第67話、夏祭り①
日曜日――夏祭り当日。
やはりというか、前日の夜はなかなか寝付けなかった。
友達と行く夏祭り、前世の記憶には一度もなかった青春の光景に胸が高鳴っていたからだ。
まるで遠足前の小学生みたいだと自分自身に苦笑しつつ、俺は大きく身体を伸ばしてベッドから起き上がる。
妹の舞は陸上部の遠征とやらで一日家を空けており、今日は帰るのも夜遅くになるそうだ。
昨日は『真白さんの浴衣姿が見たかった……』と酷く落ち込んでいたので励ましてやったが、あの調子だと今日もずっと凹んでいるかもしれない。
真白の浴衣姿の写真を撮って送って欲しいと頼まれたので、とりあえずはそれで満足して部活の方を頑張ってもらいたいところだ。
そして集合時間は夕方の5時。
夏祭り会場に近い駅前の広場で集まる予定となっていた。
昼間にも色々な催し物があるみたいだが日中の気温は30℃を軽々と超えるので断念。なので夕方からお祭りに参加して、屋台を回ったり花火大会をメインに楽しむ事にしたのだ。
集合時間までに家事や日課のトレーニングを済ませ、シャワーを浴びて着替えも済ませた。あとは財布やスマホなど必要なものを持って出かけるだけだ。
玲央と西川は二人で一緒に来るそうで、真白は駅まで母親に送ってもらうと言っていた。
「真白の母親が送ってくれるなんて……珍しいよなあ」
普段は殆ど家に帰ってこない真白の母親が今日は家にいて、浴衣の着付けから送り迎えまでやってくれるらしい。
本当に珍しい事もあるものだと不思議に思う。前回真白の母親と会ったのは高校の入学式の時で、それ以降は真白の家に入り浸っていても一度も顔を合わせなかったくらいだったのに。
だから真白の母が娘の夏祭りの為にわざわざ帰ってくるなんて、ちょっと信じられない出来事である。
仕事の都合なのか心境の変化なのか、理由は定かじゃないがともかく真白が母親との時間を取れた事は喜ばしい事だ。
「さて……そろそろ行くか」
ちらりと時計を見れば時刻は4時を少し過ぎた頃。
早めに家を出てみんなが来るのを待っていようと、玄関に置いてある靴を履いてドアノブに手をかけた。
扉を開けるとむわっと蒸し暑い空気が身体を包み込む。外は快晴、雲一つない青空が広がっていた。
キャンプの時は突然の雷雨で予定が台無しになってしまったが、今日は雨が降る心配はなさそうだ。
どんな悪天候でも俺と真白の仲を引き裂けないと分かったからなのか、今日のところは随分と大人しい様子。
ともかくこのまま天気が良い事を願いつつ、4時を過ぎても暑すぎる外の世界に辟易しながら駅に向かって歩き出す。
待ち合わせ場所に近付くにつれて道中に人が増えていく。
その誰もが祭りの事で頭がいっぱいといった感じで、そんな街の人々の様子に俺の気持ちも自然と高揚していく。
歩き続けて集合場所に到着した俺。
駅前の噴水広場を見渡せば、夏祭りを楽しむ為に集まった人が大勢いた。
手を繋いでこれから会場に向かうカップルだったり、既に祭りを楽しみ終えた子供がキャラ物のお面をつけていたり、そんな子供を連れて駅のホームに向かっていく家族連れの姿もある。
老若男女問わず楽しそうな声がそこかしこで上がっており、俺も早く夏祭りの雰囲気を味わいたいと心が急いていた。
そんな時、スマホから着信音が鳴り響く。
ポケットから取り出して確認すれば、そこには真白が使っている猫のアイコンと通話の応答画面が表示されていた。
すぐに画面をタッチして通話を始めれば、スピーカーから真白の可愛らしい声が聞こえてきて頬が緩んだ。
『もしもし、龍介。まだお家ー?』
「いや、もう家を出て集合場所に着いてるよ」
『早いねっ。まだ30分以上も時間あるのに』
「家に居るとそわそわして仕方がなかったからな。だから早めに出て待ってた」
『ふふっ、龍介ったら可愛い。わたしもね、今お母さんから送ってもらっててもう着くところなの』
