第60話、海での対決③

 そこからの攻防で俺達は苦戦を強いられていた。


 布施川頼人は主人公として覚醒し、普通ならあり得ないような反応を見せて俺達の攻撃を防ぐ場面が何度も見られた。


 コート際のギリギリのラインのボールを拾うファインプレーだったり、針の穴を通すかのようなスパイクを決めたりと、その動きは主人公として相応しいものばかりだ。それを見たヒロイン達はどんどん士気を高めていく。


 そうして俺達は主人公とヒロイン達の息の合ったコンビネーションに翻弄されてしまい、得点を取られ続けていた。


 いくら真白でも何度も何度も相手の攻撃を防ぎ続けるのは難しいし、俺の攻撃も主人公の覚醒によって何度も防がれてなかなか得点に繋がらない。舞もセッターとして上手く立ち回ってくれているが、それでも俺達のチームは追い詰められていく一方だ。


 それでも何とか食らいつきながら流れを取り戻そうと奮闘するが徐々に点差が開いていく。一進一退と行きたいところだったが、気付けば8対12と点差が広がってしまった。


 向こう側のコートでは布施川頼人が俺に向けて余裕の表情を見せている。ふんっと鼻で笑いながら自分達の勝利を確信しているようだった。


 一方で俺の表情は暗い。このまま負けてしまうのか、そう思わざるを得ない状況だ。


(流石だな……やっぱ主人公ってのは強いもんだ)


 主人公補正の凄まじさを改めて思い知る。

 期末テストでは前世の知識があったからこそ勝てたが、ぶっつけ本番で事前準備無しのビーチバレーではかなり厳しい。


 ここから何とかして逆転の秘策を――そう思って隣にいる真白に声をかけようと思った時だった。


「龍介の同級生の人達、めちゃ強いねっ。こういう真剣勝負って久々だから、なんか楽しくなってきたかもっ」

「真白さん、あたしも陸上部の大会の時みたいに燃えてます!」

「あはっ。舞ちゃんも? わたしもすっごく燃えてるよ! やっぱりスポーツっていいよねっ」


 真夏の太陽の下で爽やかな汗を流しながら、真白と舞の二人は楽しげに話していた。


 そして真白は放たれた布施川頼人のサーブを華麗なステップを踏みながら弾き返す。その度に舞う砂の粒さえも彼女にとってはアクセントにしかならないのか、本当に生き生きとした様子でボールを追いかけている。


