第6話 魔法の練習とサインの効果


 三日間続いた収穫祭も終わり、ロンデニオの街に平穏が戻ってきた。

 結局、一日も似顔絵の店を開く事は出来なかった。広場で商売をするためには商工ギルドに加盟して、事前に申請した上で領主が発行する許可証を受領していなければならなかったのだ。

 魔物がいるだけでなく人間さえも簡単に信用出来ないこの世界で、十年間生き抜くためには多少の危険を冒すのも仕方がないと考えた僕は、魔法の練習を始める事にした。

 防具屋で買った革鎧を着こみ、腰に安物のショートソードを下げると草原に向かった。街の外に出るのはこの世界に着いたとき以来だ。

 一時間ぐらい歩くと、草と岩しかない場所にでた。女将さんの話では、この辺りには小動物もいないので狩りをする人もいないのだ。

「まずは、オーソドックスに火属性の魔法からいってみるかな」

 独り言を呟くと、スケッチブックの3ページ目に火の玉を描いた。頭の中にはアニメで魔法使いが飛ばす火の玉、ファイヤボールがイメージされている。

「エィッー」

 スケッチブックを岩の方に向け、恥ずかしい掛け声を上げながら『Aizawa』のサインを指でスライドさせた。

(誰かに見られていたら、無言でやるなァ)

 自分が出した掛け声に顔が熱くなるのを感じた。

 画用紙の上に浮かんでいた野球ボール大の火の玉は、フラフラとゆっくり飛び、岩から二メートル以上離れた場所に落ちて消えてしまった。

 何度繰り返しても感覚を掴む事は出来ず、たまにまぐれで当たっても岩に煤も残らない威力しかなかった。

「くそ~~。これならどうだ!槍なら少しは真っ直ぐ飛ぶんじゃないか」

 4ページ目に水槍、ウォーターランスを描いて飛ばして見るが、結果は火の玉と同じで的に掠りもしなかった。

 運動音痴の僕は野球などした事もなく、物を投げるコントロールが全くなかったのだ。


「ここからなら、当たるだろ。エィッー!」

 的に十メートルまで近づいて、先ほどと同じようにサインをスライドさせた。

 画用紙から飛び出した水槍は岩に当たると、水鉄砲で撃ったときのように『ピチャ』と可愛い音を立てて飛び散ってしまった。

 火の玉を飛ばしてみても的には当たるが、シュッーと一瞬で消えてしまって焦げ跡も残っていない。  

「エエッ! 嘘だろ。中級程度の魔法の威力って、これだけ?」

 あまりにも貧弱な魔法に首を傾げた。

「こんな力ではネズミも倒せないなァ。それにこれだけ敵に近づけば、絵を描いている間に逃げられるか、殺されて終わりだろうな」

 独り言ちながら草むらに座り込んだ。二時間近く鉛筆を動かし続けていて、腕がだるくなって来ている。

(魔法を教えてくれる人を探さないと駄目なのかなァ)

 ジェイルズさんに作って貰ったサンドイッチを頬張りながら、美人魔法使いのゾッタさんの事を考えた。彼女はどんな魔法を使い、どれほどの威力があるのか見せて貰いたいものだ。

 お腹が落ち着いたので、的にしていた岩のスケッチを始めた。デッサン力は部活の先生にも認められていて、絵にはそれなりの自信を持っている。

「ここにだな! こうしてグサッとだな!」

 スケッチした岩に刺さった状態の水槍を描き足した。練習を始める前に思い描いていたイメージその物の絵だ。

(こうなるはずだったんだがなァ)

 そっくりに描けた岩のスケッチに悦に入りながら、『T.Aizawa』と苗字の前に名前のイニシャルを入れたサインを書こうとした。

「なんだ?」

 鉛筆が鉛の棒のように重たくなって、なかなか字が書けなかった。

 苗字だけのサインなら三秒で書けたのに、頭文字を一字入れただけで三十秒は掛かってしまった。

『ドォン』

 サインが完成すると同時に、大きな音が響いた。

(なんだ、何か落ちたのか?)

