第55話、海と悪役⑤

「わっ、冷たいっ。もう、仕返しだよー龍介?」

「うわっぷ!? やってくれるな、真白……!」


「お兄ちゃん、隙あり! ほれほれ〜、どうじゃい!」

「舞、お前な……って、しょっぱ! 2対1は卑怯だって!」


 俺達は今、浅瀬で水浴びをしている最中だった。


 膝下くらいまで海に浸かってばしゃばしゃと水をかけ合い、満面の笑みを浮かべて子供のようにはしゃいでいる。


 あれから俺達は人の少ない場所に移動して、舞が借りてきてくれたビーチパラソルとレジャーシートを広げる。そこを拠点に海水浴を楽しむ事にした。


 そして今日を最高の日にする為に、俺達は海を全力で楽しんでいたのだが。


 真白が水をかけようと腕を振り上げる度にたぷんたぷんと大きな胸が揺れ、その姿につい見惚れていた俺の顔にばしゃりと海水が降りかかる。


 その様子をおかしそうに笑う真白。何がそんなにおかしいのかと思ったら、俺の頭の上にもさもさの海藻が乗っていて、まるでかつらを被っているようになっていた。


「あはは、兄ちゃん何それ~。ぶふっ、ちょっ……笑いが止まらないんだけど」

「舞、笑うな。真白、これわざとやったな?」

「だってちょうど流れてきたから。似合ってるよ、龍介っ」


 くすくすと笑いながら俺を見る真白、妹の舞はお腹を抱えて吹き出すように笑う。


 楽しそうに笑っている二人の姿を見ていると俺も何だかおかしくなって笑みがこぼれた。


 こうして海を楽しみながら笑い合っている光景は、俺が憧れていた眩い青春の一ページ。前世では叶えられなかった夢のような時間。それは俺の心を躍らせるには十分過ぎるものだった。