 その姿は砂浜の上で踊る天使のようで、満面の笑顔を浮かべながらビーチバレーをする姿はとても美しく、何よりも輝いて見えた。


 真白だって勝ちたい気持ちは一緒のはず。でもそれ以上にこの時間を楽しんでいる。俺はそんな彼女の姿を見て、ふと自分の胸の中に渦巻いていた不安が消えていくのを感じた。


『いっぱい、楽しくしてね』


 それはこの海での約束の言葉。今日という日を最高のものにしようと固く誓ったあの時の事を思い出す。


 そうだ、忘れてはいけない。

 何よりも大切なのは真白を笑顔にする事だ。


 俺は今日、真白と最高に楽しむ為にここにいるんだ。


 主人公である布施川頼人を倒す事ばかりを考えて、一番大切な事が頭から抜け落ちてしまっていた。


「真白、ナイスレシーブ!」


 俺は声を張り上げて真白に笑いかける。彼女はにこりと眩しいくらいの笑みを返してくれた。


「龍介、任せたよっ」

「ああ、任された!」


 俺は力強く返事をして助走に入る。

 真白の上げてくれたボールを、次に舞がふわりと優しく浮かして俺へと繋いでくれた。


 そのボールを俺はしっかりと捉えて跳躍する。そして全身全霊を込めて渾身の一撃を打ち込んだ。


 今日一番の音が鳴り響き、ボールを一直線に相手コートへと叩き込む。


 だが、そこには既に布施川頼人の姿が。

 奴は俺の打ったボールをしっかりと見極めて打ち返してきた。主人公として覚醒した奴の反射神経はやはり尋常じゃない。


 ボールはこちら側のコートの端へと飛んでいく。


 しかし真白は諦めない。そのまま砂浜を駆け抜けて手を伸ばすが――僅かに届かなかった。


 コートに転がって砂まみれになる真白。けれど、その顔には悔しさなど微塵も感じられない。それどころか嬉しそうに笑っていた。


「ん~っ! あとちょっとで届いたんだけどなぁ」

「ナイスガッツだったよ、真白」


「あはは、ねえ見て龍介。スライディングしたら砂まみれになっちゃった」

「ああ、凄い事になってるな。でもそれだけ必死だったって証拠だろ? よく頑張ったな」


 俺が砂浜の上で座っている真白に手を差し伸べると、彼女は頬をほんのりと赤く染めて俺の手を取って立ち上がる。


「えへへ、ありがとう龍介。次はもっと頑張るからねっ」

「おう、頼りにしてる。でもその前に身体の砂、取っておかないとな」


「うんっ。それじゃあ綺麗にしてくれる?」

「分かった。ほら動くなよ」


 俺が真白の髪や背中についた砂を払ってやると、彼女はくすぐったそうに身を捩らせながらも大人しくされるがままになっていた。

 

 へにゃりと目を細めて笑う真白。そんな彼女の姿に俺まで幸せな気持ちに包まれていく。


 そうして彼女を労っていると、相手のコートから鋭い視線が向けられている事に気が付いた。


 布施川頼人は歯を食いしばりながら俺を睨み、そして声を荒らげていた。


「13対8だぞ! もうすぐマッチポイントなのに……何でお前らは笑ってられるんだよ!」

「確かに負けているけど、まだ試合は終わっていないだろ? それに勝ち負けよりも、もっと大事な事があるって俺は思うんだ」

「何だよ……それは……」


 布施川頼人は眉間にシワを寄せながら問いかけてくる。俺は少しだけ間を開けてから答えた。


「それは楽しいかどうか、かな。今日は真白とたくさんの思い出を作るって決めたから、負けても楽しかったって言えるようにしたい。勝てばそりゃ嬉しいけどさ、それ以上に今日という日を心の底から楽しみたいんだ。だから俺は今、凄く楽しい」


