第56話、海と悪役⑥

 太陽の光を反射してキラキラと輝く青々とした海を、俺達三人はゆらりゆらりと泳いでいた


 波は穏やかで水温も程よく、泳ぐのに適したコンディション。俺と真白は水泳が得意な事もあって、浮き輪をつけた舞の手を引きながら海水浴を楽しんでいた。


「この開放感、最高だー。浮き輪に乗ってるだけで、あとはお兄ちゃんと真白さんが引っ張ってくれるんだもん。たのしー」

「あんまりはしゃぐなよ? ひっくり返って溺れたりしたら大変だからな」


「大丈夫だよ、お兄ちゃん。あたしだってもう中学生なんだしさ。ほらほら、もっとスピード出していこうー!」

「危ないって言ってんの、ばか。良い子にしてろ」


 舞の頭に軽くチョップを入れるのだが、当の本人はきゃっきゃと笑っていて反省の色はない。


 ひっくり返ったとしても足がつく深さだから大丈夫だとは思うけど、海水飲み込んでむせたりしたら可哀相だしな。ちゃんと注意しておかないと。


 そんなふうに舞がはしゃいでいる一方、真白はのんびりゆったりと海を楽しんでいた。


 波に揺られるだけでも十分に満足のようで、可愛らしい笑顔を浮かべながら俺の方を見つめている。


 けれど俺は真白の事を直視出来ず、思わず視線を逸らしていた。


「あれ、龍介? どこ見てるの?」

「ん。水平線の向こう、海は広くて凄いなって」


「だねっ、それにきらきらしてて綺麗。でもなんか龍介ってば顔赤いよ? 大丈夫?」

「あーほんとだ。お兄ちゃん、それに変なかおー。あはは」


「な、何でもないから。気にするな」


 俺の返事に首を傾げる二人。しかし、その理由を話すわけにもいかないので俺は誤魔化すしかなかった。


(海に浮いてる真白の胸を見てドキドキしてるなんて……口が裂けても言えない)


 大きい胸だと水の浮力で浮いてしまうという話を聞いた事があったが、どうやらそれは本当だったようだ。


 水面にぷかぷかと浮かぶ真白の大きな膨らみ、波が来ると白い水着に包まれた豊かな双丘がたゆんたゆんと弾んでいく。その光景は健全な男子高校生にとって刺激が強過ぎるものだった。


(無自覚だから、なおさらずるいよなあ……)


 真白は自分の水着姿が異性にとってどれだけ魅力的なのか分かっていないようで、本当に無防備で天然なところがある。


 今だって真白はゆっくり泳いで俺の体に寄り添ってきて、その度に柔らかい身体が押しつけられていた。海パンしか履いていない俺の身体に、真白の素肌の感触が直に伝わってくるのは反則だ。


 こんな状況で平静を保てる男がいるのだろうか。少なくとも俺は無理だ。


 心臓がバクバク鳴っていて、海の中だというのに全身の体温が上がっていくのを感じる。このままだとのぼせてしまうんじゃないだろうかと本気で思ってしまう程だった。俺の顔は今頃茹でたタコみたいに真っ赤になっているに違いない。


 けれど真白は異変の原因に気付いているのかいないのか、相変わらず俺に体を預けてふにゃりと笑いかけてきた。


「ふふっ、楽しいね龍介。舞ちゃんも元気いっぱいで可愛いし」

「そ、そうだな。真白も随分と楽しそうに見えるよ。でもいつもならもっと大はしゃぎしても良いのに、少しおとなしいような気がするんだけど」


「今日は龍介といーっぱい遊ぶつもりだから。あんまり飛ばし過ぎちゃうとすぐにバテちゃうからね」

「なるほど。確かにそっちの方が長い時間楽しめるもんな」


「うん。だから今はゆっくりまったり、のんびりしようねっ」

「ゆっくりまったりか。それじゃあ結構泳いだし、そろそろ休憩にしよう」


 真白と舞は同時にこくりと頷いて、俺達は砂浜へと戻っていく。穏やかな波に揺られながらゆっくりと泳いでいった。


 そしてビーチパラソルの下に戻って一息つこうとした時だった。レジャーシートに腰を下ろしたところで、ふと舞が何かを思い出したように口を開く。


「ねえーお兄ちゃん。そういえばさっきビーチパラソルとか借りる時に見たんだけどさ、なんか三対三のビーチバレー大会みたいなのやってるっぽいよ?」

「三人制のビーチバレーなあ。景品とか出たりするのか?」


「うん! トーナメントとかじゃなくて、一回だけ参加出来る感じで。参加した試合に勝つと海の家で使えるお食事券がもらえるんだって!」

「お食事券ね……まあ気が向いたら参加してみるかな」


「気が向いたらじゃなくて出ようよー。あたしだって運動は得意だし、そこにお兄ちゃんと真白さんのコンビプレーが合わされば絶対勝てるって!」

「確かに勝てる自信はあるけどさ。でもなあ……」


 夏の海のビーチバレー大会。


 トーナメントではなく一回きりの出場だけでいいなら真白にも舞にも負担はかからない。勝った負けたに関わらず良い思い出作りになるだろう。


 けれど俺はどうしても躊躇してしまう理由があった。それはこの海に主人公、布施川頼人がいること。


 ビーチバレー大会という王道なイベントを布施川頼人が見逃すはずがない。自身が主人公である事をアピールする為に、ヒロイン達を引き連れてエントリーする可能性は十分にある。


