第8話 初見の魔物はゴブリン
翌日も宿屋の御主人ジェイルズさんからサンドイッチを受け取ると、草原に向かった。多少の腕のだるさは残っているが、金銭的な余裕がなくなってきていてゆっくりと休んでいられなかった。
宿屋の支払いと毎日の食費に剣と防護服の購入、それに祭りでの出費を含めてこの十日間で金貨十五枚と銀貨十八枚を使っているので、神様から貰ったお金はあと少ししか残っていなかった。
魔法が使えるようになっても仕事があるかは分からないが、自分を守る力がなくては何も出来ない事は分かっている。
今日は二日前に捲れるようになった5ページ目と6ページ目の土属性魔法と風属性魔法の検証をしようと決めていた。
(土属性魔法って、どんな魔法があるのだ?)
昨日と同じ場所に着くとスケッチブックを開いたが、思い当たる魔法が浮かんでこなかった。
街の周りにある防御壁のような物が作れないかと、5ページ目に土壁の絵を描いて『Aizawa』を入れると、二十センチほど土が盛り上がっただけなので自分でも呆れてしまった。
サインを変えても土壁の高さが変わらなかったので、土壁の隣に簡単な人間の絵を書き足してサインを入れてみた。
目の前の土が盛り上がり一瞬で二メートルの土壁が出来、叩いて見たが壊れる事はなく、スケッチブックを閉じるまで消えなかった。
(これなら、多少の攻撃は防げるなァ)
自分の周囲に壁を作ると、少しだけ安心感が生まれた。
(これがあれば、テントがなくても野宿が出来るぞ)
ドーム型の絵と大きさを示すための人間を描いてサインを入れると、土で出来たカマクラが現れた。中は大人三人が楽に入れる広さがあり、スケッチブックを閉じないかぎり雨風を防いでくれそうだ。
風属性の6ページ目には三日月形の簡単な絵を描いて『Aizawa』のサインを書いた。イメージしているのは風の刃・ウィンドカッターだ。
スケッチブックを地面に置いてサインをスライドさせると、見えない刃が雑草を十メートルほど刈り取って消えた。
同じ事を数回繰り返して渦巻きの絵を描いてサインを入れると、刈り取った草が飛び散り地面が露わになった。
(これで草刈りのバイトとか出来ないかなぁ)
魔法が思っていたよりうまく発動したので、安易な事を考えながら北叟笑んだ。
土属性と風属性の魔法の検証が思っていた以上に早く終わったので、さらに街から一時間ほど離れたニオラと呼ばれる小さな森に近づいた。
危険なのは分かっているが、動く動物に魔法が当てられるのか、これはどうしても検証しておく必要があった。
森と言っても入り口辺りは木もまばらで林に近く、ウサギの姿がチラホラ見え隠れしている。
二十五メートル近くまで近づくと4ページ目にスケッチを始めた。かなりの手早さで描いているつもりだが、危険を察知する能力があるのかウサギは魔法が発動する前にいなくなってしまった。
「ダメだ……」
現れてはいなくなるウサギを何度か描いてみるが、個体を識別出来ないのか魔法が発動しない。ウォーターランスとサインはすでに描き込んであるので特徴さえ描ければいいのだが、距離がありすぎて細かい描写が出来ていないようだ。
(これなら真っ直ぐ飛ぶから当たるかも)
6ページ目に三日月形の絵を数個描いて、『Aizawa』のサインをスライドさせた。
草丈ぎりぎりで飛ばしたカッターは、草先をなびかせながら飛んで行くが、対象物を描いていない魔法はウサギには当たらず近くの木に当たりトン、トンと乾いた音を森に響かせてしまった。
射撃的な魔法では獲物に逃げられてしまうので、罠的な魔法が発動させられないかと考えた。
6ページ目の上部3/2を切り取って、それをさらに十センチ角ぐらいの大きさに切ると、一枚ずつに三日月形の絵を描いた。
スケッチブックを閉じればリカバリーされるが、閉じなければ何時までも魔法発動待機状態を保てる筈なのだ。
森に二、三歩入って十枚の画用紙を並べると、木の葉を掛けて真ん中にサンドイッチを一つ置いた。
岩陰に隠れて、根気よく待つこと二十分。ウサギと変わらない巨大なネズミが三匹、匂いに惹かれて現れた。
(よし、もう少しだ)
