第61話、海での対決④

 再び得点を取った事でサーブ権は続けて俺達のチームだ。


 真白は柔らかなフォームで丁寧にサーブを打ち込んだ。さっきと同じようにふわりとした軌道で飛んでいくボールに対し、主人公補正を失った布施川頼人のチームは大慌てだった。


 姫野夏恋がレシーブを上げるところまでは良かったのだが、それを繋げようとする花崎優奈の体勢が崩れる。ボールは思ったように上がらず、そのままコートの外に出ていったのだ。


 これで11対13、徐々に点差が縮まっていくのと同時に布施川頼人の表情は険しさを増していく。


「優奈、どうしたんだよ! しっかりしろ!」

「は、はい……っ」


 びくりと肩を震わせる花崎優奈。


 花崎優奈は布施川頼人がプレイミスしても、それをケアしようと優しく声をかけていた。そんな優しいヒロインに対して、勝ちにこだわるあまり奴は怒鳴り散らしている。そのせいで彼女の動きが萎縮してしまっていた。


 そしてその光景は観客をも刺激していた。

 今まで主人公を応援していた人々が険しい顔つきになっている。

 

 それは主人公が今この瞬間だけは、悪役に変わってしまった事を如実に表していた。


 一方で俺は自分の身体に不思議な感覚を覚える。


 次のプレイでは真白のサーブを相手チームはしっかり処理し、布施川頼人がスパイクを打ち込もうとしている。


 俺は奴の動きを目で追うのと同時に、そのスパイクが何処に向かって打たれるのか、その着地地点まで完璧に予測できていた。


 無意識の内に身体が動く。放たれたスパイクの落下地点に走り込んでいたのだ。


  ボールの弾む音と共に、俺の手の中に確かな手応えを感じる。それはボールの勢いを完全に殺し、仲間達に繋げる最高のレシーブとなっていた。


 それを舞が真白にパスし、真白は再びさっきのようにスパイクを叩き込む。


 勢いをつけたボールは今度も外すことなく相手のコートへ突き刺さった。


 12対13。


 再び得点した事に喜ぶ俺達、周囲の観衆からは歓声が上がる。


 そして同時に布施川頼人は驚愕した表情を浮かべていた。


「な、何で……今のは……」


 布施川頼人は呆然と呟く。どうしてそんな表情をするのか、俺にはそれが分かっていた。


 俺が布施川頼人のスパイクを止めたあの動きは、主人公として覚醒した人間にしか出来ない芸当だったからだ。


(まさか俺に主人公補正が効くだなんてな)


 布施川頼人は今までずっと主人公として覚醒し、まるで未来を予知しているかのように動いてきた。考えるよりも先に無意識のうちに行動し、常に望む結果を引き寄せてきた。


 けれど今、その主人公としての力を発揮しているのは、布施川頼人ではなく悪役の俺だった。それはきっと奴にとって何よりも信じがたいものとして映っているだろう。


 主人公は理不尽な運命に抗う力を持っている。

 どんな逆境をも跳ね返す奇跡を起こす。


 それを知る奴だからこそ、勝利への確信が消え去り、焦燥感や不安に襲われているのだ。


「お、俺にボールを集めてくれ! 優奈! 夏恋! 俺がみんなを勝利に導いてみせるから! 一致団結だ!」

「……頼人くん」

「……頼人」


 自分の主人公という立ち位置が揺らいでいる事に気付いた布施川頼人は、今になってようやく主人公らしい立ち振舞いをし始めた。


 だがもう遅い。奴の言葉を聞いた花崎優奈と姫野夏恋の顔色は優れない。今までのプレイで何度も何度も怒鳴られた事で、自分達の主人公であるはずの彼を信じる事が出来なくなっている。