 注意深く辺りを見渡しながら、震える手を剣に添えて立ち上がった。

 周囲に変わった様子はなく、先ほどまで的にしていた岩に近づいてみると、水槍を描き込んだ部分が少し欠けていて、4ページ目が白紙の画用紙に戻っていた。

「今のは魔法が岩に当たった音だったのか」

 音の原因が分かると安堵の吐息が洩れた。ここの草原に魔物は出ないと聞いてはいたが、ショートソードの柄を握っていた掌が汗ばんでいる。

「もしかして、ここからでも当たるのかな?」

 気を取り直して欠けた部分がある岩を3ページ目にスケッチすると、練習を始めた三十メートル地点に戻った。

『ドォンー』

 岩にぶつかっている火の玉を描き込み、『T.Aizawa』のサインを入れると、爆音が響いて熱風が襲ってきた。

「やった!」

(そうか、魔法を飛ばして当てるのではなく、当たったところをイメージして描けば、100%の確率で標的に命中するんだ)

 予想以上の威力に胸がワクワクして、感激が収まらなかった。

「これなら、どうなるかな?」

 欠けた部分が多くなった岩を再度スケッチして火の玉を描き込むと、『Takahiro. Aizawa』とフルネームのサインを書こうとした。

「なんだ、なんだ。どうなっているんだ?」

 右腕が鉄の枷を嵌められたように重たくなり、ナメクジが這うようにゆっくりとしか字が書けなくなっていた。

 おまけに途中で止める事が出来なくて、額に汗が噴き出してきた。

『ドドォンーー』

 フルネームのサインを書き終えると同時に、火柱が上がり、地面が揺れ、熱風で吹き飛ばされてしまった。

(自分の魔法で死ぬなんて、洒落にもならないぜ)

 なんとか立ち上がって岩を見ると、的にしていた岩が粉々になっていて驚いた。

 サインの重要性と、その反動の大きさを知った。右腕は普通に動かせるようになっているが、だるくて鉛筆を持つのもままならなくなっている。

 苗字だけのサインが約三秒。名前のイニシャルを入れたサインだと約三十秒。そしてフルネームのサインだと約五分と、時間は掛かるがサインを詳細にする事で威力が増していくのだ。

(これで中級魔法だとしたら、賢者と呼ばれる人達が使う魔法はどれほどの威力があるんだろうなァ)

 この世界に存在する、魔法と言う馬鹿げた破壊力を想像して身震いした。

 僕はまだ知らなかった、地形を変貌させるような巨大魔法も存在するし、天候さえも変えてしまう魔法も存在している事を。

 そして僕のように何時間も魔法を発動させ続けたり、初級魔法であるファイヤボールで岩を破壊するほど強力な魔法を、単独で発動させるだけの魔力を持った人間はそれ程いない事を。

「次はあの岩に当ててみるかな」

 暫く休んで鉛筆が持てるようになったので、五十メートルほど先にある岩を4ページ目にスケッチすると、水槍と『Aizawa』のサインを書き込んだ。

 スケッチブックから水槍が飛び出す事はなかったが、前方の岩から水しぶき上がり魔法が発動しているのが確認できた。

「次はあれだな」

 百メートルほど先にある岩をスケッチしたが、遠すぎで正確なデッサンが出来ていないのか魔法は発動しなかった。

「ダメか」

 その後も二時間ほど魔法の試し打ちをして、暗くなる前に街に戻った。


「お帰り。さきほど草原の方から大きな音がしたんだけど、大丈夫だったかい?」

 『夕焼け亭』に戻ると、女将さんが声を掛けてきた。

「地震でもあったのか地面が少し揺れていたけど、僕は大丈夫です。心配して頂きありがとうございます」

 女将さんには、草原で薬草採取をしてくると言って出掛けていた。

「それは良かった。あんたは見るからに弱そうだから、無理をして命を落とさないようにするんだよ」

「はい、十分に気をつけます。ところで、宿泊の期間を十日間延長したいのですが、大丈夫でしょうか?」

「勿論いいとも。祭りが終わって、暫くは客も少なくなるからありがたいよ」

「宜しくお願いします」

 女将さんに金貨四枚を渡すと、ご主人が作った肉と野菜の煮込み料理で夕飯を済ませた。


 ベッドに横になると頭の中で今日の練習を整理した。

 魔法の威力はサインの種類によって変わり、発動距離は対象物が性格にスケッチ出来る距離だと分かった。

 そして対象物全てを描かなくても、魔法を当てたい部分をある程度描けば魔法が発動して、鉛筆が重たくなって絵を描くのに時間は掛かるがサインを先に入れておくと、対象物が特定できれば自動的に発動する事も分かった。

 色々と考えていると練習の疲れが出たのか、何時の間にか深い眠りに落ちてしまった。

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