獲物を前にして、サインを完成させるタイミングを計った。6ページ目の下部3/1には『Aizawa』と綴る積もりだが、iの上の点はまだ書いていない。
ネズミがサンドイッチを食い出すのを、息を殺して待ってサインを完成させた。
「「ギャー」」
画用紙から見えないカッターが飛び出してネズミの腹を切り裂き、二匹が死に、一匹は足に傷を負いながらも森の中に逃げて行った。
(ぐうッ)
前歯をむき出している死骸に近づくと、漂う血生臭さにむかつき口元を押さえた。
「平和ボケから抜け出さないと生きていけないわョ」
と、言ったミリアナさんの言葉が思い出されるが、すぐには慣れそうになかった。
(冒険者以外の仕事を早急に探さないと、食べていけなくなってしまうなァ)
ネズミを殺しただけでこれほどまで苦悩するようでは、二足歩行の魔物や、ましてや人間相手に殺生などとても出来そうになかった。
とりあえず罠として使える遠隔操作の魔法は成功したが、気分は最悪だった。
吐き気を堪えながら土属性の魔法で穴を掘り、ネズミの死骸と血の飛び散った画用紙を埋めて街に帰ろうとしたとき。
『ドーン』と、森の中で爆発音がした。
振り返ると、二人の人間が森から走り出してきた。
「た、助けて下さい!」
まだ幼さが残る少年が足元に崩れた。防具や剣鞘を持っているところを見ると、冒険者のようだ。
後を追ってきた少女も膝をついて、息を荒げている。杖を持っているから魔法使いなのだろう。
「どうした?」
「ゴブリンに襲われました」
「ゴブリン!」
恐怖で引き攣った顔を森に向けたが、何も出てこなかったので胸を撫で下ろした。
「ユリがまだ奥に……」
少年が涙を流しながら森を指さした。
「助けてくれと言われても、僕は冒険者でも何でもないから」
「でも、剣を持っていますよね」
「これは、飾り物だから」
腰の剣を軽く叩いた。自慢にはならないが買ってから紙一枚切っていない。
「ユリを助けないと。せめて剣だけでも貸して貰えませんか、僕の剣は折れてしまいました」
少年は地面に手をついて頭を下げた。
赤色の髪の少女も縋るような視線を向けてきている。
「剣は貸して上げるよ。しかし、君一人で何とかなるのかい?」
「街まで助けを呼びに行っている時間はありません。僕がなんとかしないと」
剣を受け取った少年は表情を引き締めると、森に向かって駆け出した。
「待て! 僕も行くよ」
涙目の魔法少女に見詰められて、何もできそうにはなかったが力添えしない訳にはいかなくなった。
十分ほど走ると、木々の間から猿のような生き物が動いているのが見えた。五匹が踊りながら、少女の衣服を引き裂いている。
「おおッ!」
少年は剣を翳すと、雄叫びを上げながら群れに突っ込んでいった。
(あれがゴブリン)
初めて見る魔物の姿に足が震えて、動けなくなってしまった。
身長は一メールあるかなしの小柄な生き物だが、顔は鬼のように恐ろしく歪んでいて、全身毛むくじゃらで腰に毛皮のような物を巻いていた。
長い手に棍棒を持った一匹が、少年の剣を受け止めた。
「ウギー、ウギー」
他のゴブリンも棍棒を手にして騒ぎ出した。
(どうする、どうしたらいい)
戦った事などない僕は、ただただうろたえるしか出来なかった。
少年は必死で剣を振り回しているが、ゴブリンにはかすりもしていない。
ゴブリンの攻撃を剣で受け止めた少年は、力負けして弾き飛ばされて倒れた。
(どうしよう。このままでは少年が殴り殺されてしまう)
意を決してスケッチブックを開きウィンドカッターを描くと、膝をついてゴブリンと視線の高さを合わて『Aizawa』サインをスライドさせた。
「ギャー、ギャー、ギャー」
見えない衝撃を受けたゴブリンが、奇声を上げて僕を睨んできた。
距離がありすぎて傷つけるまではいっていないが、危険だと判断したのかすぐに飛び掛かってはこないで少しずつ近づいてくる。
涎を垂らしたグロテスクな魔物の威嚇に必死で耐えるながら、震える手で幾つものウィンドカッターを描いた。
棍棒を構えた三匹が五メートルまで近づいてきた。
(次、失敗したら、殴り殺されるだろうな。当たってくれ!)