「それじゃあ車の所まで行くよ。どの辺で降ろしてもらうんだ?」
『タクシー乗り場の近く。そこで降ろしてもらう予定だよ』
「了解。すぐそこだから先に行ってるな」
『うん、ありがとっ。すぐ行くから待っててね!』
「おう、それじゃあ」
通話を切ってタクシー乗り場に向かって歩き出す。真白に会えるのを楽しみにして足を早めた。
程なくして真白の乗っているであろう車が見える。入学式の時にも見た覚えのある白い高級セダン、それはゆっくりと俺の前に停車した。
助手席のドアが開く。
そこから降りてきたのは――艶やかな黒髪を結い上げて浴衣を着た真白だった。
思わず息を呑む。
優しい印象の色合いをした野の花が散りばめられた白地の浴衣に、淡い桜色の帯が涼しげでとても良く似合っていた。髪はお団子のように纏められており、金色の枝にアジサイを象った紫の花弁が美しい簪が挿してある。
いつもの可愛らしさはもちろん健在なのだが、そこに和の大人びた雰囲気が合わさって、男性の心をとろけさせる程の妖艶さすら感じる程だ。
俺を見つめる澄んだ青色の瞳には普段よりも深い輝きが宿っている気がして、それがまた美しさを際立たせているように思えてならない。
そして何より俺が好きだと言った浴衣を着てくれている事が嬉しくて、今まで一番と言っていい程に俺は見惚れてしまっていた。
俺がしばらく言葉を失って呆然と立ち尽くしていると、真白はどこか熱に浮かされたような表情で口を開く。桜色の潤んだ唇は微かに震えており、まるで何かを期待しているかのような上目遣いで俺を見上げていた。
「龍介、どう? 浴衣、変じゃない……かな?」
「変なわけない。ていうか……凄く綺麗で、見惚れてた。本当に可愛い。めちゃくちゃ良く似合ってる」
素直にそう答えれば真白は恥ずかしそうに目を伏せてしまう。そんな仕草もまた愛らしくて俺の心臓は高鳴っていくばかりであった。
「そ、そっか。えへへ……嬉しい」
そう言って真白は微笑みながら、そっと自分の胸元に手を当てる。
その笑顔は本当に幸せそうで、真白の心からの喜びが伝わってくるようだった。俺も釣られて笑ってしまい、二人の間に穏やかな空気が流れる。
それから少しの間だけお互いに見つめ合った後、助手席の窓が開いて真白を呼ぶ声が聞こえて我に返った。
真白は窓に近付くと運転席に座っている母親と一言二言会話を交わして頭をぺこりと下げる。閉まっていく窓ガラス、そのまま車も走り出す。
駅を離れていく様子を見送りつつ、俺は真白に話しかけた。
「今の真白の母親だよな? 何を話してたんだ?」
「遊び終わったら電話しなさいって。迎えに行くからって言われたの」
「珍しいな、真白の母親が送り迎えしてくれるなんて」
「ほんと珍しいよね。今日はすっごい久々に帰ってきてて、浴衣の着付けから髪のセットまで全部やってくれたんだよ」
「なるほど。確かに浴衣を着るのって一人じゃ大変らしいし手伝ってもらったのか」
「うんっ。それでね、お母さんが『龍介くんによろしくね』って言ってたよ」
真白はそう言ってにこりと笑う。
久々に母親と一緒にいられて嬉しかったのだろう、浴衣の着付けまで手伝ってもらえて真白の表情はいつもよりずっと明るいものだった。
「それじゃあここは日が照って暑いから、もう少し涼しい場所に移動しよう。まだ待ち合わせの時間までは結構あるし」
「はーいっ。日陰を見つけてゆっくりしてよっか」
元気よく返事をした真白の手を取って、二人で一緒に集合場所の広場へと歩き出す。
隣で弾むように歩く真白の姿に俺は頬を緩めた。
(最高に楽しませてあげないとな)
家族に会えて嬉しくて、友達と夏祭りを楽しめるという真白にとってのこの日を、もっと輝かせてあげたい。
こうして夏祭りが始まる前のひと時を通じて、最高の夏の思い出を作ってあげたいと改めて心に誓うのだった。
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