせて、恐怖に慄くかのように友人と抱き合った。


「なになになに!? キモいキモいキモい!」


 キモい? 俺が?


「やっぱりヤバい人だったんだ……!」


 なるほど?


 その反応に顧みるに、隣の女子はボケたわけではなかったらしい。それなのに普段一言も喋らない俺に、『お前』呼ばわりで突然ツッコまれたら、そりゃあ誰だって恐怖する。悪いのは俺だ。


 死のう。


 怯える女子たちを後目に、俺は教室を後にした。


 2


 俺はお笑いが嫌いだ。大嫌いだ。


 フリだとか、ボケだとか、ツッコミだとか、本当にくだらない。


 お笑いは人を不幸にしかしない。人の人生をめちゃくちゃにする、悪魔みたいなものだ。


 そもそもの話、俺がこんな惨めで孤独な高校生活を送ることになったのも、お笑いのせいだった。


『やっぱりヤバい人だったんだ……!』


 との言葉が頭の中でリフレインする。


『やっぱり』、ということは、俺のことをヤバい人だと元から疑念を抱いたということであり、その疑念が確信に変わった表れだった。何気に、キモいと言われたことも傷ついた。むしろ一番傷ついたまである。


「何やってんだよ俺……」


 教室では、今頃騒ぎになってるだろう。やっぱり佐倉真白はやべぇヤツだった――と。


 教室に戻りたくない。


 もうこのまま学校辞めようか。


 校舎を徘徊する俺は、知らない間に食堂へときていた。


 全体の半分くらい席が埋まっている。みんな楽しそうだ。俺以外、楽しそうだ。


 ここでチ○コでも出したら、退学になるだろうか。いっそそれくらいのことをして、すべてを終わらせるのもありだ。それ犯罪者の考え方じゃねぇか。


 ……まあ、現実的な話、何食わぬ顔で教室に戻るしかないよな。俺が高校辞めたら、母ちゃんと父ちゃん悲しむだろうし。


 昔は、中学三年の頃までは、俺の人生は間違いなく輝いていた。あの頃の俺が、今の俺を知ったら泡吹いてぶっ倒れるんだろうな……。ごめんな過去の俺。


「あれ!? 真白くん!?」


 と突然声をかけられる。


 俺は光の速度で振り返った。


「あ……!」


 俺に声をかけてきたのは、ちょっとした顔見知りの人だった。一度だけ話したことがある人で――。


 たぶん、俺が今一番会いたかった人。


「私のこと、覚えてる?」

「もちろん覚えてますよ――陽気なお姉さん、です」


 この人と会ったのはつい最近――二日前の土曜日のことだった。


 3


 三日前の四月某日。俺が通う叶川かなえがわ高校では球技大会が開催された。サッカー、ソフトボール、バレー、バスケ、卓球の六種の競技のうち、どれか一つに必ず出場しなければならない。ちなみにすべての競技が男女混合だ。特に希望はなかった俺は、自動的にソフトボールに出ることになった。


 クラス編成間もない時期に行われたこの球技大会は、クラスの親睦を深めるために開催されたものであり、体育祭と違って和やかな空気が終始流れていた。


 俺が所属する二年三組は、上級生である三年二組と初戦で当たったのだが、やはり平和的な雰囲気で試合は進んでいた。


 異変が起きたのは三回裏の相手の攻撃だった。


 めっちゃくちゃかわいい先輩が打席に立った。なんというか、その人がそこにいるだけで、周辺がパッと明るくなるような、華を持った人だった。かと言って、派手な外見をしているわけではない。髪型だって普通のショートボブだった。だが、笑顔がとにかく魅力的だった。


 きっとこの先輩は、俺と違って友だちもクソほどたくさんいて、カッコいいカレシとかもいて、充実した毎日を過ごしてるんだろうなぁ、と思った。


 そんな先輩と、友だちになりたいとか、話をしたいとか、そんなおこがましい思惑はなかったが、一塁を守っていた俺は、せめて進塁してくれないかと、淡い期待を抱いていた。


 そんな俺のささやかな願いが通じたのか、その先輩はフォアボールを宣告された。めちゃくちゃかわいい先輩が、すぐ自分の間近に来るということで、俺は一人勝手にドキドキしていたのだが……。


 次の瞬間には、恐怖を覚えることになった。


 フォアボールを宣告された瞬間、なぜかその先輩は、俺目掛けて猛ダッシュしてきたのだ。


 もう一度言う。


 フォアボールによる進塁だ。


 急ぐ必要なんてどこにもない。


 それなのにスピードを落とすことなく猛然と向かってきて、全力のヘッドスライディングをかました。


 人は得体の知れないものを前にすると、ただただ怯えることしかできなくなる。


 正直、俺は戦慄していた。


 砂煙とともに立ち上がった先輩は、覗くような目つきで辺りをキョロキョロしたあとで一言。


「……セーフ?」

「でしょうね!」


 反射的に、俺はそうツッコんでいた。


「失礼ですけど、ルール知らないんですか?」

「スリートゥーワン、ゴーシュートのかけ声で始めることだけは知ってる」

「それベイブレードのルールなんですけど……」


 この先輩は頭がおかしいわけではなく、ボケてるのだとわかった瞬間、「ふふ」と俺は思わず吹き出してしまった。


「笑ってくれて良かった。キミ以外は笑ってないけどね」


 先輩の言うように、俺のクラスは誰一人笑っていなかった。なんか変な人がいる――としか思ってないのだろう。先輩のクラスの人たちも、どことなく冷ややかな目で先輩を見ていた。


「キミ、名前はあるの?」

「そりゃ、ありますよ。佐倉真白って言います」

「偶然だね。私もだよ」

「そんなわけないじゃないですか」

「私、キミのことなんて呼べばいいかな?」

「なんでもいいっすよ」

「じゃあゴミクズって呼んでいい?」

「なんでそうなる? いいわけないでしょ……」


 俺が返すと、お姉さんはケラケラと笑った。


「真白くん、良いツッコミするね」

「そ、そうっすか?」

「私、『ボケたがり病』っていう厄介な持病抱えてるから、ツッコんでもらえることが何より幸せなんだよ」

「ボケたがり病……ですか」

「まあ、陽気すぎるって言えばいいかな。両親は二人ともコロコロコミックだし」

「どういうことです!?」


 それが、この陽気な先輩との出会いだった。


 先輩は、攻守が変わるまでずっとボケ続けていて、俺はそんな先輩に、ひたすらツッコんでいた。


 時間にして、たった数分程度。でも夢のような時間だった。


「おっと攻守交代だ。じゃあね、真白くん。次に会うときは……私はキミの敵かもしれない」

「今も敵ですよ? ルールわかってないんですか?」

「ふふふ、最後までツッコんでくれてありがとね、真白くん」


 気を失ってしまうほどかわいらしい笑顔を残し、先輩はベンチへと帰っていった。


 残念ながら、先輩はそれ以降進塁してくることはなく、話す機会は得られなかった。試合の後、先輩に連絡先を聞くとか、そんなコミュ力の高い振る舞いなどできるはずもなく、結局、名前も聞けないまま、陽気の先輩との時間は終わった。


 ――で。


 先週の土曜日に行われた球技大会から、二日後の月曜日。俺は食堂で、この陽気な先輩と再会したってわけだ。


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