 一方で俺の隣にいる真白は、嬉々として笑っていた。


 満面の笑顔を浮かべて、その澄んだ青い瞳をきらきらと輝かせながら、俺とのビーチバレーを心の底から楽しんでくれている。


 その輝きはまさにヒロインが放つもの。


 真白も主人公となっている俺を支える為にヒロインとしての力を開花させていた。


 それを証明するかのように真白は決してサーブを外さない。


 正確に、柔らかく、力強く、その全てにおいて理想的と言える美しいフォームから放たれたボールは、必ず相手チームのコートの中に吸い込まれていく。


 そんな彼女を見て観客は声援を送った。


 砂浜の上で笑顔を振りまく世界最強の美少女の活躍に誰もが心を躍らせていた。そこにいた観衆は彼女の虜となり、もう完全に俺達の味方だ。


 主人公補正を失った布施川頼人のチームは、その声援に後押しされたサーブを簡単に返せなくなっていた。ボールは再びコートの外に弾かれて俺達のチームに得点が入る。


 13対13。これで遂に同点だ。


「やったっ、龍介! わたしのサーブでまた得点したよっ!」

「ああ、ナイスサーブだ。本当に真白は凄い奴だな」


「試合終わったらいっぱいなでなでして? いっぱい褒めて?」

「もちろんだよ。何ならこのまま勝ったら真白のお願い事。なんでも聞いてやる」


「えっ……本当に? どんなお願いでも?」

「ああ、もちろん。どんなお願いでも。今回は特別だ」


「わーい! じゃあ勝ったら龍介にいっぱい甘えるねっ!」

「おう。楽しみにしててくれ」


 俺の言葉に真白は大はしゃぎだ。

 絶対に勝つんだと意気込んで、ボールを胸の前で抱えてぴょんぴょこと跳ねる。


 そしてその光景に観客は大盛り上がりだった。彼らも俺達の勝利を願ってくれている、俺と真白の幸せを祈ってくれているのだ。


 だから俺は負けるわけにはいかない。真白の為に勝って、この子の頭をたくさん撫でて、彼女を幸せにする。最高の思い出を作るんだ。


 そう改めて決意を固めた時、ふっと身体が軽くなった気がした。身体中に力が湧き上がり、集中力が研ぎ覚まされていく。


 身体が熱い。心臓の鼓動が速くなっていく。視界がクリアになり、ボールの軌道がはっきりと見える。


 俺は今、自分自身が完全に主人公として覚醒した事を理解した。


 真白のサーブを花崎優奈が上げ、それを姫野夏恋のスパイクするが、俺は難なくその攻撃を防ぐ。


 そのボールを舞が繋ぎ、真白がスパイクを打ち返せば、それは布施川頼人の方へと飛んでいった。


 ボールが地面に落ちるより早く奴は走り出す。けれど主人公補正を失った奴では届かない。

 

 14対13。遂に俺達は逆転を果たし、マッチポイントだ。


 焦りを募らせる布施川頼人、けれどもうヒロインの二人は彼に優しい言葉をかけようとはしない。ただ怯えるように見つめるだけ。花崎優奈も姫野夏恋も不安そうな顔で、何かを恐れるような目で布施川頼人を見ている。


「真白、舞、決めるぞ」

「うんっ。最後の一点だよ!」

「お兄ちゃん、真白さん、決めよう!」


 これが最後のサーブになる事を祈りながら真白はボールを高く上げる。


 相手のコートに吸い込まれていくボール。それを前にして姫野夏恋は食らいつく。


 その光景を眺めながら、俺は布施川頼人のヒロイン達が何を考えているのか、手に取るように分かった。


 姫野夏恋はヒロインとして最後の最後まで布施川頼人を支えようと必死だった。


 どんな酷い事を言われても彼の為ならば何でも出来ると思っていた。だからこそ諦めない。何があっても大好きな彼の為に全身全霊でボールを追いかける。


「優奈、頼人、後は任せたわよ!」


 その声と共に彼女は真白のサーブをきっちりと上げ、それを花崎優奈へと繋げる。


「優奈! 俺が決める! 信じてボールを上げてくれ!!」

「ら、頼人くん……! は、はい!!」


 花崎優奈はボールを見据え、それを布施川頼人へ送る。それは彼女にとって今日最高のパスであり、布施川頼人への最高の信頼を込めたものでもあった。


 その信頼に応えるように布施川頼人は全力で駆け出しジャンプする。ヒロイン達が繋いでくれた希望の光を、自分の手で掴み取るために。


「うおおおおおおっ!!」


 雄叫びと共に放たれた一撃。それは今までのどの攻撃よりも鋭く、強く、速い。ヒロイン達が力を合わせた事で、最後の最後に布施川頼人は主人公としての力を覚醒させた。


 だがそれでも、俺は真白と過ごした日々が生み出した奇跡をここで終わらせたくはない。


 だから俺は走った。


 今までにないくらいに足に力を入れて、砂浜を蹴って、高く跳躍し、スパイクを叩き落とす為に両手を上げる。


「龍介!」

「お兄ちゃん!」


 真白と舞の声が聞こえる。

 彼女達の声援と、俺を信じる二人の想いが重なり合う。


 俺が欲しいのは勝利じゃない。

 俺が望むのは真白の笑顔だ。


 だから俺は、真白を笑顔にする為に、両手を伸ばす。


 そして――俺の手はその願いを叶えるようにボールへと届いた。渾身の力を込めた両腕は布施川頼人の放つスパイクを弾き飛ばす。


 相手側のコート内に落ちたボールは一度跳ねてから、コロコロと砂浜の上を転がっていった。


 15対13――。


 試合終了を告げるホイッスルが響き渡ると同時に、辺りには俺達の勝利を祝福する拍手と歓声が響き渡った。


 舞は両手を上げて喜び、真白はそのまま俺に向かって飛び込んできた。俺はそれを受け止めて優しく抱きしめる。


 俺の腕の中で幸せそうに笑う真白の髪をそっと撫でると、彼女は嬉しそうに目を細めた。


「龍介、やったね。頑張ったね」

「ありがとう、真白のおかげだよ」


 俺と真白は微笑み合い、お互いに抱き締める腕に少しだけ力を込める。


 これが俺の望んでいたもので、それを叶える為に頑張った。


 真白と最高の思い出を作りたかったから、真白に笑っていて欲しかったから、だから頑張る事ができた。


 可愛らしい真白の笑顔を眺めながら、絶対に忘れられない夏の思い出が出来たと、心の底からそう思った。

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