「龍介、一旦休憩しよっか。ビーチパラソルのとこでゆっくりしよっ」

「おう、そうするか。一休みしたらもう少し深い所に行ってみるか?」


「お兄ちゃん、それ賛成。あたしもついてきたい!」

「よし、決まりだな。それじゃあ少し休んだら、みんなで泳ぎに行こう」


 三人で浅瀬から上がってビーチパラソルの下へと向かう。


 敷いてあるレジャーシートは三人が座っても余裕がまだまだあるほど大きく、荷物を置いても全然窮屈さを感じさせないサイズ感。


 真白が持ってきてくれたクーラーボックスには冷えた飲み物がたくさん入っているので、長時間遊んでいても大丈夫そうだ。


 俺がシートの上に腰かけると、しぼんだ浮き輪を片手に舞が近寄ってくる。


「お兄ちゃんに浮き輪を膨らませる権利をあげます」

「いやいや、そんな権利いらないです。自分で膨らませてください」


「えぇーやだけち。あたしがふうふうしても膨らまないもん、このままじゃ泳げない!」

「ったく。走るのはあんなに速いのに、泳ぎは全く駄目なんだもんな。ほら貸せ」


「いえーい、流石お兄ちゃん! 大好き! 愛してるぅ!」

「はいはい、分かったから。いいから早くしろ」


 舞から浮き輪を受け取った俺は肺に溜め込んだ空気を一気に吹き込んだ。すると浮き輪は徐々に大きさを増していく。


 まるで遊園地のアトラクションでも見ているみたいに、舞は楽しそうにその様子を眺めていた。


「ほら、出来たぞ。これならカナヅチで泳げない舞でも安心だろ」

「ありがとうお兄ちゃん。よーし、これであたしも海を楽しめるぜぃ!」


 舞は自分の体に膨らませた浮き輪を装着して、ぴょんぴょん飛び跳ねる。


 中学生になってかなり大人びてきたと思っていたけど、こういう所は昔のまま変わらないんだよな。


 そんな妹の様子に思わず頬を緩めている俺の隣に真白がゆっくりと腰を下ろした。


 優しい笑顔を浮かべた彼女は鞄の中からタオルを取り出した。


「龍介、髪の毛拭いてあげるね。さっきの水浴びでいっぱい濡れちゃったから」

「え。でもまたすぐに遊ぶ事になるだろうし別に――」


「だめだめ。こういうのは細かいケアが大切なのです。そういうわけで真白さんの言う通りにしようね?」

「お、おう。それじゃあ頼む」

「よしよし、素直なお返事で大変よろしい。はい、動かないでね」


 真白は優しい手つきで俺の髪を丁寧にタオルで乾かし始めていく。


 人に髪や頭を触られるなんて普段なら少し気恥ずかしくて嫌なはずなのに、真白にされるのは不思議と心地良い。


「龍介の髪ってとってもサラサラしてるよね。羨ましいなぁ」

「そうなのか? 自分ではよく分からないけど」


「凄く綺麗な黒髪だよ。それに濡れてるせいで、いつもより大人っぽく見えるかも」

「……そうかな」

「うん、いつもより格好良くてドキドキしちゃうかも。えへへ」


 頬を赤く染めながらそんな事を言われて俺まで照れ臭くなる。細い指で髪を撫でられ続けている内にドキドキと鼓動が高鳴っていった。


「はいっ、おしまい。龍介の髪、わたしがしっかり乾かしたからきっと明日はもっとつやつやになるよっ」

「でもまた泳いでびしょ濡れになる予定だけどな」


「あははっ、確かにそうかも。そしたらまたわたしが拭いてあげるからねっ」

「ああ、そしたらまた頼む。ありがとな、真白」

「えへへ、どういたしまして」


 見つめ合って笑い合う俺と真白。


 そんな俺達の様子を眺めながら、妹の舞はにまにまと口元を緩ませていた。


「ほんとお兄ちゃんと真白さんって自然な流れでイチャつくよね。見てると砂糖吐いちゃいそうになるよ〜」

「砂糖を吐くってお前な。ただ、真白が世話焼きだから……」


「だめだよ、舞ちゃん。あんまりからかうと龍介怒っちゃうんだからね」

「あはは、ごめんなさい。でもこうやってお兄ちゃんと真白さんが仲良くしてるところを見れて、あたしも幸せなんです」


「舞ちゃんずっと心配してくれてたもんね、ありがと。それじゃあもう少し龍介と仲良くしててもいい?」

「はいもちろん! あたし達以外に全然人はいないので、もう好きなだけ見せつけてください!」

「うんっ、それでは早速」


 舞が親指を立てて了承すると真白は俺にさっきのタオルを手渡して、今度は俺の膝の上に背中を向けて座り始めた。


「ちょっ……真白、これは一体どういう……?」

「龍介の髪は拭き終わったから、次はわたしの髪を拭いてもらう番。日焼け止め塗るのは龍介には刺激が強いみたいだから、これならまだ大丈夫でしょ?」


「いやいや、大丈夫じゃないです。刺激が強過ぎます」

「そんなことないです。ほら、早く拭いて拭いて。舞ちゃんに見せつけてあげよっ」


 そう言って俺の膝の上にすっぽりと収まる真白の身体は、温かくて柔らかくていい匂いがする。


「全くもう……真白は本当にずるい奴だ」

「ふふ、そうだよ。わたし、ずるくて悪い子だから。だから罰としていっぱい甘やかしてください」

「仕方ないな、分かったよ」


 俺は自分の心臓の音が真白に聞こえていないか不安になりながらも、恐る恐る彼女の艶やかな長い黒髪に触れていく。


 水に濡れてもなお、その美しさは健在で、絹のように滑らかで柔らかい。


 俺が優しく髪を拭き始めると真白は「んぅ」と気持ち良さそうな声を漏らし、そのまま俺の胸に体重を預けてきた。


「ふわぁ……やっぱり龍介に髪を乾かしてもらうのって落ち着くなぁ。このまま寝ちゃいたいくらい」

「こらこら。せっかくの海水浴がお昼寝で終わっちまうぞ?」


「それは困るね。海に来たんだから、いっぱい夏っぽい事したいし」

「じゃあしっかり起きとくことだな。遊び疲れて帰る時はいつでも肩を貸してやるよ」

「ありがと。その時は遠慮なく甘えさせてもらうねっ」


 そう言いながら楽しそうに笑う真白はとても可愛らしくて、そんな彼女の優しい温もりを感じながら髪の毛を拭いていく。


 ドライヤーを使っていないのでまだ少し湿り気はあるが、それでもいつも通りの綺麗で美しい黒髪に戻った。


 これで十分だろうと真白の頭をぽんと軽く叩くと、彼女はくるっとこちらを向いて、嬉しそうにはにかんだ。


「ありがと、龍介。とっても気持ち良かったよ」

「どう致しまして。それなら何よりだ」

「うん。それじゃあみんなで泳ぎに行く準備しよっか」

「やったー! お兄ちゃん、早く行こう行こう!」

「はいはい。そんなに慌てんなって」


 舞に急かされつつ立ち上がり、俺達はビーチパラソルの元を離れていく。


 夏の日差しはまだ高い位置にあって暑いけれど、こうして三人一緒にいると不思議とその暑さも心地良く感じるのだった。

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