「……っ!?」


 俺は自分の想いを素直に伝える。すると布施川頼人は何かを言いたそうな顔をして唇を震わせていたが、結局何も言わずに口を閉ざしてしまった。


 それから奴はボールを手にコートの後方でサーブの構えを取る。


 鋭く尖ったようなその表情からは『楽しいより、勝つ事の方が大切だろう?』と、そんな言葉が聞こえてきそうであった。


 それでも俺は楽しくありたい。だから隣で構える真白に優しく微笑みかける。


 俺達の間に交わされたアイコンタクト。彼女は小さくこくりと首を縦に振ってくれた。


「行くぞ! これでマッチポイントだ!」


 布施川頼人は叫びながらサーブを放つ。そのサーブは今までで一番速く、力強かった。そしてそれは真っ直ぐに俺へと向かってくる。


 だけど俺は焦らない。上手く力を加減しながら宙に弾き、真白と舞の二人に繋ぐ。


「二人共、任せた!」

「ナイスお兄ちゃん! 真白さんに繋ぐよ!」

「龍介、舞ちゃん、ありがと! いっくよーっ!」


 真白は舞の声援を受けて大きく跳躍し、高く上げたボール目掛けて渾身の一撃を打ち込む。


 それはボールの芯を捉えて相手コートへと一直線に飛んでいき、そして――。


「――っ!?」


 俺のスパイクを何度も止めていた布施川頼人の足がもつれる。チームの要でもある姫野夏恋も反応出来ずに、真白の打ったスパイクは砂浜のコートを貫く。


 得点ボードの数字は9対13。

 貴重な一点をもぎ取り、俺達は笑顔でハイタッチを交わした。


「やったな真白! 凄いじゃないか!」

「えへへ、龍介が上手くディフェンスしてくれたおかげですっ」


「ナイス、真白さん!」

「わっ。舞ちゃん、いきなりぎゅってするのはびっくりするよぅ……っ」


 舞は喜びのあまり真白に勢いよく飛びつく。真白はバランスを崩しながらも舞を抱き締め返し、二人は笑い合いながらじゃれ合っていた。


 そんな微笑ましい光景に俺は頬を緩ませる。真白が笑っている。ただそれだけの事だが、この瞬間が一番幸せだと思えるくらいに嬉しかったのだ。


 そして同時に俺は周囲の異変に気付いた。


 真白が点を取った後、俺達の試合を見ていた人々から拍手や歓声が上がったのだ。


「みんな、俺達を応援してくれてるのか?」

「うん、龍介。そうみたいっ。みんな頑張れーって言ってくれてるね」


「あたし達が試合を楽しんでるから、それでこっちのチームに興味を持ってくれたのかな? さっきまで向こうのチームを応援してたのにね」

「そうか……本当にびっくりだ」


 その声援は本来あり得ないものだった。


 ここにいる人々は布施川頼人のチームをずっと応援していた。


 それは物語の強制力、無意識の内に主人公を応援するよう仕向けられていたからだ。だから主人公と敵対している俺達は彼らにとってアウェーの存在で、どれだけ活躍しようが拍手や声援など貰えるはずがないものだった。


 しかし今、その常識が覆されている。

 彼らは俺達に逆転して欲しいと声を張り上げているのだ。


 困惑と共に俺は布施川頼人の方を見る。

 奴は悔しそうに拳を握りしめながら、姫野夏恋に向かって声を荒らげていた。


「何やってるんだよ夏恋! 今のを防げてたらそのままマッチポイントまでいけたのに!」

「ご、ごめん頼人。あの子のスパイク、思ったより勢い凄くて……」


「言い訳なんて聞きたくない! 次からはもっとしっかりしてくれ!」

「え、ええ……分かったわ……」


 布施川頼人は苛立ちを隠そうとしない。怒鳴り散らすような口調で責め立てる彼の様子に、姫野夏恋の表情はどんどん暗くなっていく。これでは勝ったとしても、とてもじゃないが楽しいとは言えないだろう。


 楽しむ事よりも勝つ事を優先しようとするあまり、布施川頼人はチームの雰囲気を悪くしてしまっている。


 それは主人公としてあるべき立ち振舞いなんかじゃない。横暴で自分勝手、それではまるで――悪役だ。


 原作の布施川頼人なら絶対に有り得ない行為……一体どうなってるんだ。


(待てよ? だから、こんな事が起こってるのか?)


 俺は今までずっと主人公になりたくて、自分の思い描く理想の主人公の姿を体現しようと頑張ってきた。


 だから真白や舞がミスをしても笑顔で元気付けたり、試合を楽しもうと声を掛けたりした。それが主人公に求められる行動だと思っていたし、何より真白や舞に笑顔でいて欲しくてそうしたんだ。


 そしてその様子を、試合を見守っていた観衆も、この物語を楽しんでいる読者も、きっと見てくれている。俺と布施川頼人を見てどちらを応援したくなるか、その答えは明白だった。


 つまり今この瞬間だけは――周囲の観衆も、この物語を楽しむ読者も、俺を主人公として応援してくれているのではないだろうか?


 その予想に間違いはなかった。


 次のサーブはさっきスパイクを決めてくれた真白。


 マッチポイントが近い事もあり、強さよりも正確性を重視してサーブを打つ。ふわりと放たれたボールは綺麗な弧を描き、布施川頼人の方へと飛んでいく。


 さっきまでは難なくサーブを処理していたはずが、奴はふわりと飛んできたボールを相手にレシーブをミスしてしまう。弾いたボールはコート外へと飛び出していき、そのまま砂浜へと落下した。


 これで10対13。


「……くそっ、ミスった」

「落ち着いて、頼人くん。まだ点差は十分ありますから」

「分かってるよ……」


 焦燥感に駆られる布施川頼人を花崎優奈が優しくなだめる。


 だが奴はそんな彼女の言葉に素直に耳を傾けようとせず、コートの外に転がったボールを睨み付けていた。


(さっきまであれだけ覚醒してたのに、主人公補正が急に弱くなってる……)


 勝ちにこだわればこだわる程、主人公としての力が弱まっていく。最も大切なヒロインを蔑ろにする行為は、主人公としてあってはいけない事なのだから。


 それでも奴はその事実に気付いていない。そして同時にそれは俺達にとって最大のチャンスでもあった。


「真白、舞、このまま楽しくいこう。勝っても負けても笑顔で終われるように」

「うんっ。わたしも龍介と同じ気持ちだよ。いっぱい楽しい思い出を作ろうね」

「あたしも! 勝ったらご馳走、負けてもかき氷だもん! めちゃ楽しみ!」


 俺達三人は笑顔で頷き合う。

 例えどんな結末が待っていようとも、俺達は精一杯この試合を楽しむ。そして最高の思い出を作るのだ。

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