 そんなイベントに悪役である俺が参加すれば、主人公チームと戦う事になるよう仕向けられて面倒な事になるのは目に見えていた。


 舞は残念がるだろうが今回は不参加という形で話を進めようと思ったのだが。


「え゛っ!? もしかして参加する気ない? どうしようー、お兄ちゃんなら参加すると思って受付してきちゃったよー」

「参加受付してきたって、それ本当なのか?」


「うん……。対戦相手は抽選でもう決まってて、あたし達と同じ男子一人に女子二人の高校生チームだったの。同年代だしあたし達なら絶対勝てると思ったのになあ」

「おいおい、それってお前――」


 ――完全に主人公チームが相手だよな、間違いなく。その事実に気付いた瞬間、俺は深いため息を吐いていた。


 舞がビーチバレーの大会に参加受付を出したのは、きっとこの世界が働かせる強制力によるもの。


 布施川頼人と俺をビーチバレーで戦わせる為、無意識の内に参加を強制させられた。そう考えると全ての辻妻が合う。


 もし真白と二人で来ていたら俺が参加しないと言えば彼女は素直に頷いてくれただろうし、一人で勝手な行動を取ることも絶対ない。しかし舞は別だ。後先考えずに行動する事が多々ある。そこをつけ込まれたのだ。


(まいったな……)


 これから起こるであろう展開を考えると、自然と顔が引き攣ってしまう。


 布施川頼人がこの海水浴場にヒロインを引き連れてやってきた理由、それは海でのイベントを通じて読者に主人公が誰であるかをアピールする事だけではなかった。


 これはきっと期末テストの時のリベンジだ。


 主人公が負けっぱなしで許されるはずがない。これは海水浴場を舞台にした物語の一番の見せ場、ビーチバレー大会でヒロインと力を合わせて俺を倒して以前の雪辱を果たす絶好の機会。


 となれば布施川頼人は主人公の力をフルに発揮して、俺を叩きのめそうとしてくるに違いない。どんな理不尽も乗り越える運命力で奇跡を起こし、必ず勝利をもぎ取ろうとするだろう。


 退路は既に断たれている。不戦敗なんて一番かっこがつかない。


 主人公との戦いを前にして尻尾を巻いて逃げたとなれば、それは単純に負けるよりかっこ悪い。そんな展開は誰だってがっかりするはずだ。主人公を目指す俺にとって、読者に見限られたが最後。何よりも最悪な結果に繋がる可能性だってある。


 一体どうするべきなのか、何か良い方法はないだろうか――。


 必死に悩んでいると、真白は俺の手を優しく握りしめていた。その澄んだ青い瞳で俺を真っ直ぐに見つめて言うのだ。


「もしかして龍介。あの同級生の人――布施川くんとビーチバレーで当たっちゃうんじゃないかって心配してる?」

「真白、どうして分かったんだ……?」


「龍介の考えてる事はぜーんぶお見通しなのですっ。龍介ってあの布施川くんって人の事になると、なんだか難しい顔になる事が多いから。わたしがあの人とぶつかって足を挫いた時からずっとね」


 俺の気持ちを見透かしたように真白はくすっと小さく笑ってから、俺の頭をぽんと撫でてくる。


 それから安心させるような優しい声音で言葉を続けた。


「難しい顔をして考え込んじゃう龍介も寡黙でかっこよくて好きだけど、わたしはやっぱり笑顔の龍介が一番好き。だからね、ちゃんとフォローする。龍介が笑顔になれるように頑張るから」


 この幼馴染みは本当に俺の事をよく理解してくれていて、俺が欲しい言葉をいつも与えてくれる。この子が傍にいるだけで絶対に大丈夫だという自信が胸の奥底から湧いてくるのだ。


(やるしかないな……)


 こうなってしまった以上、逃げる事は出来ない。ならば全力で戦うまでだと覚悟を決める。


 このビーチバレーで悪役が主人公を倒すどんでん返しを見せてやる。


 期末テストのあの時と同じように、真白と一緒に勝利を掴んでみせようじゃないか。


 そう心に決めてから俺は隣に座る彼女の手をぎゅっと強く握った。それに応えるように真白も手を握り返しながら嬉しそうに微笑む。


「龍介、わたし達一緒にいれば無敵だもんね?」

「ああ、真白と一緒なら負ける気がしない。出るぞ、ビーチバレーの大会。勝ってお食事券もらって、お昼は海の家でご馳走だ」


 俺の言葉に真白はこくりと大きく首を縦に振った。舞も俺がやる気になってくれて大喜び。ぴょんと跳ねながら立ち上がる。


 そして俺は主人公との戦いに向け、静かに闘志を燃やすのだった

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