祈るような気持ちで『T.Aizawa』サインをスライドさせると、見えない刃がシュー、シューと音を立てた。
「ギャー」
「ギャウー」
「ギィー」
驚きと怒りの叫びを上げるゴブリンが飛び下がった。腕や脚から血を流し棍棒を落とす奴もでた。
「キー、キー、キー」
一番大きなゴブリンが甲高い鳴き声を上げると、五匹とも森の奥に逃げていった。
(何とかなったようだな)
鉛筆を握っている掌が汗でベトベトになっている。
「大丈夫か?」
動悸が治まらず声が震える僕は、辺りを気にしながら少年に声を掛けた。
「大丈夫です。ありがとうございました」
少年は仲間の所に走っていった
「ユリ、ユリ!」
少年は叫びながら少女の身体を揺すっている。
僕は近づくどころか、直視している事も出来なかった。もし死んでいたらと思うと、小心者には耐えがたい状況だ。
「すみません、手を貸して貰えませんか?」
少年は少女を立ち上がらせたが、怪我が酷くて自力で歩けないようだ。
「あッ、いいとも」
生きていてよかったと思いながら二人に近づいた。
少女の胸当てや手甲などの防具ははぎとられて、服は引き裂かれて露わになった腕や脚から血が出ていた。
「早く森から出ないと、ゴブリンが仲間を連れて戻ってくるかもしれません」
「そうなのか?」
「はい、ゴブリンは獲物への執着心が強いと聞いています」
「急ごう」
恐怖に震えている少女に肩をかすと、草原の方向に向かった。
少女は右脚を引き摺っていて、歩く度に表情を歪めている。
「もう大丈夫だろ、少し休もうぜ」
森を抜けると草むらに腰を下ろした。体力がない僕は、怪我をしている少女より先に根を上げてしまったのだ。
「そうですね」
「ユリ! 大丈夫」
魔法少女が駆け寄ってきた。
「セレット!」
二人の少女は無事を確認するように、抱き合って泣いている。
「ありがとう」
「私の方こそありがとう。ユリがいなかったら、今ごろ私は……」
「私は前衛、セレットは後衛。当然の仕事をしただけだから気にしないで」
大粒の涙を流す魔法少女を、ケガをしている少女が慰め役に回っている。
ダリオ君の話しでは、薬草採取をしているところをゴブリンに襲われて魔法使いのセレットさんが攫われそうになったのを、拳闘士のユリさんと助けに入ったのだが、数の多いゴブリンには勝てず、剣が折れて戦えなくなったダリオ君が街に応援を求めに行く事になったようだ。
草原近くの森に魔物が出る事は稀なので、油断をしていたのが原因らしかった。
三人は農村出身の幼馴染で、D級に上がったばかりの冒険者で、ダリオ君は剣士。ユリさんは拳闘士。セレットさんは魔法使いだった。
「助けて頂いてありがとう御座いました。今回の事をギルドに報告して対処して貰わないと他の冒険者にも被害が出るかもしれませんから、僕達は街に戻ります」
ダリオ君は深々と頭を下げると剣を返してきた。
「助けて頂いて本当にありがとう御座いました。後ほどお礼をさせて頂きますので、お名前を教えて頂けませんか?」
セレットさんの治癒魔法で元気を取り戻したユリさんが頭を下げた。
「タカヒロです。別にお礼など気にしないでいいですよ。お急ぎでしたら先に行ってください。草原なら安全だと思うので、僕は一人で帰りますから」
「そうですか」
ダリオ君達はユリさんを気遣いながら街に戻っていった。
(冒険者になるには気力だけではなく、体力も必要なんだなァ)
ゆっくりとした足取りで街に向かう僕は、途中で森に向かって走る強そうな五人の冒険者に出会って痛感した。例の三人はすでに街について、ギルドで報告を済ませたようなのだ。
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